第75話
「だが、この高貴なる俺様の名前の存在を覚えていたことだけは、褒めてやろう。よくぞ愚鈍な貴様の脳に、俺様の存在を刻み込んでいた」
そう言って、アーングレフ公爵は傍聴席の一番後ろから、我が物顔で私たちの方へと向かってくる。
まるで、近くにいる他の貴族が目に入っていないかのような振る舞いだ。
だがその歩みは、決して止まることはない。
何故ならアーングレフ公爵の進行方向にいる貴族たちが、我先にとこぞってその場から退避しているからだ。
そのさまはさながら、海の水を割り、その中を歩いてくる聖者を思い起こすような光景だった。
しかし、こちらに向かってくる存在は、聖者とは真逆に位置するような存在だ。
傍若無人にして傲慢不遜。
傲慢無礼にして唯我独尊。
それが、アーングレフ・スタルギソン公爵という存在だった。
そして、そういった振る舞いを許されている存在でもある。
何故ならアーングレフ公爵は、あのジメンドレ前公爵夫人の従弟なのだ。
そのジメンドレ前公爵夫人は、ハイニクト第二十三王子の言葉を借りれば、穏便に王族から追放された血筋に連なるもの。
その体に流れる血は、決して王族と並び立つことは出来ない序列となっている。
しかし――
……逆に言えば、王族の次に連なる血筋ということですわ!
そしてその血を引いているからこそ、アシュはラルヴァ男爵に狙われることになったのだ。
それと同列、いや、アシュよりも厄介に振る舞うその存在を前にして、流石のラルヴァ男爵も狼狽えている。
「あ、アーングレフ公爵様! い、一体つから?」
「いつから、だと? ふんっ、愚図に愚鈍を相手に裁判を起こした相手は、それ以下の無能であったか。高貴なる俺様が最初からこの場に居合わていたことぐらい、そこの愚図に愚鈍はすぐに気づいていたぞ」
その言葉に、今まで無言を穿いていたユーリックブレヒトも苦笑いを浮かべる。
確かに私たちは、最初からアーングレフ公爵の存在に気付いていた。
裁判が始まった時、私は辺りを見回している。
その時傍聴席には王族の姿がないことは確認していたし、その中で最も発言権を持つ存在は公爵だと、つまり、王族の血筋を引いているアーングレフ公爵だと、認識していた。
「クラムラクモリック伯爵。悪いがこの場は、高貴なる俺様が預からせてもらうぞ」
「ご随意に」
「お、お待ち下さい、アーングレフ公爵!」
頭を下げるクラムラクモリック伯爵をよそに、ラルヴァ男爵が焦ったように口を開く。
男爵からすれば、ここでアーングレフ公爵に横槍を入れられるのは、たまったものではないのだろう。
ただでさえ予定通りユーリックブレヒトを有罪に出来なかったのに、その上アーングレフ公爵に掻き回されたのでは、もはや話の主導権を握るどころの話ではない。
アーングレフ公爵の気まぐれで、今まで積み上げてきた男爵の企みが、一瞬で水の泡になる可能性もあるのだ。
それを防ごうと、必死になってラルヴァ男爵は口を開く。
「アーングレフ公爵様が、とても尊いお方であることは、重々承知しております。ですがこの場はクラムラクモリック伯爵が取り仕切るよう、王族の方々から権限も移譲されております。いくら公爵といえども、このような勝手をなされては、王族の方々への反逆行為と受け取られかねませんぞっ!」
「無能は、やはり記憶力も無能だな。思い出してみるがいい。クラムラクモリック伯爵が、自身で預かっている権限について口にした内容を」
それは、こういったものだった。
『静粛に、静粛に! 本裁判については僭越ながら、このクラムラクモリック・スルバルムが裁判官を務めさせて頂きます。なお、伯爵である私が私よりも位の高い爵位をお持ちであるお方を裁くことのご許可を、王族の方々から一時的に権限をお預かりして実施させて頂きます』
「クラムラクモリック伯爵が王族から移譲された権限は、この裁判の全ての責任を負うことではない(・・・・・・・・・・・・・・)。伯爵よりも位の高い爵位を裁く権利のみよ!」
そうだ。
流石に私も、クラムラクモリック伯爵が王族からユーリックブレヒトの裁判の全ての権限を移譲されていたのなら、アーングレフ公爵を呼ぼうとは思っていない。
しかし、クラムラクモリック伯爵は、あのハイニクト第二十三王子が用意した『公平な判断が出来るもの』だ。
ならば公平なのは伯爵の性格だけでなく、彼が振るう権限自体がフェアになっていなければおかしい。
そして事実、クラムラクモリック伯爵は公平な裁判官だった。
何故なら彼をこの裁判の裁判官に据えることで、ユーリックブレヒトを告発したラルヴァ男爵は彼を裁くことも出来るし、訴えられたユーリックブレヒトと彼を弁護する私は、いや、私たちはアーングレフ公爵をこの裁判に巻き込むことで、訴えたラルヴァ男爵を公平に(・・・)裁くことが出来るようになっているのだから。
そう思っている私をよそに、ラルヴァ男爵が顔を蒼白に染める。
「そ、そんな……」
「理解したか? もっとも無能な貴様には、この高貴なる俺様の考えていることの、その一端すら理解することすら難しいのかもしれんがな」
アーングレフ公爵が男爵を睥睨した後、すぐに蔑みの視線をユーリックブレヒトへと向けた。
「だが、無能も無能だが、愚図も愚図だ。わざわざ無能の無益で無駄で無意味な主張を聞かずとも、高貴なる俺様の従姉が病死であったことをさっさと公表していれば、このような問題に巻き込まれることもなかったものを」
「……すぐにその真相を打ち明けてしまえば、使用人たちがいつまでもジメンドレに囚われ続けていたでしょうから」
そう言った後、ユーリックブレヒトは更に言葉を重ねる。
「俺を含めて、ジメンドレに虐げれていない人間は、あの屋敷にはいませんでした。復讐を考えていない使用人の数の方が少なかったでしょう。それなのに、ジメンドレは天寿を全うした。憎んだ相手に恨みを晴らさず逝かれたとなれば、彼らはこの先、その遺恨を抱えながら生きていかなくてはならなくなる」
そう言ってユーリックブレヒトはやるせない表情で、首を振った。
「だから俺は、たとえそれがありもしない幻想であったとしても、ジメンドレを打倒した英雄として使用人たちに担がれることを選んだのだ。そうすれば皆、少しでも前向きな未来を歩んでくれると、そして時間が経てばジメンドレの死んだ様子から矛盾に気づき、俺が殺していないと気付いてくれると信じて、な」
「愚図な貴様らしい考えだな! それで六年も盲目的に信仰され、アシュバルムを危険に晒す原因を作るとはっ!」
「返す言葉もない。ジメンドレに対してだけでなく、その憎悪がアシュバルムに向くことになることまで考えが及ばなかった、全ては俺の落ち度だ」
「ユーリックブレヒト様……」
トデンダーとオスコが沈痛な面持ちで、うなだれるユーリックブレヒトを見つめる。
だが、それらが目に入っていないとばかりに、アーングレフ公爵は口を開いた。
「さて、愚図の滑稽な独白を聞くのはこれぐらいにして、本題に入ろうか。つまりは高貴なる俺様の、従甥の処遇についてよ」




