アリとマリの事情
怒りで打ち震えるエリーを前に、何を云える?
漫然と放置してきた自分に与えられた、これが報いだと云うなら、悔しいけれど甘んじて受けるべきなのだろう。
これまでも謗りを受けてきたことはあった。
アリとマリと生活を共にしていることの代償だ、そう自分にも言い聞かせてきた。
自分だけが判っていれば良いと、言い含めて一年間、堪えてきたのだ。
それなのに、どうして今、このタイミングで、しかもエリーに云われなければならないのだ。
少しの間の付き合いだろうと、折角仲良くなれたのに、それをこんな形で潰さなくても良いではないか。
自分は只、あの時できる精一杯をしただけなのに。
「パルムさん、なんとか云って下さい。本当なんですか! パルーーキャッ!」
「エリー!? それに、マリ!?」
一瞬、何が起こったのか判らなかった。
否、判ってはいたが、理解が及ばなかった。
目の前には頬を歪めたエリーと、そしていつの間にそこに居たのだろう、手の平を横に振り終わった(・・・・・・)状態で静止しているマリの姿があった。
な、なんだ。
今、マリがエリーを叩いたのか!?
先程までアリを抱いていた筈のマリ。
そちらを見れば、アリも呆けたようにしゃがみ込んだまま、マリを見上げている。
あまりといえばあまりの駿足芸に、只只、呆然としてしまう。
暫く黙ったままだったエリーも、ようやっと状況が飲み込めたらしく、自分の頬に手を這わし、ゆっくりと上から下へなぞった。
今や遠めからでもくっきりと手形が見て取れる。
かなり本気で叩かれたようで、次第にエリーの目に涙が込み上げてきた。
「な、んで、どうして」
「謝って。今すぐパルムさんに謝って」
少女の言葉を遮るようにマリが云う。
普段のマリからは想像できない、冷ややかな物言いだった。
「おい、マリ、ちょっと」
「パルムさんは口を挟まない」
「........はい。すみません」
ばっさりと切られ、後ろへ下がる。
おかしい、自分は当事者の筈だけれどな。
「エリー。私は貴方がパルムさんと仲良くしようと、例え頬にキスをしようと、広い心で許して来ました」
「は!?」
それは突然の告白だった。
頬にキスって、あれか。
エリー宅で帰り際、少女がしてきた行為ーーそれを思い出して、それからアリの方を見ると、アリは悪戯がばれた子供のように舌を出した。
見られていた!?
それ以前につけられていたという事実に、驚くと同時に納得もした。
そもそもフェアリーズが妖精犬の名を聞いて動かない訳がない。
あの時は暇を持て余していたのだ。
大人しく留守番をしていると思い込んでいた自分はなんて馬鹿だろう。
パルムの苦悩を余所に、マリの口調はひたすらそっけないものだった。
「でも、今云った言葉は許さない。パルムさんを謗ることは絶対に、どんなに小さくて、軽い、パルムさんが気にしないようなことでも、私とアリが許さない。それが私たちにできる最低限の恩返しだから」
パルムはマリの言葉に愕然とした。
パルムはこれまでずっと、マリと、そしてアリの気持ちというものを意識し、生活してきたつもりだった。
一年と云う、決して短くない時間を一緒に過ごしてきたのだ。
ある程度、判ったと思っていた。
趣味嗜好、考え方や態度、身長体重、足の速さの違い、物覚えの良し悪し、視力や聴力、その他様々な事柄を知っていたつもりだった。
しかしそれは、全くの勘違いだったことに今更ながら気づかされた。
妖精たちは初めこそよそよそしい態度でパルムに接していたものの、一週間もすれば日常生活も円滑に回り、一ヶ月も経った頃には笑みもこぼれるようになっていた。
そんな妖精たちが、まさかこんなことを考えていたなんて。
「お前たち、ずっとそんな風に思っていたのか?」
「二人で、何ができるかって考えて、決めたのです。私たちのせいで、パルムさんが悪口を云われているのは知っていました。ここを出ようと考えたこともありました。
でも、パルムさんが何時も、頑張って私たちに話しかけてくれて、励ましてくれたから、だから私たちは、笑顔でいようって、そう決めたのです。
それに、私たちが笑っていれば、きっと、他の人も、パルムさんが悪い人ではないって、判ってくれると思ったから、だから、私たちは........」
マリの背中が小刻みに震え、言葉は霞んでいく。
アリは仕方ない、とぼそりと呟き頬を掻いていた。
どうやら云うつもりはなかったらしい。
アリは立ち上がってマリの肩を抱くと、そっと引き寄せた。
「全く。パルムのことになるとすぐにむきになるんだから。ほら、泣かない泣かない」
「う、うううう........」
「さっきのキスのことだって、本当はめっちゃ怒っていた癖に」
「........う。違うもん」
マリが小さく呟く。
「嘘泣きやめい」
「嘘泣きじゃないもん! アリったら酷い」
「マリだって、云わないって決めていたのに云ったでしょ。おあいこだよ。あーあ、どうしてくれるのかなあ」
「ごめん。アリ」
所在なげに俯くマリに、アリはいつもの悪戯っ子の笑みを作り、
「良いってことよ」
とマリの頭を撫でた。
いつもはマリの方がお姉さん然としているけれど、いざという時、こうして立場が入れ代わるのを、パルムは知っている。
森が焼けて、初めてここを訪れた際もそうだった。
言葉も喋れないほど消沈していたマリを、自分の苦しみを堪え、率先して世話していたのがアリだった。
その時、アリは「そりゃ悲しいよ。でも、マリがいてくれた。それだけでも私は救われた」こう云っていた。
住んでいた家を焼かれ、家族とはぐれたアリが、どれだけの思いを抱えていたのか。
目の前で抱き合うアリとマリを、パルムは感慨深い気持ちで見つめていた。
「なんですか。なんなのですか」
戸口に立ち尽くしているエリーが云う。
「これでは私が悪いみたいではないですか。私が、お母さんとお父さんが、間違っていると云うのですか?
パルムさんは、悪い人ではなくて、アリとマリを助けたって、そう云うのですか? わからない。わからないです!」
「エリー! 待ってくれ!」
彼女はパルムの制止を振り切り、扉から飛び出してしまった。
パルムはすぐさま追いかけようとしたけれど、エリーと入れ代わりにやって来たヘクターとぶつかってしまう。
「痛えなおい。急に出て来たら危ねえだろう」
「ヘクター、今、女の子が出て行っただろう。どっちに行った」
「知らねえよ。なんだ。さっきの娘がどうしたってんだ?」
「あの子がエリーだ。俺、追いかけてくる!」
「おい、てめえーーいっちまいやがった。こら、妖精ども、一体全体何があったってんだ」
エリーを追いかけてたどり着いたのは、焼け落ちた少女の家屋の庭だった。
先程、ヘクターとここで別れたばかりだというのに、パルムは少しだけ因果のようなものを感じてしまう。
焼け跡を前に、膝を抱えてうずくまるエリーの背中を、パルムはじっと見つめた。




