第43話 駅にて
王都の駅は夜の喧騒に包まれていた。汽笛と車輪の軋み、行き交う人々のざわめき。
その中を、ミリアは人目を避けるように歩いていた。
軍服は脱ぎ捨て、地味な外套のポケットには、コピーしたフロギストン弾頭の極秘資料を収めた小さな記憶デバイスが収まっている。
「……ここまで来たら、もう戻れない」
心臓が早鐘を打つ。アーノルドへの反発、クレアへの敗北感、そして国への絶望――それらが彼女を突き動かしていた。
そのとき、ホームの隅で見知った背中が目に留まった。
「……エーリヒ・ヴェルナー?」
無意識に口をついて出た名に、男はぴたりと足を止めた。振り返ったのは、レオンだった。
一瞬で表情が険しくなる。
「……またあんたか。俺もとことんつきに見放されているな。俺を突き出す気か?」
低く押し殺した声。手が腰のナイフに伸びかける。
ミリアは怯まずに一歩踏み込んだ。
「突き出すつもりなら、今ここで叫んでるわ。――違うの」
真っ直ぐにレオンを見据える。
「私を帝国に連れて行きなさい」
「……は?」
レオンの眉が動く。
ミリアはポケットを叩いた。
「拒否するなら、この場であんたを衛兵に突き出す。選びなさい。協力するか、捕まるか」
周囲の喧騒に紛れ、二人だけの緊張が走る。
レオンはしばらく睨みつけていたが、やがてふっと息を吐いた。
「……強情な女だな。わかった。だが俺に逆らえば、命の保証はできんぞ」
「構わないわ」
ミリアは静かに応じた。その瞳には、迷いはなかった。
こうして――敗北の痛みと憎悪を抱えた女と、敗戦の責任を背負った男。
二人の亡命の旅が、ここから始まった。
ここから二人の鉄道での逃走が始まる。
人の波に紛れるように、ミリアとレオンは歩いていた。大きな外套のフードを深く被り、互いに視線を交わさない。ただ、目的はひとつ――列車に乗って帝国との国境へ向かうこと。
改札口には憲兵が並び、乗客一人ひとりの荷物と身分証を確認していた。
軍病院襲撃の余波がここにも表れていた。帝国のスパイの検問である。
ミリアの心臓は早鐘のように鳴る。ポケットには、フロギストン弾頭の極秘資料をコピーした記憶デバイス。見つかれば即座に処刑される代物だ。
「……顔を上げるな」
レオンが低く囁いた。
「検問は俺がどうにかする。お前は黙って隣にいろ」
列の順番が回ってくる。
憲兵の鋭い視線が二人を舐めるように走り、身分証を手にした。レオンは偽名――エーリヒ・ヴェルナーの書類を差し出す。憲兵の眉がわずかに動く。
「奥さんは?」
不意の問い。
ミリアの肩が跳ねた瞬間、レオンは自然に腕を伸ばし、彼女の腰を引き寄せた。
「あいにくと、妻は免許証もなくてね。それに、体調が悪いんだ。早く休ませたい」
柔らかい笑みを浮かべ、ミリアを抱き寄せる。
思わず胸が熱くなる。頬に伝わる彼の体温に、ミリアは心を乱された。だが憲兵は怪しむことなく書類を返した。
「……通れ」
列車の扉が閉まり、揺れが走る。
二人は向かい合って座り、ようやく息をついた。
「……よくやったな」
ミリアが小声で言うと、レオンは苦笑した。
「お前が一緒に行くって言うから、仕方なくな」
ミリアは言葉を返せなかった。
さっきまで嫌悪と警戒の対象でしかなかった男に、身を寄せられたことが、なぜか心に刺さっていた。
車窓に流れる夜景を見ながら、二人の間にあった氷の壁が、少しだけ溶け始めていた。




