【第20話:対話の温度】
深見先生が「少し外してくる」と言って研究室を出ていき、
重い鉄の扉が閉まると、部屋には途端に静寂が満ちた。
パイプ椅子に座ったままの暁と、少し離れた場所に立つ私。
電子の眼を封じられ、ただの男の子の姿になった彼とこうして二人きりになるのは、
考えてみればこれが初めてだった。
「……朝陽」
先に沈黙を破ったのは、暁だった。
いつもなら画面の向こうから、あるいは私の背後から突然かけられていたその声が、
今は目の前の空間を震わせて、真っ直ぐに私の耳へと届く。
私は小さく息を呑み、ぎゅっと自分の手を握りしめた。
怖い。ゲームのキャラクターが目の前にいて、私の名前を呼んでいる。
その現実離れした状況への恐怖は、今も完全に消えたわけじゃない。 でも――。
「キョウ……ううん、暁くん」
私は彼の目を見つめ返した。
「私、あなたのことが、今でも怖い。
ゲームの中から出てきたなんて、何が起きているのか、
普通じゃないし、あり得ないって思ってる」
暁の瞳が、微かに揺れる。
傷ついたような、けれど当然の拒絶を受け入れるような、
切ない陰りがその綺麗な顔に落とされた。
彼は何も言い返さず、ただ私の言葉をじっと待っている。
その実直な姿勢が、私の心を少しだけ解きほぐしていく。
「だけど……、分からないからって、
そのまま無かったことにして、
あなたを消してしまうのは、もっと怖いって思ったの」
一歩、私は暁の方へ足を進めた。
「あなたは私のせいで生まれたって言ったよね。
私の言葉や感情が、あなたを作ったって。
……だとしたら、私はあなたから逃げるんじゃなくて、
ちゃんと知らなきゃいけない気がするの」
「朝陽……」
「怖いけど……、知りたい。
あなたがどうしてここにいて、何を考えているのか。
私、あなたと、ちゃんと最初から話がしたいです」
恋愛感情なんかじゃない。
都合のいい受容でもない。
ただ、一人の人間として、目の前で必死に生きようとしている
彼と向き合うという、私の精一杯の決意だった。
暁はゆっくりと立ち上がった。
かつてのように私の行く手を阻むような威圧感は、もうない。
彼は少し戸惑ったように、
けれど愛おしいものを確かめるように、私との距離をそっと縮めた。
「俺も……、話したい。
画面の向こうから、お前の生活を覗き見るんじゃなくて。
お前がどんな風に笑って、どんな風に怒るのか……、
現実の、この距離で、お前を知りたい」
暁がそっと手を伸ばす。その指先は微かに震えていた。
触れれば消えてしまいそうなほど繊細に、
彼は私の頬へと手を伸ばし、そして、触れる直前でピタリと動きを止めた。
また私を怖がらせてしまうのではないかという、
人間らしい「躊躇い」が彼の手を止めていた。
そんな彼の変化を見て、胸の奥がじんわりと熱くなる。
全知全能の支配者ではなく、
傷つくことを恐れる一人の不器用な人間(暁)が、確かにそこにいた。
「怖がらせて、悪かった。……これからは、お前が嫌がることは、絶対にしない」
「うん……」
私は小さく頷いた。
窓の外からは、夕立の去ったあとの静かな街の音が聞こえてくる。
「怖い」という境界線を挟んだまま、
けれど私たちは初めて、互いの意志でしっかりと手を伸ばし合っていた。
朝陽を中心に回り始めた歪な世界の中で、
この小さな部屋の温度だけが、確かに変わり始めていた。




