今日は決めません
隣町の文化交流会が終わって。
日常。
文化交流会二回。
その練習。
イベントたくさん。
歌の練習。
楠木七菜と。
先輩二人が出会って。
結構な日数が経った。
でもこの世界。
一年の日数が、可変。
一年七百日にもなれる。
つまり。
まだ、楠木七菜。
高校二年生二学期の冬。
問題ない。
その方が、都合が良い。
そして。
また音楽イベント、ある。
まったく問題ない。
オーソドックスな。
ショッピングモール特設ステージ。
客席には。
新田先生の姿。
「新田先生、こんにちは」
男。
五十代。
音楽プロデューサー。
業界歴、そこそこ長い。
これまで歌い手を。
何人も世に出してきた。
売れた歌手。売れなかった歌手。
両方知ってる。
新田先生と組んで。
プロモーション活動をしたことも。
ある。
「やあ、久しぶり。今日も仕事?」
「半分は仕事ですね」
「いつものやつか」
「いつものやつです」
プロデューサー。
暇さえあればこうやって。
音楽イベントを覗きに来る。
そうやって。
将来の金の卵を。
見つける。
まだ見ぬ才能を。
世に出す。
プロデューサーとしての、よろこび。
「最近はどうなの?」
「そう簡単に見つかったら苦労はしません」
「なるほど」
実際そう。
かなりの音楽イベントを見ても。
歌えて。
歌を仕事にしたい意欲がある人。
なかなかいない。
でも、探すのを止めたら。
見つけられなかった原石が。
そのまま埋もれてしまうかもしれない。
だからこうして。
イベント回り。
ただ。
普通にイベントを見るのも。
楽しくて好き。
だから、仕事半分。
「もしかしたら」
「はい」
「今日は、見つかるかもね」
「……金の卵?」
「どうだろう」
意味深な笑み。
ステージ。
ゲスト歌唱から入って。
当日エントリーの素人カラオケ大会。
大学生。
社会人。
色々歌う。
「続きまして——」
楠木七菜。
新田先生、腕組み。
プロデューサーがそれを見る。
「知り合いです?」
「うん」
「金の卵?」
「うーん」
困ったように笑って。
「まあ、とりあえず聴こう」
楠木七菜が歌う。
音楽プロデューサー。
最初は普通に聴いている。
数秒で、顔が変わる。
身を乗り出すようにして。
聴く。
身体が、仕事モード。
曲が終わる。
大きな拍手。
「……上手いな」
「結構ね」
プロデューサー、横を見て。
「結構?」
新田先生が笑う。
舞台を見て。
「高校生?」
「高校生」
「レッスン歴は?」
「最近、先輩に教わってるらしいよ」
「最近? あれで?」
「それまでは自分でやってたって」
プロデューサー、考え込む。
「声も、身体の使い方も良い」
「そうなんだよ」
「ちゃんと自分の歌にしてる」
目が。
獲物を狙っているみたいになる。
新田先生が苦笑しながら。
「でも、歌手になる気はないらしいよ」
「……」
「今のところ」
「もったいない」
そこは。
「本人が決めることだからね」
「そうですね」
露骨に。
がっかりした顔。
次。
「二人目だ」
小早川千紘。
「二人目?」
「うん」
「この子は?」
「クラリネット」
面食らったように。
「何で楽器?」
笑って。
「吹奏楽部なんだ。さっきの子はホルン」
「吹奏楽部?」
「そう」
「あれだけ歌えて?」
「うん」
「この子の歌は?」
「聴いたことがある。結構上手いよ」
「結構」
「そう、結構」
そうこう話しているうちに。
小早川千紘の歌。
新田先生、腕を組む。
初めて聴いたときは。
背景に宇宙。
今回は大丈夫。
隣を見る。
プロデューサーは笑みを浮かべている。
さすがに。
宇宙は背負わないらしい。
ちょっと。
期待外れ。
歌の方は、相変わらず。
どうかしているくらい上手い。
柔らかい歌声。
曲が終わる。
一瞬の間。
その後、拍手。
あ。
司会が。
背後に宇宙が広がる猫みたいな。
表情。
思わず笑いそうになる。
「なんですか、これ」
「なに?」
「いや、なんですか本当にこれ」
「結構上手いでしょう?」
「その言い方止めません?」
新田先生、声出して笑う。
「この子は?」
「歌手にはならないって」
「なんで?」
「本人がそう決めたから」
「……そんな」
プロデューサー、悔しい。
二人とも。
意欲さえあれば。
絶対に放っておかないのに。
断食の後。
目の前のご馳走の。
においだけ。
そんな感じ。
思わず長いため息。
でも。
「まだだよ」
「え?」
「うん」
ステージに上がってくる。
「もうひとりいる」
榊原美冬。
「オーボエ担当」
「それはもういいんですが、歌は?」
「歌は……」
「結構、上手い?」
思わず苦笑。
「いや、とにかく聴いてみてよ」
伴奏。
始まる。
イントロ。
前二人が。
めちゃくちゃ上手かった。
観客のハードルも。
上がりまくっている。
そして。
榊原美冬の歌。
「……」
新田先生。
隣のプロデューサーを見る。
最初の数秒、まったく動かない。
十秒で目が細くなる。
二十秒で、身を乗り出すようになる。
新田先生も、もう笑わない。
前を見て。
歌を聴く。
相変わらず上手いと。
言いたいところだけど。
初めて聴いたときより。
良くなってる。
相変わらずだと不適当。
ここまで来ると。
どこが変わったのか。
新田先生にもわからない。
ただ。
上手くなってる。
榊原美冬が歌う。
音程、呼吸、発音、リズム。
技術がすごい。
でも。
それだけでもなく。
曲。
どう聴かせる。
どこで抑える。
歌詞の伝え方。
考えてる。
「……」
プロデューサーの目。
完全に。
仕事。
曲が終わる。
やっぱり一瞬。
間。
そして拍手。
榊原美冬が礼をして、戻る。
そこでようやく。
プロデューサーも拍手。
見ているのは、ステージではなく。
榊原美冬。
「どう?」
新田先生が聞いても。
即答しない。
考えている。
「あの子、いくつ?」
「高校三年生」
「声楽の専門教育を?」
「小学生の頃からだって言ってた」
「いま、誰かついてる?」
「知らない」
「事務所は?」
「知らない」
「デビューの話は?」
「知らない」
最初の敬語が。
抜けている。
「じゃあ、知ってる情報は?」
新田先生、笑って。
「高校三年生」
「青葉野高校吹奏楽部、オーボエ担当」
間。
「歌手になるって言ってた」
プロデューサー、固まる。
「本当に?」
「本人から聞いた」
ステージを見る。
もういない。
「……」
「声、かけてみたら?」
「……」
プロデューサー。
考える。
声。
技量。
意欲。
欠けているものが。
なにもない。
しかも。
まだ、知られていない。
「考えてみる」
「そう」
少し。
本当に少しだけ。
考えて。
「いや」
「うん?」
「話す。今、話したい。紹介して欲しい」
「わかった、君ならいいよ」
二人、立ち上がる。
新田先生。
声をかけて。
事情を説明。
歌ってはいなかったけど。
やっぱりいた立花奈緒も合わせて。
六人で。
喫茶店。
三人ずつ、向かい合わせ。
楠木七菜が新田先生の隣。
軽い雑談をしながら。
注文。
大人二人。コーヒー。
楠木七菜、オレンジジュース。
立花奈緒、カフェオレ。
小早川千紘、ミルクティー。
榊原美冬、ハーブティー。
注文が揃ったところで。
男が。
名刺を出す。
「初めまして」
「榊原美冬です」
自己紹介。
「さっきの歌」
「はい」
「聴かせてもらいました」
「ありがとうございます」
少し、間。
「歌手を目指していると聞いたんだけど」
榊原美冬の視線が新田先生に。
新田先生が頷く。
「はい」
「本気で?」
「もちろん」
即答。
「だったら」
真っ直ぐに。
榊原美冬を見て。
「一度、ちゃんと話をしませんか」
榊原美冬は名刺に目を落として。
「どういうお話を?」
プロデューサー。
少し驚く。
「そうだな」
考えて。
「まずは、君がどういう歌手になりたいのか」
榊原美冬は黙って聞く。
「それから、今後どういう活動をしていくつもりなのか」
「はい」
「こちらから何ができるか」
間。
「そういう話」
榊原美冬が。
少し考えて。
「わかりました」
その言葉に。
プロデューサーは身を乗り出すようにして。
「じゃあ」
「でも」
止まる。
「今日は決めません」
「……」
榊原美冬を見る。
読めない。
少なくとも。
「あなたが何をしてくれる人なのか」
喜んでいるようには。
「私はまだ知らないので」
見えない。
その言葉に。
プロデューサーは笑って。
「そうだね」
「話は聞きます」
「うん」
「そのあと、決めます」
「それで良い」
榊原美冬が名刺をしまう。
「高校三年生だよね?」
「はい」
「本格的な話は、卒業を待ってからでも遅くはない」
「そうですね」
「でも、また話す場を作るよ」
「はい」
やっぱり。
浮かれてもいない。
でも、怖がってもいない。
自分が。
選ぶ側だと。
思っている。
ますます、いい。
話は。
また雑談に。
「吹奏楽部だって聞いたんだけど」
「はい、オーボエを吹いています」
「どうして吹奏楽部に?」
榊原美冬。
聞かれれば。
答える。
「友達と一緒に吹奏楽をやりたかったから」
答えを聞いたプロデューサーは。
笑って。
「なるほど」
と言った。
ああ、そういうことにしているんだな。
そんな反応。
新田先生は。
それを見ながら。
初めて会った頃なら。
自分も同じ反応だった。
その言葉を。
単なる建前だと。
思ったかもしれない。
だって。
あれだけ歌が上手くて。
歌手になる人間が。
回り道している。
そう見える。
でも。
楠木七菜と知り合って。
榊原美冬とも知り合って。
小早川千紘、立花奈緒を知って。
彼女たちのことを少しだけど知った今なら。
多分。
榊原美冬は。
嘘を言っていない。
深い意味も。
隠している本音も。
ない。
もしかしたら本人は。
どうして伝わらないのかと。
思っているかもしれない。
その疑問も。
たぶん正しい。
大人は。
難しく。
考えすぎる。
帰り。
新田先生の車。
プロデューサーを。
駅まで送る。
プロデューサー、上機嫌。
「いいよ、彼女」
「歌?」
「全部」
少しの間。
「あの歳で、自分が選ばれるのを待ってない」
新田先生も頷く。
「自分も選ぶつもりだ」
「そういう子だよ。選ばれるようにならないとね」
「知ってたの?」
「それについては、なんとなく」
今日の態度で、確信。
運転。
前をしっかり見ながら話す。
「まだ誰も知らないんでしょ?」
「たぶん」
「だったら」
笑み。
「俺が見つけたってことになる」
新田先生。
笑って。
「なに?」
「いや、そうなると良いね」
「なるよ」
自信。満々。
榊原美冬をプロデュースして。
羽ばたかせる。
間違いなく。
金の卵。
卒業が。
待ち遠しい。
想像の翼。
無限に広がる。
輝かしい未来が。
そこで待っている。
この世界。
一年の日数。
可変。
しかも。
榊原美冬と。
小早川千紘が。
卒業すると。
非常に。
都合が、悪い。
つまり。
来年、来ない。




