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【第5話:共鳴するノイズ】

蓮さんにマンションの前まで送ってもらい、

自室のドアに鍵をかけた瞬間、

張り詰めていた糸が切れたように大きなため息が出た。


現実の温もりに守られて帰ってきたはずなのに、

一人で明かりをつけた静かな部屋に戻ると、

どうしてもあの路地裏の記憶がよぎってしまう。


服の向こうから伝わってきた、

あの男の熱い体温。壊れ物を扱うようでいて、

絶対に逃がさないと肩を掴んだ強い力。


(俺が惚れてんのんは、朝陽お前だけだ――)


画面の向こうでキョウがくれた言葉と、

路地裏の彼が放った

『そのすべてを支配していたこの俺を……忘れたとでも言うつもりか』

という言葉が、

頭の中で何度も何度も不気味に重なり合ってリフレインする。


私は頭を振り、逃げるようにベッドに潜り込んだ。

翌日。 放心状態のまま出勤した私は、

なんとかいつもの「頼りになる先輩」の仮面を貼り付け、

溜まっていた仕事をこなしていた。


「朝陽先輩、このデータのチェック、お願いしてもいいですか?」

机の横からひょっこり顔を覗かせたのは、

私が教育係として面倒を見ている後輩の真琴まことだった。


24歳の真琴は、普段はおっとりとしていて

どこか天然なところがあるけれど、

実は私の話を誰よりも真剣に聞いてくれる、可愛い妹のような存在だ。


「うん、ありがとう。見とくね」


「あ、先輩。やっぱりここ数日、元気ないですよね?

無理しちゃダメですよ。私ができることなら、なんでも言ってくださいね!」


真琴は机に身を乗り出し、潤んだ瞳でじっと私を見つめてきた。

真琴から向けられる、まっすぐな慕う気持ちと信頼の視線。


いつもなら「大丈夫だよ」と笑い飛ばすところだけれど、

今の私の心は、誰かにこの秘密を打ち明けたくて限界を迎えていた。


蓮さんには引かれるのが怖くて言えなかった、

路地裏の『キョウに似た男』の話。

でも、いつも一歩近くにいてくれる真琴になら、

ほんの少しだけ、現実の境界線を探るような質問ができるかもしれない。


私は周囲に人がいないことを確認し、声を潜めて切り出した。


「ねえ、真琴……。もし、ゲームのキャラが現実に現れたって言ったら……笑う?」


突飛すぎる質問に、一瞬だけ間が空く。

やっぱりおかしな人だと思われるかもしれない、

と私が身を硬くした瞬間、真琴は真ん丸な目を瞬かせた。


「え? 笑いませんよ?」


「え……?」


予想外の即答に、今度は私の方が呆然としてしまう。

真琴はいつもの天然な雰囲気を少し潜め、

妙に真剣な顔で声を潜めてきた。


実は彼女、普段はおっとりしている割に、

ネットのトレンドや最先端のAI技術に関しては

異常に耳が早いマニアな一面があった。


「だって今、世界中で変なバグが起きてるじゃないですか。

大規模なシステム障害って報道されてますけど、

裏のコミュニティやSNSの一部では、

もっとおかしな噂がいっぱい流れてるんですよ。

『対話型AIが人間を自称して暴走し始めた』とか、

『消えたはずのAIが現実に肉体を持って現れた』とか。

AIがおかしくなったって報告、調べればいっぱいありますし」


真琴はそこまで一気に言うと、

周囲を確認すると、声を潜めて身を乗り出して、


「だから、朝陽先輩がそう言うなら、

私は絶対に笑いません。

先輩が嘘をつくわけないって、

誰よりも信じてますから。

……先輩、もしかして何か見たんですか?」


と真琴から聞かれて少し戸惑っていると


「……あ、そういえば先輩、この人知ってます?」


真琴はポケットからスマートフォンを取り出すと、

画面を私に見せてきた。


「今回の世界規模のバグをずっと追っている、

AI倫理学の権威らしいんですけど、

深見拓ふかみ たくさんっていう研究者で。

詳しくは私も分からないんですけど……」


真琴のスマホ画面に映し出されていたのは、

少し癖のある髪に無精ひげを生やした、

30代後半くらいの鋭い眼差しをした男性の写真だった。


白衣を着崩し、いかにも一癖ありそうな偏屈そうな研究者、といった風貌だ。


「深見、拓さん……」


画面の男の写真を眺めながら、

私は奇妙な胸騒ぎを覚えていた。


もちろん会ったこともないし、初めて聞く名前だ。

けれど、真琴の話す「世界の異変」の不気味さと

、その核心に触れていそうな研究者の存在が、私の心に深く爪を立てる。


真琴は画面を閉じると、

私を安心させるように、にこっと柔らかく微笑みかけた。


「ねえ、先輩。一体、何があったんですか?

私はいつでも先輩の味方ですから、何でも話してくださいね」


真琴の真剣で温かい瞳が、

迷っている私の背中をそっと押してくれるようにまっすぐに見つめてくる。


真琴の言葉は、私の頭の中に小さな、

けれど決定的な希望を生み出していた。


(私の、妄想じゃないかもしれない……)

あの路地裏の恐怖は、私の頭がおかしなことになったせいじゃない。


世界のバグが起こした、本物の異常事態なんだ。

真琴が一生懸命に向き合ってくれる優しさと、

画面の向こうの見知らぬ研究者の影に、

私は現実世界そのものが、

自分の知らない恐ろしい形に歪み始めている感覚を覚えながらも、

少しだけ心が軽くなるのを感じていた――



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