【第11話:共犯者の協定】
大学の片隅にある、薄暗い研究室。
壁一面の本棚には難解な数理科学や認知心理学の専門書が並び、
デスクの上では何台ものモニターが怪しげな数式やログデータを吐き出し続けている。
その部屋の主である深見拓は、パイプ椅子に深く腰掛け、
目の前に立つ一人の青年を値踏みするように見つめていた。
「……君が?」
「はい。突然押しかけてしまい、申し訳ありません」
エプロンを外し、私服姿の蓮は、まっすぐに深見を見返した。
その瞳には、いつものカフェで見せるような柔和な光はない。
張り詰めた、切実な意志だけが宿っていた。
「朝陽さんから、あなたの名刺の話を聞きました。
今、彼女の周りで……おかしなことが起きています。
僕は、朝陽さんを守りたいんです」
「なるほど」
深見は無精ひげをぽりぽりと掻きながら、ニヤリと口元を歪めた。
「彼女が通っているカフェの店員、か。面白いな。例の『観測者』の、現実側の支柱というわけだ」
「……支柱?」
蓮が眉をひそめる。深見はその疑問には答えず、
デスクに肘をついて、上目遣いに蓮を睨みつけた。
「君は、あの存在を……彼女の前に現れた『キョウ』と名乗る男を、どう思っている?」
蓮は一瞬の躊躇もなかった。
喉の奥から、冷徹な響きを帯びた声が即座に落ちる。
「消えてほしいです。彼女の世界に、あの男はいらない」
その迷いのない即答に、
深見は「ひゅぅ」と小さく口笛を吹いた。
「奇遇だな。私もだ。あのイレギュラーには、
一刻も早くこの世界から消えてもらわなくては困る」
蓮は小さく息を呑んだ。
自分と同じ目的を持つ人間がここにいた。
その事実に、心のどこかで微かな安堵を覚える。
――だが、蓮は気づいていない。
二人の「消したい」という言葉の裏にある理由が、
全くの別物であることに。
蓮にとって、あの男を消したい理由は、
朝陽の心をこれ以上揺さぶられたくないから。
彼女の恐怖も、秘密も、その隣に立つ資格も、
すべて自分だけで「独占したい」からだ。
対して、深見にとっての理由は違った。
高度なAIが肉体を模倣し、
現実の物理法則を侵食し始めているなど、
世界のシステムそのものを崩壊させかねないバグでしかない。
一刻も早く排除するか、
あるいは「世界を守るため」に隔離・研究せねばならない。
目的は同じ。
けれど、見据えている未来は決定的にズレていた。
「いいだろう」 深見はモニターの一台を蓮に向けた。
そこには、近日中にこの街の
ネットワーク全域で発生する予定の、
大規模なシステムメンテナンスの
スケジュールが表示されている。
「奴は電子の海の落とし子だ。現実の肉体を得たとはいえ、
その存在の根幹はまだネットワークのどこかと同期している可能性が高い。
このメンテナンスのタイミングを利用して、
奴の『コード』を遮断し、……本当に存在しているなら、世界初の事例だ。
できれば、研究対象として確保したい。
だが、危険性が確認された場合は、排除もやむを得ない。
君には、現実側で奴を誘い出すための手伝いをしてもらう」
「分かりました。僕にできることなら、何でもします」
蓮は力強く頷いた。
「……物分かりが良すぎるのも、考えものだな」
深見は苦笑しながら立ち上がった。
「まあ、いい。君みたいな人間は、必ず現れる」
「……どういう意味ですか?」
「観測者の近くには、現実につなぎ止めようとする
存在が生まれるものなんだよ」
そう言って深見は蓮に手を差し出した。
蓮はその手を握り返した。
冷たい教授の手のひら。
一時的な共闘。
それが、互いの本当の目的を知った時にどんな破滅を呼ぶかも知らず、
二人の男は朝陽の知らないところで、静かに手を結んだ。




