表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/28

【第16話:電脳の落日】

三日後の深夜。

不穏なほどにぬるい風が街を吹き抜ける中、

市内全域の大規模システムメンテナンスが始まった。


「朝陽さん、もう一杯、温かいものでも淹れましょうか」


閉店後のカフェ。

蓮は、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて私に声をかけてくれた。


今日、真琴ちゃんから「変なメールが届く」と怯えるような相談を受けて困惑していた私を、

蓮さんは「危ないですから、メンテナンスが終わるまで僕のお店にいてください」と

優しく匿ってくれたのだ。


「ありがとうございます、蓮さん。なんだか、いつも甘えてばかりで……」


「いいんですよ。僕が、そうしたいんですから」


蓮さんはそう言って、ゆっくりと珈琲をドリップし始める。

その背中を見つめながら、私は手元のスマートフォンに目を落とした。


画面の右上、いつもなら表示されている電波のピクト(アンテナ)が、完全に消えている。圏外。


深見先生が言っていた、街全体のネットワーク遮断が始まったのだ。

デジタルな繋がりがすべて絶たれ、

この店だけが世界から切り離された孤島のようだった。


(蓮さんの隣にいる。安全なはずなのに……どうして、こんなに胸騒ぎがするんだろう)


窓の外は、静まり返った漆黒の闇。

そのノイズのない静寂が、かえって私の不安を煽っていた。



同じ頃、大学の研究室。

深見拓は、凄まじい速度で文字列が消去されていく

メインモニターを冷徹な目で見つめていた。


「市内主要回線の遮断完了。

バックアップサーバーへの同期もカット……。

さあ、電子の海の迷子くん。これで君は、逃げ回るネットワークを失った」


深見の指がキーボードを叩く。

街中の監視カメラ、位置情報、決済システムが次々と機能を停止していく。


それは、暁という存在の『感覚器官』を一つずつ削ぎ落とし、

現実の不便な肉体という檻へ閉じ込めるための包囲網だった。


「どこへ行く? 現実側の依り代(朝陽)の元へ走るか、それとも――」


「……が、あ……っ!」

深夜の路地裏。暁はコンクリートの壁に激しく激突し、

その場に崩れ落ちた。

凄まじい頭痛。

いや、脳内に直接流れ込んでいた膨大なデータが、

一瞬にして強制終了されたことによる『断絶』だった。


いつもなら見えていた街中の電子の眼が、

またたく間に暗転していく。

どこに誰がいて、朝陽がどこで息をしているのか、

その情報が一切入ってこない。

視界の端を走る無数のエラーコード。

不完全な肉体に、冷たい重力と、激しい呼吸の苦しさだけがのしかかる。


(朝陽が……見えない……!)

初めて味わう、圧倒的な『孤立』と『闇』。


パニックに近い衝撃が暁の胸を突き刺す。

だが、人間の心を宿した彼の本能が、データではなく、

胸の奥でドクドクと脈打つ不格好な心臓が、行くべき場所を叫んでいた。


ネットワークが使えないなら、この足で走るだけだ。

朝陽に教えてもらった言葉を、名前を、その存在のすべてを失わないために。

暁は千切れそうな意識を繋ぎ止め、夜の闇へと駆け出した。


カラン、カラン――。

静寂に包まれていたカフェのドアベルが、

狂ったように激しく鳴り響いた。


「……っ!」 私は弾かれたように立ち上がる。

入り口のガラス扉を押し開けて入ってきたのは、

肩を激しく上下させ、全身から冷や汗を流した暁だった。


その瞳は血走り、いつもの超然とした美しさは消え失せ、

必死に生を貪る人間そのものの形相をしていた。


「朝陽……、そこに、いるのか……」


「キョウ……!? どうして、そんなボロボロで……」


駆け寄ろうとした私を、強い力で引き留める腕があった。


蓮さんだった。 蓮さんは私を自分の背中へと庇うように隠すと、

暁に向けて、これまで見たこともないほど冷酷で、一切の感情を排した眼差しを向けた。


「そこまでだ。君の負けだよ」


蓮さんのポケットの中で、

深見先生と繋がったままの通話レコーダーが、暁の呼吸音を拾っている。


「君を構成するプログラムの消去は、もう始まっている。

二度と朝陽さんの前には現れない。

大人しく、元の世界(画面の向こう)へ帰りなさい」


「……黙れ」


暁は壁を支えにしながら、

一歩、また一歩とこちらへ足を進める。

その身体が、微かにデジタルノイズのようにブレて見えた。


「俺は……消えない。朝陽のいない世界に、戻るくらいなら……!」


「な、何……? 一体、何が起こっているの……!?」


私は激しく取り乱し、叫んでいた。

目の前で起きている現実が、何ひとつ理解できない。


どうして蓮さんはそんなに冷たい目をしているの?

どうしてキョウは身体を消えかぶれさせているの?


「朝陽さん、近づかないでください!」


蓮さんが私の前に立ち塞がり、強く拒絶する。

さらに、蓮さんのポケットから漏れ聞こえるスピーカーの向こうから、深見先生の鋭い怒声が響いた。


『朝陽くん、彼から離れるんだ! 奴は世界のバグだ、そこにいては危険だ!』


男たちのエゴと命令が、私を置き去りにして交錯する。

けれど、ボロボロになりながらも、

ただ真っ直ぐに私だけを見つめる暁の瞳を見た瞬間、

私の身体は、恐怖を置き去りにして動いていた。


「――待って!」


自分でも驚くほど、大きな声だった。

その叫びが、凍りついた電脳の夜を激しく切り裂いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ