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第17話(最終話) やさしさがつなぐ心のかたち ――「そしてクロエがペロリと舐めた。」

そこから、

ゆっくりと影が立ち上がった。


夢界監査官・ネムロ。

その瞳は、

最初から最後まで、

ただ一人――清瀬 透だけを見ていた。


職員室の空気が――

完全に静止した。

  佐伯先生の驚いた顔

  若い先生たちの揺らいだ表情

  ゆかり先生の伸ばしかけた手


すべてが“止まった”。

  そして――

  遠く離れた家で、

  玄関を見つめる クロエ の瞳もまた、

  同じ“時の間”に繋がっていた。


動いているのは、

たった四人?だけ。


「――清瀬 透。」


その声は、

低く、静かで、

しかし“逃げ場”を与えない響きだった。


「あなたの“観察”は、

 子どもの心を測るものではない。」


清瀬先生の肩が、びくりと震えた。


「あなたが見ていたのは、

 子どもではなく、自分の未来です。


 あなたが正そうとしていたのは、

 子どもの心ではなく、自分の不安です。」


清瀬先生の顔から、

血の気が引いていく。


「や、やめてください……

 私は……私は……

 正しいことを……」


ネムロは一歩、近づいた。


「正しさを語る者ほど、

 その矛盾に気づかぬものだ。」


その言葉は、

刃のように静かだった。


違う……違うんです……


私は……この学校を……


良くしたかった……


エリートを育てて……


評価されて……


出世して……この世界を変えたい……


私は……私は……!


言葉が崩れ、呼吸が乱れ、膝が震えた。


清瀬が言葉を失い沈黙が続いた。



そして、重い口を開いた。

「私は……間違って

   ……いた……のか?」


ネムロは首を横に振った。


間違いではない。


ただ――

あなたは“子ども”を見ていなかった。


それだけです。


その瞬間、

清瀬 透の心が、

音もなく折れた。


膝から崩れ落ち、

床に手をつき、

震えながら呟いた。


「……もう……立てない……

   私は……終わりだ……」


その姿は、

もはや“教師”ではなかった。


ただの、

迷子の大人だった。



ネムロが静かに言う。


「この空間に立てるのは、

 夢界と“接点”を持った者だけ。」


ハルは息を呑む。

ジェシカは涙を拭いながら顔を上げる。


美咲先生は、静かに目を細めた。

「……やっぱり、来たのね。」


ネムロは頷いた。

「美咲……あなたは昔、一度だけ“時の間”を見た。

 だから今も動ける。」


美咲先生は、

ほんの少しだけ微笑んだ。

「……あの時のこと、まだ覚えてるわよ」


ハルとジェシカは互いに顔を見合わせた。


ネムロは二人に向き直る。


「そして君たち」


君たちは“心の奥”で夢界と繋がっている。

だから、止まらなかった。


ハルは震える声で言った。

「……ジェシカを……守れなかった……

  僕……弱いから……」


ネムロは首を横に振った。

「弱さを知る者だけが、“時の間”に立てる。」


ジェシカは、涙の中で小さく笑った。

「……ハルは……弱くなんかないよ……」

「私は、前から知っているよ」


清瀬先生は、床に崩れ落ちたまま震えている。


ネムロが、静かに口を開いた。

「――清瀬 透。」


その声は、

怒りでも、嘲りでもない。


ただ、

真実だけを告げる者の声だった。


「君が、これからどうするかだ。」


清瀬先生の肩が、びくりと震えた。


「私は……もう……何を信じれば……

  何をすれば……」


ネムロは首を横に振る。


「信じるものを外に求める限り、

 君は、また同じ過ちを繰り返す」


清瀬先生は、顔を覆った。

「……私は……子どもたちを……

 利用していた……?」


ネムロは答えない。


「答えを出すのは、君自身だ」


ネムロが静かに言った。


ネムロは続けて、ジェシカへ視線を向ける。


「ジェシカ。

 君はこれから清瀬 透をどう思う?」


ジェシカは涙を拭い、

震える声で答えた。


「……違うんです。

 清瀬先生の言う通り、私は“幼い”ところがありました。

 でも……クロエが私を変えてくれたんです。」


ネムロは首を横に振った。

「そうではないよ。

 君自身の優しさが、君を変えた。


君は誰よりも優しい。


だから――あの子犬は君のことが、大好きなんだ。」


ジェシカは、胸に手を当てて小さく微笑んだ。

「……ありがとうございます。」


ネムロは次に、ハルへ向き直る。

「そしてハル。

 君は成長したね。

 “ジェシカを守れない自分”に気づいた。」


ハルは唇を噛んだ。

「……はい。」


「覚えているかい?

 あの日、君が親に反抗した日のことを。


 あれは君の成長に必要だった。


 お父さんもお母さんも、承知の上で君を見守っていたんだよ。


 君の成長を楽しみにしてね。」


ハルの目が、涙で滲んだ。

「……そう、だったんだ……」


「それが分かった今、

 君が両親にどう接するかは――君しだいだ。」


「……はい。」


ネムロは最後に、美咲先生へ視線を向けた。

「やあ 美咲。

 また会えたね。」


美咲先生は、肩をすくめて笑った。


「うん~。相変わらずだな、美咲。」


「何ですかそれは?」

 と美咲先生は言いながらも、

 その顔は嬉しそうにほころんでいた。


ネムロは空間全体を見渡し、静かに告げた。

「――そろそろ時間だ。」


その瞬間。

止まっていた世界が、

ゆっくりと動き始める。


- 佐伯先生の驚いた顔

- 若い先生たちの揺らいだ表情

- ゆかり先生の伸ばしかけた手

すべてが“現実”に戻っていく。


だが――

夢界の記憶は、四人だけのものとして残った。

ハル

ジェシカ

美咲先生


ネムロは最後に、

清瀬へ静かに言った。


「君がどう生きるかは、君が決めていくべきことだ。


ただし――

“子どもたちの心”を見誤るな。」


その言葉と一緒に、ネムロの影は静かに消えた。


ドタドタドタッ!

勢いよく足音が近づく、

タケシが職員室のドアを開け放った。


「大変だ! 大変だ! 時間が! 時間がぁぁ!」

「みんなが、大変だ……」


その瞬間――

止まっていた世界が、つながった。


すべてが動き出す。


崩れ落ちたままの清瀬先生は、

涙をこぼしながらジェシカとハルに頭を下げた。


「……すまなかった……

本当に……すまなかった……」


ジェシカは首を振った。

「先生の言っていたこと、間違ってはいないです。

 でも……今の私は、

クロエに“ぺろり”とされて、少し強くなりました。


 クロエには優しさが、あふれています。

 私もそうでありたい。


 だから……心から恨んでいません。」


ハルも続けた。

「僕もです、先生。」


清瀬先生は、あふれ出す涙を隠すように顔を伏せ、

震える肩を必死に押さえ込んでいた。


「ジェシカさん、ハルくん……すまない……ぼくは」


声にならない声だった。

喉の奥でつぶれ、言葉として形を保てていない。



その肩に、美咲先生がそっと手を置いた。

「……大丈夫。

 ここからだよ、清瀬くん。」


その光景に、

ゆかり先生たちはただ呆然と立ち尽くしていた。


後に聞いた話では、

清瀬先生は、先生方に深く謝罪したという。


ハル、ジェシカ、タケシの三人は校舎を出た。


その瞬間――

正面の影が、じっとこちらを見ていた。


小さな黒い影。

光る瞳。


クロエ?

一瞬、時が止まったように感じた。


「……クロエ!」

ジェシカが呼ぶと、


ジェシカもハルも大きく両手を広げた。

タケシは小さく広げた。


クロエは猛ダッシュで走り出した。

一直線。

迷いなく。


風を切って。


ジェシカとハルの前で、


だが、

急に直角に曲がった。


そして、

――タケシへ飛びついた。


「うわっ!? ちょ、ちょっと!?」

「えっ???」


クロエはタケシの顔を、

本気でペロペロと舐めまくった。


ジェシカとハルには、

クロエの声がはっきり聞こえた。


「タケシ。

 君の友達思いなところ、好きだよ。


あと……単純なところも好き。」


タケシは涙目で叫んだ。

「やった!ジェシカとハルに勝ったぞ!!」


「ほらね」

 また、クロエの声が聞こえた。


ジェシカとハルは顔を見合わせ、


そして――

二人同時に大笑いした。


クロエと絆をもった3人の”間” を、

清々しい風が、やさしく吹き抜け、


春の香りが三人を包んだ。


桜の香りがふっと触れて、君の笑顔を思い出す。

胸の奥で、少しだけ痛む触れられない感覚が揺れた。

それでも風は、あの日のぬくもり、優しさを運んでくる。

触れた瞬間、嬉しさがそっと滲む。

時だけが、大切な人との記憶を静かに抱き続けていた。


新しい一歩をそっと照らすものとして――。


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