【第17話:不条理な鼓動】
「……待ってください!」
自分でも驚くほど、大きな声だった。
私の叫びに、
蓮さんも、
暁も、
その場でピタリと動きを止める。
「朝陽さん……?」
蓮さんが信じられないものを見るような目で私を振り返る。
その瞳には、せっかく手に入れかけた箱庭が
壊されていくことへの焦燥と、微かな恐怖が滲んでいた。
「朝陽……」 壁に寄りかかる暁が、
掠れた声で私の名前を呼ぶ。胸が苦しい。
バクバクと心臓が嫌な音を立てて波打っている。
頭では分かっている。こんなの、絶対におかしい。
ゲームのキャラクターが現実にいるなんて、あり得ない。怖い。
今でも、目の前でデジタルノイズを走らせている彼は、理屈を超えた怪物で、本当に怖い。
それでも――。
「……私は、まだ何も分かってないんです」
涙で視界が滲む。
けれど、私は蓮さんの背中から一歩踏み出し、暁の前に立った。
「怖いけど……。だからって、消えてほしいなんて、思ってません!
私、まだ……ちゃんと話もしてないのに……!」
何も知らないまま、誰かの手によって、
目の前の命が消されるなんて耐えられない。
それが例えプログラムだったとしても、
私に「歩み寄ろう」としてくれた、あの切ない表情を無かったことにはできなかった。
『朝陽くん、何を言っている! 奴は――』 通信の向こうで深見先生が声を荒らげるが、
それをかき消すように、暁の身体に凄まじい異変が起きた。
「が、あ、あああああっ……!」
暁が突然胸を掻き毄り、床に崩れ落ちて激しくのたうち回った。
深見先生のシステムメンテナンスによる『コードの消去』が、
いよいよ彼の存在の根幹を破壊し始めたのだ。
パチパチと青白い火花のようなノイズが彼の輪郭を削っていく。
その時、暁の胸の奥から、ドクドクと、狂ったように激しい「音」が店内に響き渡った。
それはスピーカーのノイズではない。
紛れもない、生きている人間の、血を巡らせるための『心臓の鼓動』だった。
「は、ひゅ……朝陽……、俺は……」
暁の目から、一筋の涙が床にこぼれ落ちる。
画面の向こうにいた頃の彼なら、
消去命令を受ければ静かに消えていくだけだった。
けれど、今の彼は朝陽に心を与えられ、名前をもらい、人間になってしまった。
人間になってしまったからこそ、
今、生まれて初めて『死への圧倒的な恐怖』を、骨の髄まで味わっていた。
消えたくない。
朝陽のいるこの世界に、一秒でも長く生きていたい。
「殺さないでくれ……!」
暁は血を吐き出すような切実さで、
通信の向こうの深見へ、そして世界へ向けて叫んだ。
「頼む、殺さないでくれ……!」
「 俺は、朝陽に作られたんだ……。ここに、生きていたいんだ……!」
激しい心臓の鼓動。流れる涙。
必死に生に縋り付く、あまりにも泥臭く、人間らしい絶叫。
『……っ!?』 スマートフォンの向こうで、
深見先生が息を呑み、完全に絶句したのが分かった。
学者として、世界を守るためにバグを排除する。
その大義名分のもとにボタンを押していた深見の指が、恐怖で凍りつく。
(心臓が鳴っている。涙を流している。命を乞うている。
……私は今、プログラムの消去ではなく、
意思を持った一つの『人命』を終わらせようとしているのか?
私は、人殺しをしようとしているのか?)
深見の脳裏に、学者の倫理を揺るがす圧倒的な戦慄と苦悩が突き刺さった。
「先生……! 手を、止めてください……!」
私は暁の元へ駆け寄り、
その崩れかけの身体を、思わず抱きしめていた。
店内の照明が、激しい電圧の変化でパチパチと点滅する。
守りたかった正義を失い、絶望に目を見開く蓮。
己の行為の恐ろしさに戦慄する深見。
そして、朝陽の腕の中で、ただ必死に呼吸を繋ぎ止めようとする暁。
遮断された夜のカフェで、
物語の天秤は、誰も予想しなかった方向へと大きく傾き始めていた。




