パトラとパルム
夜の街道を迷うことなく引き返した。
幸い野犬にも遭遇しなかった。
薄曇りの空模様の下、ソルティオの北門に辿り着く。
エリーとはそこで別れた。
パルムの手を離さないエリーからは、一緒にいてくれるよう随分と懇願された。只、今は駄目だと言った。
エリーの両親からだけでなく、ほとんどの人たちから容疑者扱いされている。
パルムと一緒にいることは、エリーにとってマイナスになる。
エリーも渋々ながら納得して帰っていった。
パルムは一人、夜のエルムナード大通りを歩いていく。
すっかり陽の落ちた通りにでは露店の数は減少する。
ただし、昼間とは違い、細長い石の内部をくり抜いて作られた【光の精霊燈】の明かりが増え灯っている。
光の精霊燈とは、意思を持たない小さな群精霊、この場合は光精霊の群れに呼びかけることで周囲を照らす装置のことだ。
夜になると、宿屋や飲み屋など、商店系のお店の看板によく使用される。
ちなみに他には【火の精霊燈】や【水の精霊燈】など趣向を凝らした物もある。
路上では全身が灰色の毛で覆われた【半狼種族】の威勢の良い呼び込みがあちらこちらから聞こえ、大通りは賑わいを見せていた。
パルムはそれらには見向きもしない。
俯き、ひたすら考えていた。
実際、誘われたとしても、懐は寂しいを通り越して虚無に近いのだから、パルムを見て声をかけてこない呼び込みの人を見る目は正しいわけだけれど。
パルムは嘘を吐いた。
エリーには事務所へ帰ると言ったけれど、その前に行こうと思っていた所があった。
黙々と進んで目的地に着いた。
「パトラ。居るか?」
そこは元エリー宅の庭だ。
今日で三度目となる。
立体製図を前にして、パルムは周囲に呼びかけた。
誰もいなくなった空虚な空間に声が響く。
確証があるわけではない。
勘だ。
只、望みはあるように思えた。
妖精の森でのことだ。
あの時は考える暇も与えられなかった。
しかし帰路の間、ふと気がついた。
どうしてエリーはすぐに気を失っただろうか。
痛みにたえられなかったとも考えられるけれど、もう一つ、予想できる。
パルムとエリーを襲った痛みは別物ではないのか、ということだ。
エリーには痛みを与えたくないと思ったものがいた。
そう考えた時、パルムの脳裏に浮かんだのは、パトラだった。
つまり、あの場には、もしくはパルムとエリーが確認できる程度の範囲にはパトラがいたのではないか。
仮定してみると、その後、二人が街道で眠っていたことにも説明がつく。
「お前が街道まで運んでくれたんじゃないか?」
静寂のなか、誰もいない空間に向かって口を開く様は自分でも恥ずかしいものがあるとパルムが思っていると、背後から視線を感じた。
振り返ると、薄暗がりにうっすらと浮かぶ緑色のシルエットがあった。
気配はなく、視線だけが体感できるという感覚にはいつまで経っても馴れないな、とパルムは思った。
「居るなら返事くらいしてくれよ。あ、あの頭痛みたいなやつは勘弁な。昼間は死ぬかと思った。確認なんだけれど、お前もあそこにいたんだよな。
どうして姿を見せなかったんだよ。ーー少しはリアクションしてくれ。恥ずかしい」
返事を期待しても無駄かもしれない、と思いつつ後頭部を掻く。
只、エリーからも身を隠していたパトラが姿を見せたということは何か伝えたいことがあるのだろう。
街に戻る途中にも思案していた。
一つ二つ、考えついたことを口に出す。
「まず、どうしてエリーの前から居なくなったのか。ずっと思っていたことがある。妖精犬は危険を察知する。消えた理由は単純で、危険が無くなったというのが一つ。
只、これだとお前が今もこの街、というよりエリーの傍に居る理由がわからない。危険が無くなったなら森へ帰れば良いんだからな」
返事はない。
続ける。
「つまり、まだ危険は存在しているということになる。ーー違うか。エリーそのものが守る対象になっている、というほうが正しいのかな。
三年前、エリーを守ったのも偶然ではないんじゃないか。彼女は妖精種族、とまでは言わない。只、遠い昔、妖精種族と人間が今のように険悪ではなかった頃、エリーの祖先は交わったんじゃないか?
家系図にも載っていない過去の話だ。俺たちにはわからない。けれど、妖精犬にはわかるかもしれない。妖精犬は森の守護者のような印象を受ける。
しかしそれは妖精種族が森に住んでいるからだ。妖精種族を守ること。それこそが妖精犬の本来の役割、存在意義と言ってもいい」
パトラの様子に変化はない。
しかし、話を聞いているとパルムは感じた。
用がなければ消えればいい。
姿を現したということに、意味があるという気がする。
否、意味を見出だそうとしているのは自分のほうかもしれないと、パルムは自嘲した。
とにかく続けよう。
パトラはまだ話を聞いてくれているのだから。
「おかしいと思ったんだよ。森で攻撃してきた妖精犬が、エリーには意識を割いているようには見えなかった。手斧を手にした時ですら無関心のように見えたんだ。
なあ。どうしてエリーの前から姿を消したんだよ。守るなら、今まで通り傍に居ればいいだろう?」
パルムの問い掛けにも、パトラは微動だにしない。
「エリーだって嬉しい筈だ。どうして傍に居ない? 居てやれよ」
エリーの顔が浮かんでくる。
少女に初めてパトラを紹介された時、嬉しそうに自分の描いた絵を見せてくれた。
あの時の笑顔が忘れられない。
「なんとか言えよ。言うことくらいあるだろう。寂しい思いさせてごめんねとか、これからはずっと一緒だよとか。
俺が伝えてやるよ。守るって、そういうことだろう?」
立体製図の淡く青い光に後押しされるように、懸命に言葉を紡ぐ。
それしかない。
それしかない。
パトラが戻ってくるように説得しないと。
「お前の家だって、俺がどうにかする。エリーが思い描いた理想の家を建ててやる。材料もなんとかする。ヘクターに頼めなくても、俺がやる。
不格好じゃない、最高の家を、お前が帰って来たくなるような、そんな家を建てる。だから頼む。エリーの傍に居てくれよ。
それだけで良い。それだけで良いんだ」
自分でも何を必死になっているのだろうと思う。
お金にもならない子供の頼みのために、話が通じているかもどうかわからない精霊種族を相手に一方的に喋り倒している。
ヘクター辺りが聞けば馬鹿だと言うだろう。
モースなら恐らく酔狂だな、くらい言うかもしれない。
確かにそうだろう。
でも、諦めることはできなかった。
エリーの笑顔が見たい。
それだけだ。
年端も行かない少女の願いだからこそ、叶えてやりたいと思う。
自分にできることがあるなら、やらないわけがないじゃないか。
それが大人ってもんだろ。
「パトラ。お前がどういうつもりなのか、俺にはわからない。お前には何か考えがあるのかもしれない。でも、エリーを悲しませるなら、それは何がなんでも間違いだ。
いいか、もう一度言うぞ。お前のしていることは間違っている。だから、俺は絶対にお前をエリーの元へ帰してやる。むりやりだろうがなんだろうが、知ったことじゃない」
裏庭に吹く冷たい風がパルムのほてった顔と身体を撫でるように抜けていく。
しばらくの沈黙の後、パトラが背を向けて歩き出した。
「おい! ちょっと待てよ! 待てって!」
パトラに飛びつく。
柔らかい毛に触れたと思った瞬間、手の隙間からすり抜けるように、パトラの身体が忽然と消えた。
闇夜を見渡しても姿はなく、パルムは呆然と立ち尽くす。
「ああ、くそっ。どうして、なんで居なくなるんだよ!」
パルムの叫びは虚しく空中に響いた。




