第47話 ハッピーエンド
帝国内の軍工廠の一室。
机の上には極秘資料の束と、住民票の発行書類が並べられていた。
眼鏡の工作員が印刷された図面をめくりながら、低く呟く。
「……確かにこれは本物だ。フロギストン弾頭の設計、その起爆回路まで網羅されている」
軍服の男は大きく頷き、手元の書類に署名を施す。
「取引は成立だ。これより君をアウスヴァルト帝国の市民として登録する」
差し出された住民票を、ミリアは震える指で受け取った。
目の奥が熱くなり、思わず唇を噛む。
「……本当に、こんな日が来るなんて。ありがとうございます……」
だがその視線は、軍人たちではなく、傍らのレオンに向けられていた。
「あなたがいなければ、わたしは……きっと、ここにいなかった」
レオンは一瞬、言葉を失った。
彼にとってミリアは取引材料にすぎなかったはずだ。それなのに――その無垢な眼差しに射抜かれ、胸の奥がざわつく。
「……礼を言うのは、まだ早い」
そう返した声は、いつもよりずっと穏やかだった。
「ここから先、生き延びられるかどうかは自分次第だ」
ミリアは小さく頷き、視線を落とす。
だがその頬は赤らみ、心臓の鼓動が止まらなかった。
――なぜだろう。彼の隣にいるだけで、少しだけ安心する。
交渉を終えて倉庫を出たあと、二人は裏通りを歩いていた。
夜風が冷たく吹き抜ける中、レオンは深いため息をつく。
「やっと……成果を残せた」
低く漏れたその声には、安堵と疲労が入り混じっていた。
ミリアは立ち止まり、じっと彼を見上げた。
「……ずっと、失敗続きだったんでしょ」
レオンは驚いたように目を瞬く。
それでも否定はしなかった。
「……そうだな」
次の瞬間、彼の口から零れたのは、不器用な本音だった。
「お前がここにいて……少しだけ救われた気がする」
ミリアの胸が強く高鳴った。
その言葉は、誰よりも彼女を縛っていた恐怖を溶かし、淡い恋心へと変わっていく。
そして、帝国と王国の間に、正式に停戦合意が結ばれることになった。
停戦合意が調印された翌日、フェニックス計画の拠点にはひとときの静けさが訪れていた。
アンチマナダイト粒子とフロギストン弾頭――世界を二度と焼かぬための条約が、国際的に批准されたのだ。
アウスヴァルト帝国はヴァルディア王国に賠償金を支払い、戦は終わった。
広間に集まったのは、計画を支えた数少ない仲間たち。
彼らは灰の中から未来を繋ぐため、己の老いた体をも省みず働いてきた。
その役目も、今宵で終わる。
「――諸君」
アーノルドが口を開く。
「我らはやり遂げた。二度と世界が愚かな道を歩まぬよう、禁ずるべきものを禁じた。これ以上の使命はない」
沈黙の中、誰もが深く頷いた。
皺だらけの顔に刻まれた疲労の影。それでも、その目はどこか晴れやかだった。
カイは列の最後に立ち、彼らを見つめていた。
隣にはクレアがいる。膨らんだ腹に手を添え、彼を支えるように寄り添って。
停戦により彼女の身柄は解放されたが、フロギストンを生成できる一族の血を宿す以上、監視からは逃れられない。
それでも、彼女の笑顔は穏やかだった。
老人たちは一人ひとり、カイの前に歩み寄り、短く別れの言葉を告げていった。
「若者よ、後は頼んだぞ」
「私たちはもう先は無いけど、あなたたちには未来がある」
「クレアを支え、子を育てよ。それが何よりの平和の証だ」
その手は重くも温かく、まるで祖父たちに見送られるようだった。
カイの胸に熱いものがこみ上げ、言葉が詰まる。
ガルドは後ろでほほ笑むだけで、言葉をかけることはしなかったが、カイはそれで十分だった。
「……ありがとう。俺は……必ず、この平和を守る」
声は震え、しかし確かだった。
やがて老人たちは背を向け、一人、また一人と去っていく。
長き戦いの終わりを告げるように、夕陽が差し込み、影が伸びていった。
クレアがそっと彼の腕を取る。
「行きましょう、カイ。これからは……私たちの番だから」
カイは深く頷いた。
フェニックスの炎は消えた。
だが灰の中から芽吹く新しい命が、確かに未来を照らしていた。




