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第27話 戻れない距離

ジェシカが陸上大会で優勝したのは、中1の夏の終わりだった。


その瞬間から、ジェシカの世界は変わった。

もう、元には戻らなかった。


廊下を歩けば、知らない人からも

「ジェシカ、おめでとう!」と声が飛んできた。


そのたびに、ジェシカは笑顔を作った。


けれど、その笑顔は長く続かなかった。

ジェシカの胸の奥に、小さな疲れが積もっていくのを僕は感じていた。


放課後の練習は、これまでの“楽しい時間”ではなくなった。


走る距離は増え、タイムは厳しく求められ、

コーチの声も、以前よりずっと鋭かった。


帰り道に3人と1匹で歩く時間は、

いつの間にか“特別な日”に変わっていた。


帰り道、ジェシカは気づかれないように深く息を吐いた。


「頑張らなきゃ」とささやく声が、僕の耳に届いた。


その声は、どこか自分に言い聞かせているようで、少しだけ苦しそうだった。


遥斗は、そんなジェシカの後ろ姿を遠くから見つめることが増えた。


クロエは相変わらず自由で、

ジェシカの足元をくるくる回っていた。


でも、その横顔はいつもより静かで、

ジェシカの様子を探るように見上げていた。


クロエのその仕草が、

僕の胸の奥の不安を映しているようで、思わず目をそらした。


(……ジェシカ、すごいな)

そう思うたびに胸の奥が、痛々しく少しだけ寂しくなった。


中学1年の夏が過ぎ、秋が深まり、

気づけば冬の冷たい風が校庭を吹き抜けていた。


ジェシカが変わっていくのと同じように、

僕たちの時間も少しずつ形を変えていった。


そして中学2年になった頃、

今度は遥斗たちが忙しくなった。


バスケ部は期待の新人が加入したことにより去年の冬季大会で準優勝。


遥斗と健志は校内で一気に注目され、

練習量は倍に増えた。


「ハル、最近すごいね」


夕焼けの校庭で、

ジェシカはクロエのリードを握りながら微笑んでいた。


その笑顔は、夏の海で見せたものと同じだった。


「いや……そんなことないよ」

遥斗は照れくさくて、視線をそらした。


ジェシカはくすっと笑い、

クロエは尻尾を振った。


でもクロエは、

ジェシカの顔をじっと見つめたままだった。


どこか不安そうに。


その一方で、ジェシカも忙しくなっていた。


陸上の強化選手に選ばれ、

朝練も放課後練習も増えた。


「ジェシカ、最近全然遊べないじゃん」

健志がぼやくと、

ジェシカは苦笑しながら肩をすくめた。


「ごめんね。でも、強化選手って大変なんだよ」


「まあ、ジェシカなら仕方ないか」

健志が笑うと、クロエが“そうそう”と頷くように吠えた。


遥斗はその光景を見ながら、

胸の奥にあった寂しさが、はっきりと形を持ちはじめた。


(……ジェシカ、もっと遠くに行っちゃうのかな)


でも、その気持ちを言葉にすることはできなかった。


それでも——

3人と1匹の時間は、まだ完全には無くしていなかった。


クロエがあいだを取り持つように、

みんなで学期末試験の勉強をしたり、

休日に集まって遊んだり、

笑い合う時間は確かに残っていた。


放課後の教室でジェシカが問題を解けずに頭を抱え、

健志が「お前、運動神経だけの人間かよ!」と突っ込む。


その声にクロエはビクっと反応し、

ジェシカの顔を確かめるように見上げてアイコンタクト。


“まあまあ”と言いながらも、健志のお腹を前足でパンチした。


「なんだよ、クロエ。

 俺が悪いみたいじゃんか」


健志はお腹を押さえながらも、

どこか嬉しそうに笑った。


クロエとジェシカはハイタッチしながら笑った。


その笑顔につられて、教室の空気が少しだけ軽くなった。


遥斗はその光景を見て、

胸の奥がふっとあたたかくなるのを感じた。


(……やっぱり、この時間が好きだ)


ジェシカが笑うと、

クロエも尻尾を振り、

健志が騒ぎ、

遥斗は静かに微笑む。


その全部が、

中2の“幸せな日々”の音だった。


しかし——

その幸せは、少しずつ形を変え始めていた。


ジェシカの周りには陸上部の仲間が増え、

遥斗の周りにはバスケ部の仲間や、

彼を応援する女子たちが集まるようになった。


放課後の校庭で、

ふたりの距離はほんの少しずつ、

気づかれないほど静かに離れていった。


クロエだけが、

その変化に気づいていたのかもしれない。


ジェシカの足元で、

クロエは時々、不安そうに耳を伏せた。


(……大丈夫だよ、クロエ)


ジェシカはそう言って笑った。

でも、その笑顔はどこか弱かった。


遥斗もまた、

ジェシカの背中を見つめながら歩いていた。


その距離は、気づけば当たり前のものになっていて、

もう不安に思うことさえ思わなくなって行った。


——その自然さこそが、

ふたりの“変化”の始まりだった。


中2の夏の大会で、

遥斗たちバスケ部はついに優勝した。


その瞬間から、

遥斗の周りには人が増え、

ジェシカの周りにも人が増え、

ふたりの時間は、

少しずつ、静かに削られていった。


そして——

秋が来た。



あの日までは、

当たり前のように隣を歩いていた。


けれど気づけば、

二人の心には言葉にならない距離が生まれていた。


その時の僕たちは、まだ何も知らなかった。


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