第45話 持ち出したもの
列車は暗闇の中を揺れながら進んでいた。窓の外には点々と灯る集落の明かりが流れていく。
検問をすり抜けてから、二人はしばらく黙り込んでいた。息を潜めるような沈黙。だが、その静けさに耐えかねたのはミリアの方だった。
「……さっきは、ありがとう」
小さく呟くと、レオンは視線を外したまま鼻を鳴らした。
「礼は要らん。お前が捕まれば、俺まで巻き添えだからな」
冷たい言葉。しかし、その声には先ほどの張り詰めた緊張がまだ残っている。
ミリアは苦笑し、ポケットに手を滑り込ませた。指先に触れる小さな記憶デバイス。その存在が、胸を締め付ける。
「……私、ただ逃げてるんじゃない」
レオンが眉をひそめる。
「何を言いたい?」
ミリアは一瞬ためらったが、やがて決意を込めて言った。
「フロギストン弾頭の極秘資料を持ち出した。王国じゃ、もう守れない。だから帝国に渡す」
レオンの目が鋭く光る。
「……正気か。あんな兵器を敵国に渡すなんて、裏切り以外の何物でもないぞ」
「裏切ったのは国の方よ!」
抑えきれず、ミリアの声が震える。
「私が血を流して戦っても、エリアスが死んでも、何も変わらなかった。勝利だ勲章だと言って、ただ次の戦争を求めるだけ……。あの国は、守る価値を失ったの」
車輪の響きが二人の沈黙を包み込む。
レオンはしばらくミリアを見据えていたが、やがて肩を落とした。
「……お前、本当にどうしようもない女だな」
「後悔はしてない」
ミリアの瞳は夜の闇よりも鋭かった。
レオンはため息をつき、窓に視線を移した。
「わかった。だが一度足を踏み入れたら、もう後戻りはできないぞ」
「それでもいい」
ミリアは強く頷いた。
その瞬間、二人の間に新たな共犯の絆が結ばれた。恋でも友情でもない――亡命という背徳を共有する者だけの、危うい繋がりだった。
「レオン・ハルトマン」
レオンは自分の本名を告げる。しかし、それだけではミリアには伝わらなかった。
「誰?」
「俺の本当の名前さ」
「素敵な名前ね。私はミリア・クラウス」
ミリアの名前にレオンは目を丸くした。
「クラウスって言ったら、この国の将軍じゃないか」
「そうよ。私の祖父。もっとも、曾祖父の犬だけどね……」
祖父を犬と呼んだ時の、ミリアの顔に出来た影が気になったレオンであったが、今はそれを訊かずに流した。
「どうやって国境を越えるの?」
ミリアの質問に、レオンはこたえる。
「国境の近くの街で仲間と落ち合う。そいつが手引きしてくれることになっている」
そしてまた、沈黙が流れる。
列車は深夜を走り続け、車窓には人家もまばらになっていった。線路沿いに黒い森が続き、はるか遠くの山に灯るのは帝国との国境線を示す監視塔の光だ。
「……もう少しだ」
レオンは低く呟き、懐中時計を見た。
だが、列車の速度が徐々に落ちていく。
ブレーキ音が響き、やがて列車は小さな中継駅に停車した。予定にない停車。車内に緊張が走る。
ホームに見えたのは――武装した兵士たちだった。
肩章に見覚えがある。王国の警備隊。だが、その数があまりにも多い。普通の検問ではない。
「……待ち伏せか」
レオンの顔が険しくなる。
乗客たちが一斉にざわめき、兵士たちが列を作って車両に乗り込んでいく。ひとりずつ身分証を確認し、荷物を調べている。
ミリアはポケットの中の記憶デバイスを握りしめた。汗で指が滑る。
「どうするの……? ここで捕まったら……」
「落ち着け」
レオンは短く言い、車窓の外を睨む。
「次の監視塔までに逃げ出すしかない。だが、外は兵士だらけだ。……タイミングを見ろ」
やがて兵士の一団が彼らの車両に迫ってくる。
レオンは立ち上がり、ミリアの肩に手を置いた。
「列車の下に飛び降りるぞ。ここを越えれば、待ち合わせの場所は近い」
ミリアは強く頷いた。
背を預けるしかない――エリアスを失った自分を、今引きずるように連れ出しているのは、この男なのだ。
車両に兵士が入る直前、レオンは窓を蹴破った。
冷たい夜風が吹き込み、二人の身体を外へと引きずり出す。
闇の森へと転がり落ちる彼らの背後で、兵士の怒声と笛の音が鳴り響いた。




