表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/22

【第13話:重なるエゴの温度】

ポツ、ポツと、フロントガラスに大粒の雨が当たり始める。

梅雨の終わりの、急な夕立だった。


「朝陽さん、どうぞ。濡れませんでしたか?」

助手席のドアを開け、濡れないように傘を差し伸べてくれた

蓮さんの笑顔は、いつも通り優しかった。


駅からの帰り道、傘を持たずに立ち往生していた私の前に、

まるでタイミングを見計らっていたかのように蓮さんの車が止まったのだ。


「すみません、助かりました……。ありがとうございます」

シートに深く身体を沈めると、

心地よいエアコンの風と、微かな珈琲の香りが私を包み込む。


シートベルトを締める私の手元をそっと見守るようにしてから、

蓮さんは静かに車を走らせた

「あの……いつもお店の近くでしかお会いしないので、

こうして蓮さんの車に乗せていただくの、なんだか少し新鮮です」


緊張をほぐそうと私がそう言うと、

蓮さんは前を見据えたまま、

少し照れたように目元を和らげた。


「あはは、そうですね。

普段はエプロン姿しかお見せしてないですし、

僕の私生活ってあんまりイメージ湧かないですよね。……でも、嬉しいです」


「え?」

信号待ちで車が止まると、

蓮さんはこちらを振り向き、

まっすぐに私の目を見つめた。


「前にお送りした時は、朝陽さん、

本当に怯えていらっしゃったから。

……今日は、ちゃんと僕の隣で、

少しホッとした顔をしてくれているのが分かって。

それが、すごく嬉しいんです」


「蓮さん……」


「僕、朝陽さんが思っている以上に、

あなたのこと心配してるんですよ?

だから、困った時はこうして、

いつでも僕を頼ってください。……約束、ですよ」


悪戯っぽく微笑みながら小指を少しだけ立ててみせる

蓮さんの仕草に、胸がトクンと跳ねる。

以前の「店員と常連客」という安全な境界線から、

彼がそっと、けれど確かに一歩踏み込んできてくれているのが伝わってきた。


「はい。……ありがとうございます」

私が小さく笑うと、

蓮さんは満足そうに頷いて再び車を動かした。


ワイパーが雨を弾く音を聞きながら、

私はぼんやりと窓の外の景色を眺める。


(なんで、私はこんなに安心してるんだろう……)


それは、蓮さんが私に向けてくれる、

真っ直ぐな現実の温もりのおかげに他ならなかった。


けれど、同時に私のスマートフォンには、

深見先生からの頻繁な連絡が入っている。


『体調はどうかな? 例の彼について、何か些細な変化でもあればすぐに教えてくれ』という、

まるで私を監視するかのような、

研究者としての執着を孕んだメッセージ。


真琴ちゃんも「先輩の味方ですから」と毎日のように連絡をくれる。

そして、蓮さんはこうして、

過保護なほどに私を守ろうと寄り添ってくれる。


(……どうして、みんな私のために、こんなに動いてくるんだろう?)


胸の奥に、小さな、けれど無視できない違和感が生まれる。

みんなが私を中心に動き、私を心配してくれている。

その中心にいるはずの自分だけが、

何ひとつ状況を掴めず、

置いてけぼりにされているような、奇妙な居心地の悪さ。


その答えが見つからないまま、

思考は自然と、あの雨のスクランブル交差点の記憶へと向かう。


『前は悪かった。驚かせるつもりはなかったんだ』


きょう」と名乗ったあの青年。

ゲームのキャラクターだった、キョウ。


彼を完全に受け入れたわけじゃない。

ゲームの存在が現実にいるなんて、普通じゃないし、あり得ない。

頭ではそう拒絶しているのに、

あの時、人間の言葉で必死に私に言い訳をしようとしていた彼の、

どこか困ったような、切なげな表情が、どうしても頭から離れなかった。


恋愛感情でも、許しでもない。

ただ、彼を完全に「怪物」として『拒絶できなくなってしまった』のだ。

その曖昧な感情が、私の心を余計に惑わせる。


「朝陽さん? どうかしましたか?」


隣から蓮さんの優しい声がして、私はハッと我に返った。


「あ、いいえ……なんでもないです」 私は無理に笑ってみせる。

どうしてこんなことになっているんだろう……。


雨粒がフロントガラスを滑り落ちていく。

少し離れた場所から、その車を静かに見つめる影があった。


朝陽が笑っている。

……よかった。

あんな怯えた顔じゃない。


少しだけ。本当に、少しだけ。俺たちは前に進めたんだと思った。


『前は悪かった』

『驚かせるつもりはなかった』

あの言葉は、ちゃんと届いていたのだと。


……なのに。

どうして。

どうして、その隣にいるのがお前なんだ。


雨に滲む車内。

助手席で笑う朝陽。

その横顔を見つめる、あの男。


胸の奥が、重く軋む。 これは怒りではない。

まして、支配欲でもない。 もっと醜くて、もっと惨めな感情。

人間になって初めて知った――『嫉妬』。


……奪われたくない。

その想いだけが、雨音のように、静かに、けれど確実に胸の奥へ染み込んでいく。

――次に朝陽が笑う時。

その隣にいるのは、俺でありたい。

ただ、それだけを願っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ