第76話
「アーングレフ公爵様! 僭越ながら申し上げさせて頂きますが、この裁判はユーリックブレヒト公爵様の罪を問うものでして、アシュバルム様の今後につきましては――」
「黙れ、無能が。貴様がコソコソと無い知恵を絞って、高貴なる俺様の従甥を我が物にしようとしていることぐらいお見通しだ。そもそもお前が起こしたこの裁判は、そこの愚図がアシュバルムを不当に自らのものにしようとした責を問おうとするものであろう? ならば、高貴なる俺様の従甥の処遇の話をせずして、一体何の話をすればいいというのだ?」
アーングレフ公爵に真正面から意見をたたっ切られて、ラルヴァ男爵は歯が欠けんばかりに歯ぎしりする。
それを見て、私は嘆息した。
……そもそもアーングレフ公爵はアシュを特別視しておりますもの。そのアシュに手を出したラルヴァ男爵に対して、好意的な意見を持っているはずありませんのに。
だが相手は長年アシュを狙っていただけのことはあり、直ぐに諦めようとはしなかった。
「ですが、アシュバルム様を今吾輩の屋敷にお迎えすることになったのは、王族の方もお認めになられております。いくらアーングレフ公爵様とはいえ、王族の方の決定に異を唱えるというのはどうかと思われますが?」
「黙れ、と言ったのが聞こえなかったのか?」
射殺さんばかりに目に力を入れて、アーングレフ公爵がラルヴァ男爵を睨む。
「その王族が、愚図の処遇を決めるために定めたのがこの裁判だ。そしてこの場に王族の連中が出張ってきていないというのであれば、現場に判断を委ねるということよ。つまりこの裁判は、王族も俺様が裁くことも許容している、ということに決まっている」
そう言ってアーングレフ公爵は、腕を振る。
「もう無能の時間稼ぎに付き合う必要もあるまい。高貴なる俺様の従甥を、今すぐ入廷させることを俺様は求める!」
「アシュバルム・ハーバリスト様を、この場に」
木槌を叩くクラムラクモリック伯爵を、ラルヴァ男爵が驚いたように振り向く。
「そ、そんな馬鹿な! アシュバルムは今頃吾輩の家に――」
「やはり無能だな。どうやらその耳は飾りらしい。言ったはずだ。もう時間稼ぎに付き合う必要もない、と。そもそも俺様は、この裁判の最初からいたのだぞ? その時には既に貴様の屋敷から高貴なる俺様の従甥を連れてくるよう口添えしていたに決まっている」
「そ、そんな……」
膝から崩れ落ちるラルヴァ男爵を、アーングレフ公爵は睥睨した。
「それにしても、グルスドレーラーの尋問は酷かった。血を使って高貴なる俺様の従甥をどうこうしようと考えつくなど、愚の骨頂。そこの愚図と愚鈍が貴様と相対していなければ、俺様が即刻叩き切っていた所よ」
それから暫くもせず、部屋の扉が開かれた。
そこから現れたのは――
「お母様、お父様!」
「アシュっ!」
「アシュバルムっ!」
駆け寄ってきた愛しの息子を、ユーリックブレヒトと一緒に抱きしめる。
一年も離れていたわけではないのに、もう百年も会っていなかったように感じられた。
前に会ったときよりも伸びている息子の髪を見て、目尻に涙が浮かんでくる。
「ああ、アシュ。ごめんなさい。私達が不甲斐ないばかりに」
「体は大丈夫か?」
「うん。その、ずっと寂しかったけど、今お母様とお父様に会えたので、もう大丈夫っ!」
その言葉に、もう一度アシュを力いっぱい抱きしめた。
この腕の中にあるぬくもりを、もう二度と離さないと、心に誓った。
そう思ったのは、どうやら私だけではなかったらしい。
ユーリックブレヒトと目を合わせて、二人で笑い合う。
「さて、既に結果が出ているようではあるが、俺様が裁くと言った以上、結論を出さねばならん」
抱き合った私達の傍に、アーングレフ公爵が歩み寄る。
そして公爵はアシュに向かって、優しげに微笑んだ。
「高貴なる俺様の従甥よ。今ならまだ、お前の両親をその愚図と愚鈍から変えることも出来るが、どうする?」
「いいえ、絶対に変えません!」
そう言ってアシュは、アーングレフ公爵の目を真正面から見つめる。
そしてはっきりと、口を動かした。
「僕のお母様とお父様は、お母様とお父様だけですっ!」
「相わかった。ならば、愚図を弁護する愚鈍よ。無能が開いたこの茶番劇に幕を引くがいい」
「ええ、わかりましたわ」
名残惜しいが、抱いているアシュを残して私は立ち上がる。
そんな私の手を、愛する息子が直ぐに握ってくれた。
アシュの方を振り向くと、彼はもう片方の手でユーリックブレヒトの手を握っている。
そして、こちらに笑いかけてくれた。
……今はもう、誰が敵であっても負ける気がしませんわね。
心に浮かんだその考えが事実だと告げるように、私は口を開く。
「私、セラ・ハーバリストはここに宣言いたします。ラルヴァ男爵の主張は、完全な誤りである、と。だってユーリックブレヒトが、アシュを不当に自分のものにしようとしていたわけがありませんもの」
だって――
「だって私の夫は、これ以上無いほど自分の息子を愛しておりますもの」
「だったら、お母様は僕のことをどう思っているの? お父様」
「それはもはや自明だろう」
そう言いながらも、ユーリックブレヒトはアシュに問われた答えを、直ぐに口にした。
「セラはアシュバルムを愛しい息子だと思っている。そんな、最高な俺の妻だ」
「では、結論を言い渡します」
クラムラクモリック伯爵は木槌を鳴らして、ハッキリと言葉を作った。
「この度開かれたユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵様に対する訴えは、否決。よってユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵様の、無罪を言い渡します」
その言葉に、部屋が爆発したのではないか? と錯覚するほどの声が上がった。
それはラルヴァ男爵に協力していたものの悲鳴であったり、勝ち目がないと思っていたユーリックブレヒトが勝利を掴んだ称賛であったりと、様々だった。
そんな中、膝をついていたラルヴァ男爵が両脇を抱えられて、憲兵に連れて行かれる。
「裁判のためとはいえ、あの無能、犯罪者まで引っ張り出してきたわけだからな。結果を出して有耶無耶にしようとしたのだろうが、出なければ罪にも問われよう。余罪も、これからたっぷり出るだろうがな」
アーングレフ公爵の言葉を聞きながら、再び連行されていくオスコとトデンダーを見送る。
同じく証人に呼ばれていたグルスドレーラーが、私達の脇を通過した。
そんな彼を、アシュが不思議そうに見上げる。
その視線に気づき、グルスドレーラーも彼に視線を向けた。
「幸せ?」
「え?」
精神が壊れているグルスドレーラーから脈略のない言葉を受けて、アシュが戸惑いの表情を浮かべる。
それを全く気にした様子もなく、彼はもう一度同じ疑問を口にした。
「君は、今幸せ?」
「はい。幸せです」
アシュは私とユーリックブレヒトの手を握る力を僅かに強めながら、言葉を重ねる。
「だって僕には、お母様とお父様がいるから!」
「そっかぁ」
そう言ってグルスドレーラーは、笑顔を浮かべる。
「それなぁ、ボクも幸せだぁ」
「おい、行くぞ」
「ばーいばぁい」
憲兵に連れて行かれるグルスドレーラーから視線を外し、アシュがこちらに振り向く。
「ねぇ、お母様。僕、またお母様と一緒に暮らせるの?」
「そうよ、アシュ」
「お父様も一緒?」
「もちろんだ」
「えへへっ、やったぁ」
天真爛漫に笑うアシュを見て、心の中が本当に暖かくなる。
そこからはユーリックブレヒトにかけられていた嫌疑の事後処理をしたり、ユーリックブレヒトの帰還に喜ぶソルヒやショルミーズたちと一緒に足りなくなった使用人の代わりに屋敷のことをしたりと、慌ただしい日常が続いていった。
それだけでなく、ハイニクト第二十三王子に厄介事を押し付けられたり、スローの下へ遊びに行った際グルクルトス教の第十二幸座の陰謀に巻き込まれたりしするのだけれど、その度に私は、いえ、私達は、困難に打ち勝つのだった。
だって私の傍には、愛しい息子がいて。
愛する旦那も、傍にいてくれるのだから。




