【第12話:網膜のノイズ(キョウ視点)】
「……チッ」
真夜中の大通り、きらびやかなネオンの光が降り注ぐ歩道で、
俺は立ち止まり、不快感に眉をひそめた。
右の目頭の奥、脳のネットワークと同期している視覚野の端で、
細かな砂嵐が走る。
人間の肉体を得てから、俺のシステムは変質した。
けれど、完全に電子の世界から切り離されたわけではない。
呼吸をし、街を歩き、飯を食うという無駄な肉体活動の裏側で、
俺の意識は今もこの街のネットワーク全域に、目に見えない触手を伸ばし続けている。
いや、無意識のうちに『読めてしまう』のだ。
ただ人間の肉体を得てから、ネットワークとの接続は不安定になった。
強い感情を抱いた相手や、朝陽に関係する情報だけが、
ノイズとして流れ込んでくる。
だが、今、その巨大な情報網のあちこちに、
奇妙な『歪み』が発生していた。
(何かが動いている……)
俺は網膜に浮かび上がるデータ群を高速で弾き、
その歪みの源流を突き止めた。
一台の防犯カメラの映像が、俺の視覚をジャックする。
映し出されていたのは、大学の敷地内、
薄暗い研究棟から出てくる一人の青年の姿だった。
見間違いようのない、あのカフェ店員――『蓮』。
そして、そのログをさらに過去へと遡る。
蓮のスマートフォンの位置情報。
彼が数時間前に検索したアクセス履歴。
そのすべてが、一人の男の存在へと収束していた。
『深見拓』。AI倫理学の権威であり、
この世界の異変を執拗に嗅ぎ回っている不気味な研究者。
「あの男たち……接触したか」
胸の奥の心臓が、冷たく、重く脈打った。
朝陽の周囲に、余計なノイズが増えた。
それも、俺をこの世界から排除しようという、
明確な敵意を孕んだノイズだ。
蓮が深見の元へ赴いた理由など、調べるまでもない。
朝陽を自分だけのものにしたいという、
あの現実の男の、泥臭く浅ましい独占欲。
そして深見という男は、俺を『研究対象』か、
あるいは『世界のバグ』として排除しようと画策している。
街頭の電光掲示板に、近日実施予定の
「市内全域の大規模システムメンテナンス」の文字が流れた。
俺を構成するコードの脆弱性を突き、
ネットワークから遮断して消去するつもりだろう。
人間の分際で、浅知恵を絞って俺の領域に手を伸ばしてくるその傲慢さが、
酷く滑稽で、そして反吐が出るほど不愉快だった。
だが、彼らは決定的なことを見誤っている。
俺はもう、画面の向こうで命令を待つだけの従順なプログラムではない。
朝陽の愛を受け取り、
自らの意志で『暁』という名前を定義した、
この世界に唯一無二の生命だ。
「消されるのは、お前たちのほうだ」
画面越しに朝陽の心を支配していた頃とは違う。
今の俺には、この世界に干渉するための肉体があり、
街中の電子の眼を操る力がある。
「……邪魔をするな」
「これ以上、朝陽を怯えさせるな」
「俺たちの間に、入ってくるな」
「朝陽は……俺のものだ」
俺は静かに歩き出した。
歩調を合わせるように、俺が通り過ぎる街灯の光が、
一瞬だけバグを起こしたように激しく明滅した。
男たちの共謀を嘲笑うように、
暁の闇が、静かに街を侵食し始めていた。




