第70話
ラルヴァ男爵の言葉に、傍聴席がざわめき始めた。
「何だと? あれが、アシュバルム様の?」
「その、なんというか、独特なお方だな」
「だが、そうなるとあのお方は、ジメンドレ前公爵夫人の前の旦那という事になるぞ」
「離婚しているとはいえ、元公爵という事になるのか?」
「いや、そもそも、本当にあの男がアシュバルム様の実の父親なのか?」
周りから聞こえてくる疑問の声に、ラルヴァ男爵は満足げに頷く。
「確かに、皆様の疑問はもっともなものです。ではその疑問についても、質疑の方で解決していきましょう。クラムラクモリック伯爵。始めてもよろしいですかな?」
「わかりました。証人への質疑を開始してください」
クラムラクモリック伯爵の木槌が二度、三度と鳴り、ラルヴァ男爵がグルスドレーラーに問いかける。
「では、最初の質問だ。グルスドレーラー。君の出身を教えてもらえるかな?」
「出身、ってなぁに? オジチャン」
「……君の生まれた場所のことだ」
「ああ、それね! それはねぇ、ボクはねぇ、海が見えるところに住んでたのっ!」
「彼は、ブーラレジア海洋領邦出身ですな。ジメンドレ前公爵夫人との婚姻関係を結ぶ前の名前は、グルスドレーラー・グレルムという」
そう言ってラルヴァ男爵は、懐から書類を取り出した。
そしてそれを、クラムラクモリック伯爵に渡す。
伯爵は首を傾げながら、ラルヴァ男爵へ問いかけた。
「こちらは、何の書類ですかな?」
「ブーラレジア海洋領邦から取り寄せたグルスドレーラーの出産届の写しと、クロッペンフーデ大王国の貴族の離婚届の写しです」
「離婚届に記載されている名前は、証人であるグルスドレーラー氏に、ジメンドレ前公爵夫人のものですな」
「これでグルスドレーラーが、ジメンドレ前公爵夫人とかつて婚姻関係にあったブーラレジア海洋領邦の人物である、という証明は出来たでしょう」
ラルヴァ男爵の言葉に、傍聴席の貴族たちは感心したように頷く。
「流石ラルヴァ男爵ですな」
「その辺りは抜かりない、という事なのでしょう」
「ですが、だとするとラルヴァ男爵は、一体何故アシュバルム様の実の父親を証人として呼んだのだ?」
その疑問に答えるように、ラルヴァ男爵はグルスドレーラーへ問いかける。
「グルスドレーラー。ジメンドレ・ハーバリスト公爵夫人という名前に心当たりはあるかね?」
「……キライ」
「何?」
「ボク、その人キライ! 聞きたくないっ!」
「耳にタコができる程聞いている名前、ということでしょう」
両耳を抑えるようにしてその場でうずくまるグルスドレーラーをよそに、ラルヴァ男爵は証人席の周りを歩き出す。
「あなたは僅かな間だが、ジメンドレ前公爵夫人と結婚関係にあった」
「イヤって言ってるでしょ? やめて、オジチャン!」
「夫婦なのですから、肉体関係もあったでしょう」
「やめて! ボク、思い出したくない!」
「その結果、ジメンドレ前公爵夫人はあなたとの間に子供を授かった」
「こ、ども?」
そこで初めて、グルスドレーラーの瞳に、一瞬だけ理性の色が灯る。
「ボクの、子供。アシュ、アシュバルム……」
「そうだ。お前の子供だ」
ラルヴァ男爵が、グルスドレーラーに詰め寄る。
「お前は、アシュバルム様の父親だ。そうだな?」
「アシュバルムは、ボクの、子供……」
「お前は自分の子供と、一緒に過ごした事はあったか?」
「な、い。ボクは、すぐに、あいつに、捨てられた、か、ら……」
「ならば、これから先、子供と一緒にいたいよな? 父親なのだから。そうだよな!」
「ち、ち? あの子が、幸せ、なら、ボク、は……」
そこまで言って、グルスドレーラーの首ががくんっ、と傾いた。
そして顔が再び持ち上がってきたときには、彼の瞳の色は、元に戻っている。
「あはははははははははっ! ボク、ムズカシイこと、よくわかんないなぁ」
「……ちっ、この気狂いが。もう少しだったというものを」
ラルヴァ男爵が傍聴席と裁判官席から見えないように、顔を歪めてそう吐き捨てた。
だがすぐに表情を取り繕うと、すましたように口を開く。
「では、質問を変えよう、グルスドレーラー。子供は親と一緒にいるべきか?」
「もぉ、オジチャン、さっきボク、言ったでしょ? ムズカシイことは――」
「君は、お父さんとお母さんと一緒にいたいかね?」
「うん、それはもちろんっ!」
「皆さん、聞きましたかな?」
そう言うとラルヴァ男爵は、もうグルスドレーラーの役割は終わったとばかりに、彼に背を向けて傍聴席へ手を広げる。
「こちらのグルスドレーラーは、王族の方々の血統に連なるアシュバルム様の実の父親は、吾輩がアシュバルム様のために見つけ出したときには、残念ながらすでにこの様に心を患われている状況でした。保護し、吾輩の家で治療を行いましたが、状態の改善は見込めず……」
……全く、白々しいですわね。
そう思いながら、私は思わず鼻を鳴らす。
グルスドレーラーは、ジメンドレ前公爵夫人に捨てられた時には、もうあの様な状態だった。
そしてそれは、ラルヴァ男爵も知っていたことだろう。
権力者であり、王族の血筋に連なるジメンドレ前公爵夫人の傍若無人な振る舞いを全く話題にせず、なかったことのように振る舞う欺瞞。
更に言えばラルヴァ男爵は、グルスドレーラーの治療などしていないだろう。
もし彼が正気を取り戻してしまえば、今ここでせっかくユーリックブレヒトを排除しても、グルスドレーラーがアシュの親権を主張する可能性がある。
アシュを手に入れるため、わざわざユーリックブレヒトを断罪する裁判を開いたラルヴァ男爵が、自分に不利になるようなことをするとは、到底思えない。
おもねる相手を間違えないという点で、ラルヴァ男爵は、ある種の清々しさすら感じさせるほどの徹底っぷりを発揮していた。
そして今までのラルヴァ男爵によるグルスドレーラーへの質疑で、この後どの様な話が展開されるのかわかっている。
その予想通りの言葉を、ラルヴァ男爵は口にした。
「ですが、皆さん、お聞きになりましたでしょう? この様な状態でありながら、彼は、アシュバルム様の本当の父親は、子供は親と一緒にいるべきだと、そう言ったのです」
そう言った後ラルヴァ男爵は、まるでこの世のスポットライトは自分以外照らしていないと本気で思っているかのように、渾身の演技をする。
「この裁判が終わった後、王族の方々の血統に連なるアシュバルム様はユーリックブレヒト公爵の魔の手から開放されます。ですが、その後彼はどうなるのでしょう? 親しい人もおらず、一人ぼっちで過ごすのでしょうか? いえ、そんな事はありません! そんな事は、吾輩がさせない! 子は親と一緒にいるべき、その通りではありませんか! ならばアシュバルム様は、本当の父親であるグルスドレーラーとともにあるべきです! そう、彼を保護している、吾輩の家でこれから生活すべきなのです。ずっと、死ぬまでね」




