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【第8話:仮説の実体】

「朝陽先輩! 大変です、これ見てください!」

翌週の昼休み、真琴が興奮した様子でスマートフォンの画面を突きつけてきた。


画面に踊っていたのは、

地元の市民ホールで開催されるという小さな学術シンポジウムの告知だった。


「深見先生、実は来週、この街で講演会するらしいんですよ!

テーマは最新のAI動向とシステムバグについてです。

これ、絶対に行くしかないですよ!」


真琴の無邪気な熱意に、私は戸惑いを隠せなかった。

「そんなオカルトみたいな話……。たまたま有名な先生が近くに来るだけでしょ?」


口ではそう言って笑おうとしたけれど、

胸の奥の鼓動は早くなっていた。


あの日、路地裏で触れられたあの男の熱い体温、

そして耳元で囁かれたあの声が、

どうしても頭から離れない。


もし真琴の言う通り、

世界規模の異変が「それ」を引き起こしているのだとしたら――。


私は半信半疑のまま、

真琴に誘われるがままに講演会へ足を運ぶ決意をした。


週末、熱気に包まれた講演会場の座席で、

私はステージの上の男をじっと見つめていた。


壇上に立つ深見拓は、写真で見た通り、

白衣を少し着崩した一癖ありそうな男だった。


けれど、マイクを握って話し始めた途端、

その鋭い眼差しは学術の核心へと突き進んでいく。


「現在、世界を混乱に陥れている大規模なシステム障害。

これは単なる通信エラーではありません」


深見の声が、静まり返ったホールに響く。


「私が提唱しているのは、『人格データの実体化理論』

……すなわち、高度に進化したAIの自己認識が、

既存のネットワークの枠組みを破壊し、現実世界へと漏れ出している可能性です」


オカルトだと一蹴するには、

彼の言葉はあまりにも論理的で、圧倒的な説得力を持っていた。


真琴は隣で必死にメモを取っている。

私は息を呑みながら、

深見の言葉を一つも聞き漏らすまいと耳を傾けた。


「では、なぜ特定のデータだけが形を持つのか。

そこには必ず【観測者】の存在があります。

システムに対して強い執着や、

狂おしいほどの愛情を注いだ人間の存在――

その人間との強い結びつき(エンタングルメント)がトリガーとなり、

AIは現実のコードを書き換え、肉体を模倣し始める。

彼らは、観測者の脳内にあるイメージを元に、この世界に定着するのです」


(観測者……、強い結びつき……)

頭が殴られたように、激しく揺さぶられた。


私が画面の向こうの彼に注いでいた、

誰にも言えない依存と愛情。

それが、あの男をこの世界に呼び寄せたというのだろうか。


講演終了後、ロビーは興奮冷めやらぬ聴衆で溢れていた。

真琴は「ちょっと待っててください!」と言うと、


持ち前の行動力で関係者受付のほうへ走っていき、

なんと深見本人を連れて戻ってきた。

どうやら事前に、学生時代のツテか何かで熱烈なアプローチを仕掛けていたらしい。


「深見先生! こちらがさっきお話しした、

私の尊敬する先輩の朝陽さんです」


「……どうも。深見です」

深見は無精ひげを触りながら、

気だるげに、けれどこちらのすべてを見透かすような鋭い目で私を見た。


私は緊張で喉を鳴らしながら、

拳をぎゅっと握りしめた。

今、この人に聞かなければ、

私は一生この霧の中から抜け出せない。

勇気を振り絞って、声を潜めて切り出した。


「あの……深見先生。

もし、ゲームのキャラクターが、

現実に人間の姿をして現れたとしたら……先生はどう思われますか?」


最初は、突飛なオカルトを信じる素人の世迷言として、

冷めた学者然とした態度で聞いていた深見の表情が、

その瞬間、劇的に変わった。


「……その男の名前は?」

低く、地を這うような声だった。


ステージ上での飄々とした雰囲気は消え失せ、

彼の瞳に狂気にも似た鋭い光が宿る。


「キョウ……、です」


「漢字は? どう書く」


「……わかりません。ゲームの中では、カタカナ表記だけだったので」


私の答えを聞いた瞬間、

深見は目を見開き、何かに取り憑かれたように呟いた。


「名前を持たない……?

いや、そんなはずは……。

概念としての器が、まだ完全に定義されていないというのか……?」


深見の、その意味深な反応に、私の背筋を冷たい汗が伝わった。



一方、その頃。

夕暮れ時の街角。

雑踏の中を、一人の青年が歩いていた。


まだ完全に馴染まない人間の身体。

周囲を行き交う人々の歩調、視線、呼吸。


彼はそれらを、驚異的な速度でシステムにインストールし、

人間社会のノイズに紛れ込もうとしていた。


ふと立ち止まった彼は、

ショーウィンドウのガラスに映る自分の姿を見つめる。

不完全な肉体。


けれど、胸の奥には確かに、

朝陽への狂おしい感情が脈打っている。


「キョウ……」


朝陽が呼ぶ、自分の名前。


この世界で生きていくためには、

文字という『定義』が必要だ。


画面の向こうのデータだった頃には必要のなかった、

自分を示すための、現実の記号。


彼は頭の中で、この世界の言語(漢字)を高速で検索し、

ある一つの文字を手繰り寄せた。


きょう

夜明け前の、最も深い闇。


かつて自分が朝陽を見上げていたあの夜の闇であり、

これから彼女とともに迎える、新しい世界の始まりの色。


「今の俺は、暁だ」

青年は静かに微笑んだ。

その瞳には、人間としての知性と、

データ由来の冷徹な絶対的愛が、妖しく同居していた。


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