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第16話 清瀬 透、崩壊の予兆

清瀬 透の表情から、初めて“余裕”が消えた。


その変化に美咲は、何かを察した。

その揺らぎに気づいたのは、ゆかり先生もだった。


美咲先生が、静かに問いかける。

「清瀬くん。

あなた……今度は何をしようとしてるの?」


その問いに、職員室の空気がわずかに揺れた。

若い教師たちが息をのみ、清瀬先生の表情を探る。


ゆかり先生が、感情を抑え静かに問いかける。

「清瀬先生。

あなた……何を“正そう”としてるの?」


その瞬間、

清瀬の中で、何かが切れた。

押し殺していた感情が、

抑えきれずに溢れ出す。


「……この学校は、甘すぎるんですよ。」


声が震えていた。


怒りではない。


欲望が、形を変えて熱くほとばしる。


「子どもたちを“自由”だの“個性”だのと言って甘やかすから、

いつまで経っても成長しない。

このままでは、誰も救われない。」


美咲先生が眉をひそめる。

「救われないって……誰が?」


清瀬先生は、笑った。

その笑みは、冷たく、そして危険だった。


「私です。」

職員室の空気が、一気に凍りつく。


「私は、この学校を変えたい。

いや……作り直したい。

“本物のエリート”を育てる学校に」


若い先生たちが息を呑む。


年配の先生たちは、怒りで顔を強張らせる。


清瀬先生は続けた。

「ここは、私のキャリアの“最初の舞台”です。


成果を出せば、道は開ける。


教育委員会でも、もっと上にも行ける。


そのためには……

この学校を、私の理想通りにする必要があるんです。」


その言葉は、

もはや教育でも理念でもなかった。


ただの“野心”だった。

ゆかり先生の心臓が、ひとつだけ遅れて脈を打つ。

(……この人は、子どもを見ていない)


美咲先生は、静かに息を吐いた。

(……やっぱり、そういうことか)



放課後。

プリントを届けに来たハルとジェシカが、

職員室の扉を開けた。


「ちょうどいいところに来ました。」

清瀬先生の声が、二人を捕まえた。


「この二人を例にしましょう。

“観察記録の基準見直し”が、いかに必要か。」


ゆかり先生が止めようとするが、

清瀬先生は構わず続けた。


「ジェシカさん。」

清瀬の声は、

感情を完全に無くした“宣告”そのもので、

触れた瞬間に凍りつくような冷たさだった。


「あなたの感情は、品性があまりにも劣っている。

発達の兆しすら見えない。  ――清瀬の口元が、わずかにゆるんだ。

泣く、怒る、拗ねる。

その結果、周囲を振り回している――それすら気づけていないのでしょうね」

 

周囲の空気が、音もなく凍りついた。


ジェシカの肩がびくりと跳ねた。

「ち、違……わた、私は……」


「違いません。」

清瀬は、淡々と容赦なく続ける。

「あなたの“幼さ”は、クラス全体の負担です。

あなたが泣くたびに、誰かが気を遣う。

それがどれほど迷惑か、分かりますか?」


――ジェシカは言葉がでない。


はぁ……

清瀬は、ゆっくりと首を左右に振った。


ジェシカの瞳から、涙が一気にあふれた。

「やめ……やめて……」

そう言って耳を覆う。

小さな体が、震えていた。


清瀬は続ける。

「事実を言っているだけです。」


ジェシカの膝が、音もなく床に落ちた。

その体は、微動だにしなかった。



「では、ハルくん。」


その静寂の中で、清瀬の視線がゆっくりと動いた。


その目は、“弱点を探す捕食者”のようだった。


ハルの瞳には、ジェシカしか映っていない。

暖かい涙が、頬を伝い落ちる。

  ――清瀬の声は、遠くの方から聞こえてくるようだった。


「君は、強情というより――自分を守るための虚勢でしか動けない。

弱さを隠して壁を作る。その幼稚な態度が、クラスを乱している。」


清瀬の言葉が強くなり、ハルの胸に落ちた瞬間、

ハルの胸の奥が、ぎゅっと掴まれたように痛んだ。

「……っ、な……」

声がうまく出ない。

怒りではない。


「自分は弱いのか」

悲しい動揺が走った。


「君は“優しいふり”をしているだけです。

本当は誰も守れていない。

ジェシカさんの涙ひとつ止められない。

それが君の“弱さ”ですよ。」


清瀬の声は、氷のように澄んでいた。

しかし、その言葉には小さな矛盾があった。


「なぜジェシカさんが涙を流したか、

その理由もわからないでしょう。

仕方ありません。

私が教えましょう。」


一拍置いて、淡々と告げる。


「あなた達クラスメイトが、ジェシカさんを甘やかすからです。

だから彼女は弱く、脆く、一向に成長しない。

これが答えです。」


「……や、やめ……っ……」


ハルの声は震え、

喉の奥でつまって、言葉にならなかった。


(なんで……なんでこんな……胸が苦しい……)


ジェシカが泣き崩れている。

目の前で。

助けを求めている。


なのに――

ハルの足は、床に縫い付けられたように動かなかった。


(僕……一瞬でも……この人を“いい先生”だと思った……

 だから……だから今、動けないのか……?)


胸の奥が、

ズキン、と裂けた。


(僕のせいだ……僕が……弱いから……ジェシカを守れない……)


視界が滲む。

涙なのか、怒りなのか、自分でも分からない。


職員室の空気が、

限界まで張りつめた。


空気が裂けた。

音もなく、

光もなく、

時が刻みを、ゆっくりと止めて行く。


その静けさが極限に達したとき、ただ“世界の膜”だけが破れた。


黒い水面のような空間が、職員室の床に広がる。


そこから、ゆっくりと影が立ち上がった。


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