表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/22

【第15話:箱庭の鍵】

暁が去ったあとの店内には、

ただ激しい雨音だけが残されていた。


蓮はカウンターに両手をついたまま、

しばらく動くことができなかった。

爪がめり込むほど強く握りしめた拳が、怒りと、

それ以上に言葉にできない恐怖で震えている。


『お前のその優しさは、誰のためのものだ?』


『お前も、自分の都合のいい箱庭に、彼女を閉じ込めようとしている』


耳の奥で、あの怪物の、酷く静かで平坦な声がリフレインする。

否定したかった。

僕は彼女を守りたいだけだ、

怯える彼女を救いたいだけだと叫びたかった。

だが、その大義名分のメッキは、暁の鋭い正論によって完全に剥ぎ取られてしまっていた。


(そうだ。僕は、朝陽さんが怯えている姿を見て、どこかで安心していたんだ……)


思い知らされてしまった。

怯え、傷つき、現実の居場所を失いかけている朝陽が、

自分だけを頼りにして、自分の用意した助手席に座ってくれる。


その歪んだ関係性に、歪んだ優越感と満たされていく独占欲を覚えていたのは、

他でもない自分自身だった。


「……最低だな、僕は」


自嘲気密な呟きが、誰もいない空間に溶ける。

自分は正義の味方でも、純粋な献身者でもなかった。

ただの醜いエゴイストだ。


だが――。 蓮はゆっくりと顔を上げた。

窓ガラスに映る自分の瞳には、これまでになかった昏く昏い執着の炎が灯っていた。


(それでもいい)

一度芽吹いてしまった独占欲の種は、

もう引き抜くことなどできない。


あの日、僕の車の中でホッとしたように微笑んでくれた朝陽さんの現実を、

あの得体の知れないバグプログラムに明け渡すくらいなら、

どんなに醜いエゴだと言われようと構わない。


「朝陽さんを、本当に僕だけのものにできるなら……いい人なんかじゃ、いられなくていい」


蓮は迷いを捨てるようにスマートフォンを取り出すと、

登録したばかりの連絡先へと発信した。


コール音は二回もしないうちに途切れ、気だるげな学者の声が響く。


『……私だ。何か進展でもあったか?』


「深見先生」 蓮の声には、もう迷いも、以前のような戸惑いもなかった。

冷徹なまでの決意を孕んだ声に、電話の向こうの深見が一瞬息を呑むのが伝わる。


「例の大規模システムメンテナンスの計画、予定通り進めてください。

あいつを……キョウを、完全に現実から切り離して、排除しましょう」


『ほう。ずいぶんと急だな。何かあったのか?』


「あいつが、僕の前に現れました」


短い沈黙。深見の気配が、一気に研究者のそれへと尖るのが分かった。

『……接触してきたか。奴のコードがどこまで現実に定着しているか見極めるチャンスだな。

だが、現実側の依り代である彼女の安全はどうする?

ネットワークが遮断される時、奴が暴走して彼女を襲う危険性がある』


「朝陽さんは、僕が預かります」 蓮は迷わず言い放った。


「メンテナンスの当日、彼女には僕のところにいてもらいます。

外のノイズからも、あの男からも、完全に隔離された安全な場所に、僕が彼女を隠します。

だから先生は、あいつのコードを確実に消去してください」


電話の向こうで、深見が低く、くくくと笑う気配がした。


『物分かりが良いどころか、随分と積極的になったじゃないか。

……いいだろう。メンテナンスは三日後の深夜だ。

手筈通り、君は彼女を現実につなぎ止めておけ』


「ええ。よろしくお願いします」

通話を切ると、蓮は静かに息を吐いた。


三日後、この街の電波が死ぬ。

その時、朝陽を自分の箱庭へと閉じ込め、あの男を完全に消し去る。

外の雨は、さらに激しさを増していた。


蓮は入り口の鍵が閉まっていることをもう一度確かめると、

暗闇の中にぽつりと浮かぶカウンターを見つめた。

もう、優しいだけの「カフェの蓮さん」には戻れない。

引き返せない共犯関係の引き金を、彼は自らの指で引き絞った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ