第46話 切り札
ミリアとレオンは闇の森を駆け抜ける。
背後では犬の吠え声と兵士の怒声、そして探照灯の光が木々の間を切り裂いていた。
ミリアの息は荒く、足は土と枝に取られそうになる。だがレオンは彼女の腕を掴み、強引に引きずるように走り続けた。
「……待て、息が……」
「止まったら撃ち抜かれるぞ!」
冷酷な声が、彼の覚悟を物語っていた。
やがて木立の先に、小さな明かりが見えた。
開けた空き地――そこにはキャンプに来ていた家族の車が停まっていた。テントの中からはまだ笑い声が漏れている。
レオンは迷いなく腰の拳銃を抜いた。
そしてテントに押し入る。
「鍵をよこせ」
テントの中にいた父親が凍りつき、震える手で鍵を差し出す。子供が泣き出す声を背に、レオンは鍵を開けると、スターターボタンを押し、ハンドルを握る。ミリアも助手席に乗り込んだ。
「発進するぞ、掴まれ!」
マナダイト駆動のモーターが唸りを上げ、タイヤが土を蹴った。
銃声が森に木霊し、後部の窓ガラスが粉々に砕け散る。ミリアが思わず悲鳴をあげた。だがレオンはアクセルを踏み込み、闇夜の中を一直線に突き抜けていく。
包囲網をかいくぐり、舗装路に飛び出した車はそのまま国境へ向かって疾走した。
数時間後。
夜明けが近づく頃、彼らは小さな町の片隅に車を停めた。レオンは懐中時計を確認し、街角の倉庫に目をやる。
「……間に合ったか」
倉庫の影から現れた数人の男たち。帝国の工作員だ。無地の外套に身を包み、鋭い視線を投げてきた。
「レオン中尉、無事戻ったか」
「予定通りだ。……ただし」
レオンは横に立つミリアを顎で示した。
「なんだ、この女は?」
一人の工作員が眉をひそめる。
レオンは冷たく答えた。
「切り札だよ。王国から持ち出されたものを持っている」
ミリアは胸ポケットの記憶デバイスを強く握りしめた。
その瞬間、自分はもう二度と後戻りできないと、改めて悟った。
そこからミリアへの尋問が始まる。
ミリアは椅子に座らされ、両手を机の上に置かれている。向かいに立つのは帝国の工作員の一人。背筋の伸びた冷徹な感じのする男だった。
「ヴァルディア王国軍、ミリア・クラウス少尉。まず確認だ」
無感情な声が空気を切る。
「お前は本当に、王国を裏切るつもりか?」
ミリアは短く息を吐き、視線を逸らさずに答えた。
「……裏切ったのは、王国の方よ。私は――生き残るためにここに来ただけ」
工作員は目を細める。
「ならば証拠を出せ」
ミリアはポケットから記憶デバイスを取り出し、机の上に置いた。
「フロギストン弾頭の資料。これが欲しいんでしょう?」
電球の光を反射して小さな金属片がきらめく。室内の空気が一瞬だけ張り詰めた。
工作員はそれを手に取ると、何も言わずに懐に収めた。
「……確認は後で行う。だが、これが本物なら――お前の立場は保証されるかもしれん」
淡々と告げる声。その「かもしれん」に、ミリアの心臓は冷たい痛みに締めつけられた。
そのやり取りを壁際で見ていたレオンは、拳を握りしめていた。
彼の胸中には苛立ちと焦燥が渦巻いている。
――この女の存在は、危険すぎる。
フロギストン弾頭の資料を持ち込み、帝国に影響を与えかねない。しかも彼女は気まぐれな激情で動く。
(このままでは、俺まで巻き込まれる……)
レオンは静かに決意した。
彼女の存在を利用するしかない。
だが利用先は主戦派ではない――むしろ、帝国内で勢いを取り戻した穏健派に売り渡すことで、主戦派から自分の身の安全を確保する。
クレアを切り捨てた主戦派が、次に狙うのは自分かもしれないからだ。
壁に寄り掛かったまま、レオンは目を細めた。
薄明かりの下で、まだ硬く口を結ぶミリアの横顔が浮かび上がる。
「……切り札、か。なら、俺の切り札にしてやるさ」
心の中でそう呟き、冷たい覚悟を固めた。




