第42話 国を捨てる
クレア暗殺未遂の騒動が収まって間もなく、王都は新たな緊張に包まれた。
アウスヴァルト帝国が周辺諸国に働きかけ、「対フロギストン包囲網」を結成しようとしている、という報が届いたのだ。
「フェニックスとフロギストン弾頭がある限り、包囲されようと勝てる!」
王国軍の主戦派は声を張り上げる。
だが、軍議の隅で黙していたフェニックス計画の老兵たちは、互いに苦い顔を交わし合った。
「……フロギストン弾頭は量産できない。そもそも防衛のために生み出した技術だ」
アーノルドは静かに言い放った。
「それを侵略の旗印に掲げるなど、本末転倒だ。講和の道を探るべきだ」
ハンスも、オットーも、エレナも頷いた。
誰もが「今回で間に合った」安堵を覚えたが、これ以上の戦火は望んでいなかった。
しかし――戦争を望む派閥は諦めなかった。
彼らは新たな旗手を探し、白羽の矢を立てたのは、ドミナス鉱山の戦いでフロギストン弾頭を撃ち放った若き英雄――ミリアだった。
「少尉、いや……少佐だ。勲章と共に、新たな役目を背負ってはくれまいか」
主戦派の将軍は、殊更に笑みを浮かべて持ち掛けた。
だが、ミリアの胸は冷え切っていた。
フロギストン弾頭を放った瞬間の衝撃は、いまだに夢に現れる。
焼け焦げる帝国兵の絶叫。振動で軋む大地。
「エリアス……」と呟いたあの時、心の何かが壊れたのだ。
加えて――。
病院で交わされるカイとクレアの視線。互いに惹かれ合う姿を目にしてしまった。
カイはもう自分を見てはいない。
女として、戦士として、すべてにおいてクレアに敗北したような感覚。
勲章も昇進も、そんな虚しさの前ではただの飾りだった。
「気持ち悪い……」
主戦派の誘いを心の中でそう吐き捨て、ミリアは顔を背けた。
アーノルドの頑なな姿勢も、心をさらに冷やした。
「カイと子供を作れなんて命令。なぜ……私の気持ちを考えてくれないの」
心の中で呟きながら、祖父に対する憎悪と絶望が募っていく。
ドミナス鉱山での戦いの後、カイがミリアの方を向いてくれたら、そんなものは無かったかもしれないが、カイが憎い帝国の女軍人とくっついて、結婚の話まで出ているとなれば、恨みも倍増であった。
そして――。
ふと脳裏をよぎった。
「亡命……」
その言葉が頭の隅にこびりつき、離れなかった。
やがて、それは行動になる。
夜の研究施設。
白い蛍光灯の光が無機質に机を照らし、モニターに映る文字列が彼女の顔を蒼白に染めていた。
【フロギストン弾頭・制御回路設計図】
【機密指定:最上位】
【管理責任者:エレナ・フォーゲル】
画面の右下で、点滅する警告。
「コピー防止プロテクト:有効」
ミリアは震える指でデバイスを握りしめた。
(……やるしかない)
祖国ヴァルディア王国には、もう居たくなかった。エリアスが命を懸けて守った国は、勝利を糧に増長し、兵士の命を軽んじている。
そして、身内は自分を生む機械としか見ていない。
だから、この国を捨てる。
だが、亡命の意思を示すなら、確かな手土産が必要だ。
それが、最も禁忌とされる兵器の極秘資料だと分かっていても。
「ごめんなさい、エレナ……」
唇が小さく震え、声にならぬ呟きが零れる。
かつての仲間であり、自分の功績となったフロギストン弾頭の開発者の女性の名。
裏切ることへの痛みが胸を締めつける。
しかし同時に、未来への渇望が彼女を突き動かしていた。
(生きるために……私は帝国に渡るしかない)
彼女は隠しフォルダに保存されていた解除プログラムを呼び出した。
画面に走る無数の文字列。
赤い「LOCKED」の表示が、一瞬の点滅の後「UNLOCKED」へと変わる。
ミリアは息を詰めたまま、外部デバイスを接続する。
無機質な電子音が室内に響いた。
【データコピー開始――】
ゲージが少しずつ進む。
「早く……早く……!」
心臓の鼓動が速まる。
背後の扉が開く錯覚に何度も肩を震わせ、そのたびにエレナの顔が脳裏をよぎった。
やがて、ゲージは100%に達した。
「……終わった」
外部デバイスを引き抜き、胸に抱きしめる。
その小さな機械が、彼女の未来を左右する全てだった。
(これで……私は帝国に行ける。いや、行くしかないんだ)
ミリアは深く息を吸い込み、涙を拭った。
研究室を振り返ることなく、静かに足を踏み出した。
背後のスクリーンには、冷たく輝く文字だけが残されていた。
【アクセス記録:エレナ・フォーゲル】




