歌はいいの?
放課後。
いつもの空き教室。
歌の練習。
いつもの四人。
きっかけは。
楠木七菜の。
何気ない。
質問。
「そういえば」
「美冬先輩ってどうして吹奏楽部でオーボエ吹いてたんですか?」
「どうして?」
「いえ。美冬先輩、歌めちゃくちゃ上手じゃないですか」
「そうね」
「将来は歌手になる」
「そうね」
「でも、部活は吹奏楽部でオーボエ吹いてる」
「うん」
「なんで?」
聞かれた榊原美冬は。
小早川千紘に視線を向ける。
小早川千紘は。
少し考えて。
「私はいいよ」
答える。
「じゃあ」
榊原美冬、座る。
楠木七菜、座る。
小早川千紘と立花奈緒も座る。
「ちょっと、昔話をしましょうか」
「昔話?」
頷いて。
「あるところに。歌が好きな女の子がいました」
「彼女は親の顔を知りません。児童養護施設と呼ばれる場所で育ちました」
「小学生のとき、同じクラスの女の子と仲良くなりました」
榊原美冬が、どうぞ、と。
小早川千紘に渡す。
「あるところに。楽器を演奏することが好きな女の子がいました」
「彼女は裕福な家庭で育ち」
「小さい頃からバイオリン、ピアノ、歌を習っていました」
「習いに行くのではありません。家まで先生がやってきて、教えてくれるのです」
「小学生のとき、同じクラスの女の子と仲良くなりました」
「友達はとても歌が上手で」
「女の子はたちまち友達と友達の歌を大好きになりました」
「小学生。いくら好きでも習い事には飽きてくる年頃です」
「女の子は両親に言いました」
「わたし、美冬ちゃんが一緒ならもっと頑張れるよ」
「両親はとても喜んで」
「友達を家に招待し、一緒に音楽の勉強ができるようにしてくれました」
小早川千紘が、どうぞ、と。
榊原美冬に渡す。
「女の子は歌が大好きでしたが」
「歌の勉強をしたことはありません」
「習い事をする機会もありませんでした」
「友達に誘われて」
「楽器と歌の勉強ができて」
「女の子はとても嬉しくて夢中になりました」
「毎日のように友達の家に行って」
「毎日音楽の勉強して」
「毎日少しずつ上手になる」
「嬉しくて楽しくて」
「夢中でした」
「でも」
「中学生になるころには」
「それが普通で、当たり前ではないことに」
「女の子は気づきました」
「家に先生が来て教えてくれるのも」
「友達の家で音楽の勉強をすることも」
「その費用を一度も払ったことがないのも」
「当たり前ではありませんでした」
「でも」
「友達も、友達の両親も」
「そんなことを一度だって言いませんでした」
「むしろ」
「美冬ちゃんには素敵な才能がある」
「そう言ってくれました」
「でも」
「遠慮することはない、とすら」
「一度も言われたことがなかったのです」
榊原美冬が、どうぞ、と。
小早川千紘に渡す。
「女の子は」
「友達が、今の環境が当たり前ではないと気づいたことに」
「気づいていました」
「でも、本当にそんなことは」
「どうでも良いことでした」
「普通でなかったとしても」
「当たり前ではなかったとしても」
「友達と一緒に音楽の勉強をする時間は」
「女の子にとって」
「大切な宝物でした」
「両親も」
「友達に喜んで欲しいと」
「お菓子を用意したり、お茶を用意したり」
「その子が喜ぶ姿を見るのが」
「大好きでした」
「中学生になると」
「本当に少しずつ」
「好みにも差ができてきました」
「女の子は楽器が好きで、素敵な演奏をすることが」
「一番好きでした」
「友達は出会ったときからそうだったように」
「素敵な歌を」
「歌うことが一番好きでした」
「高校受験が近づいて」
「女の子は」
「青葉野高校で吹奏楽をやりたいと」
「思っていました」
「友達と一緒に進学して」
「同じ部活に入り」
「一緒に練習をして」
「全国大会を目指す」
「そんな高校生活を夢見ました」
「でも、女の子は」
「友達を誘うことができませんでした」
「ひとつには」
「友達の一番が」
「楽器ではなく歌なのを知っていたから」
「そしてもうひとつ」
「誘えば友達は」
「来てくれると思ったから」
「歌が一番の友達に」
「楽器を一緒にやろうよと誘う」
「断られるとは」
「全然思いませんでした」
「でも」
「友達の進路を選ぶ秤の上に」
「友情ではない重りまで乗ることを」
「女の子は怖がったのです」
小早川千紘が、どうぞ、と。
榊原美冬に渡す。
「女の子は」
「友達が青葉野高校に進学して」
「吹奏楽をやりたがっていること」
「そして」
「自分にも一緒に来て欲しいと思っていること」
「思っているのに、言い出せないことに」
「気づいていました」
「確かに女の子にとって」
「歌は一番でした」
「歌うことが大好きで」
「将来は歌手になるのだと」
「決めていました」
「でも」
「女の子にとっても」
「友達と一緒に音楽を勉強して」
「一緒に椅子を並べて演奏をする時間は」
「宝物でした」
「一番ではなかったとしても」
「価値がないものでは」
「ありませんでした」
「それでも女の子は悩みました」
「歌が一番好き」
「だから歌を選ぶ。それで良いのか」
「悩みました」
「悩んで、悩んで」
「随分悩みましたが」
「女の子が出した結論は」
「大好きな友達と一緒に高校に行って」
「一緒に吹奏楽をやって」
「でも、歌の練習もして」
「将来は歌手になる」
「でした」
榊原美冬が、どうぞ、と。
小早川千紘に渡す。
「女の子は驚きました」
「友達から突然」
「青葉野高校に進学して」
「一緒に吹奏楽をやろうよと」
「誘われたのです」
「自分が希望して、やりたくて」
「でも言えなくて」
「諦めかけていたことを」
「友達が誘ってくれたのです」
「驚き、嬉しくて」
「すぐに飛びつきそうになりましたが」
「女の子は言いました」
「歌はいいの?」
「友達は言いました」
「歌は私にとって一番。絶対にあきらめない」
「でも」
「千紘と一緒に高校に行って」
「吹奏楽を一緒にやりたい気持ちも」
「嘘じゃない」
「だから」
「二番目を選んじゃ、いけない?」
「…………」
「多分、女の子は」
「一緒に吹奏楽をやるのも歌と同じくらい大切だよ」
「とか」
「私も楽器を演奏するのが一番好き」
「とか言われても」
「信じなかったと思います」
「その言葉が嘘だということを」
「誰よりも理解できるからです」
「でも、友達は」
「一番は歌だ、と言い切りました」
「その上で、二番も本物だと言って」
「二番を選びました」
「それが本当に嬉しくて」
「嬉しくて」
「女の子は最高に幸せでした」
小早川千紘が、どうぞ、と。
榊原美冬に渡す。
「そうして二人は」
「青葉野高校に進学し」
「吹奏楽部に入部し」
「ひとりはオーボエ」
「ひとりはクラリネット」
「一生懸命練習して」
「三年生のときには全国大会にも出場して」
「本当に楽しい高校生活を」
「過ごしました」
「そして今は」
「歌手になるための練習をしながら」
「騒がしくて生意気な後輩に」
「歌を教えているのです」
「おしまい」
「だから」
「七菜の最初の質問」
「どうして吹奏楽部でオーボエを吹いているのか」
「答えは」
「大好きな友達と一緒に吹奏楽部で演奏をしたかったから」
「それだけ」
「それだけ?」
「それだけ」
「それ以外に何がいるの?」




