一年前のあの日を思い出して
事務所から駆け出したエリーは大通りを脇目もふらずまっすぐここを目指していたようにパルムは思う。
庭で光る立体製図を横目に、少女が振り向くのを、話し出すのを待つことにした。
焼けた家屋を通り抜ける風がすれた匂いを運んでくる。
一週間が経過しているというのに、火事の傷跡は未だ健在しているのだという事実に胸が痛む。
ヘクターといた時には感じなかったことだ。
この痛みはエリーのものなのだと、パルムは思った。
エリーの傷はまだ癒えていない。
しこりのように沈澱し、膿を生んでいる。
会えなかった一週間のうちに少女の心に深く染みついてしまったのだ。
そして、原因は自分にある。
一週間、エリーがどんな気持ちでパルムの噂を聞かされたのか、それを思うとやり切れなかった。
かける言葉も思い浮かばず、ひたすらエリーの背中を見つめる。
永い時間が過ぎたように感じられたけれど、実際にはほんの数刻であっただろう時間の後、振り返ることもなく、エリーが口を開いた。
「マリの馬鹿。痛いのです。どうして私が叩かれないといけないのですか。私、何が悪かったのですか。ねえ、パルムさん、教えてください」
「エリーは何も悪くない。悪いのは俺だ」
エリーは力なく首を振る。
「私は、何が悪かったのか教えてくださいって言ったのです。謝って欲しいなんて思っていません。パルムさんは、そうやってごまかすのですか。
そうですか。そんな人だったなんて知りませんでした。結局、私は信用されていないということなのですね」
「そういうことじゃない」
「だったら教えてください!」
エリーが力の限り叫んだ。
振り返り、パルムを見上げた瞳には涙が止めどなく溢れて零れていた。
「私はずっと待っていたのです。一週間、パルムさんが退院するまでずっと、我慢していました。お母さんとお父さんからは、もうパルムさんには会わないようにと言われ続けて、それでも私は待ちました。
わかりますか? 約束しましたよね、一緒に探そうって、パトラを探そうって、そう言いましたよね。だから今日、会いに行ったのです。
そしたら、パルムさんはアリとマリと遊んでいて。なんなんですか、遊んでいる暇があるなら、なんですぐに会いに来てくれないのですか。
私との約束なんてどうせ覚えていなかったのですよね? パルムさんの馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿! 大馬鹿!」
立ち上がり、パルムの胸、正確には腰だけれど、目掛けて飛び込んでくるエリー。
幾度も幾度も、繰り返し、小さな拳で叩いてくる。
出会った頃のお茶目な少女ではない、必死に自分の気持ちを吐き出す彼女。
腰に手を回して泣きじゃくるエリーの頭を静かに撫でる。
整えられた金髪がふわりと揺れる。
払いのけられることも覚悟していたけれど、幸いにもまだそこまで嫌われた訳ではなかったようだ。
エリーは無言で腰に回した腕に力を込めた。
これ以上嫌われるのは、辛い。
パルムは言った。
「わかった。エリー、聞いてくれるか?」
少女の信頼を無碍にはしたくない。
エリーはそっと顔を上げると、何も言わずに頷いた。
彼女と二人、パトラの立体製図の前に腰を落とす。
「そうだなあ。何から話したら良いのかな。まず始めに言っておくと、エリーのご両親は間違っていない。だからエリーが悪い訳ではない。そこは誤解しないでくれ」
「でもマリが」
エリーが不可解な表情を浮かべるのを見て、パルムは続ける。
「そう。マリも間違っていない。だからあいつのことも悪く思わないで欲しい。何度も言うけれど、悪いのは俺だ。俺なんだ」
うっすらと目を細め、在りし日の記憶を辿るように、パルムは立体製図を眺めた。
今から一年前のあの日ーー激しく燃える妖精の森を、少し離れた場所に立ち、フェアリーズと一緒に見ていたあの晩の出来事を、パルムは今でも夢に見る。
「まずは誤解から解こうか。エリーのご両親は俺のことを放火犯だと言っている。それじゃあ、俺が一体何を放火したと言われているか、聞いたか?」
「それは、妖精の森に火をつけたって、言っていたです」
「そう。世間ではそう言われている。でも俺はそんなことはしていない。それは信じて欲しい。俺は放火なんてしないし、ましてやアリとマリが住んでいた森を燃やすような真似はしない。犯人は別にいる。俺の立場は正確には、容疑者なんだよ」
「濡れ衣ってことですか?」
「難しい言葉を知っているんだな」
軽く微笑む。
エリーは子供扱いされたのが気に食わないのか、むっとした。
「だったらそう言えば良いのに、どうしてしないのです」
「俺が容疑者でいる方が都合が良い人間がいる」
「もしかして、パルムさんは犯人を知っているのですか?」
エリーの鋭さに驚きながら、パルムは頷いた。
「ああ」
「アリもマリも?」
「知っている」
「だったら! どうして黙っているのですか!」
エリーの憤る気持ちは痛いほどわかる。
パルムが一年間、胸の奥で絶えず押し殺してきたものと同じだからだ。
吐き出せず、飲み込みもできず、消化することなど決してできない。
パルムはぐっと声を抑えて言う。
「相手は、特級建築士だ」
エリーが動きを止め、パルムを見やる。
予想外の答えにどう返事をすればいいのか、彼女自身理解できていないようだった。
パルムはなるべくゆっくりと、諭すように続ける。
「もっと言えば、特級を指揮した者がいる。特級に命令を下せる人間は限られている。国の行政機関、魔法建築士庁のさらに上。
特級は王様お抱えの私設建築士みたいなものだからな。あいつらは王様以外の命令は聞かない」
「え、それじゃあ、妖精の森を焼いた犯人って」
「そう。ーー王様だよ。世間には知られていない。だから皆が俺を誤解していても仕方ないのさ。向こうは認める訳がないし、おおっぴらに吹いて回ればどんな手段に出るかわからない」
「そんな。それじゃあ王様がアリとマリの森を焼けって命令したのですか。それをパルムさんのせいにしているのですか。そんなこと、酷すぎます」
みるみるエリーの顔色が朱に染まる。
目元にはうっすらと涙すら浮かべて怒りをあらわにする少女を、パルムは愛おしく感じた。
こうして自分たちの為に怒ってくれる人が、この街に一体何人いてくれるのだろう。
ヘクターとモースには事情を話している。
あの晩、アリとマリの手当をする際に世話になっているからだ。
只、彼らは協力はしてくれるけれど、エリーのように感情を剥き出しにすることはない。
当然だ。
迂闊に漏らしていい内容ではない。
本当なら、パルムは二人にも話すつもりはなかった。
診療所でヘクターに半ばむりやりに聞き出されたのだ。
迷惑はかけたくない。
パルムが話の最後にそう言い終えると、ヘクターは一言、すまなかったと頭を下げた。
強引に聞き出したことへの謝罪なのか、それとも聞いてもどうにもならないとわかり謝罪したのか、もしくはその両方か、パルムには判断がつかなかったけれど。
「でも、どうして王様がパルムさんに濡れ衣を。そもそもパルムさんはどうしてそんなことを知っているのですか」
本当に頭の回転が速い子だなと感心する。
此処から先は正直、うまく説明できる自信がなかった。
苦い思い出と共に、一人の人物が絡んでくるからだ。
ため息を吐こうとしてやめた。
我慢してきた気持ちまでこぼれてしまいそうだった。
いっそ全てを吐き出せたらと、何度思ったことか。
仕方なしに頭を掻いて気持ちを落ち着かせる。
「俺がどうして真実を知っているかは簡単だ。その現場に居たからだよ。特級が森を焼く為に火を放つのを止められなかった」
妖精の森から離れた場所より、特級を含む二十数名が風上から火矢を射ったのだ。
パルムはその直後、森へと駆けていた。
火は瞬く間に森の周囲を焼き、火の手はすぐに森へと燃え移った。
炎の爆ぜる音と草木が燃える焦げ臭い煙と匂い、肌に感じる熱気に喉が痛み、目を開けているのも容易ではなかった。
前後左右、至るところで妖精たちが逃げ惑っていた。
只、次々と放たれる火矢が彼らの行く手を阻んでいた。
押し寄せる死の気配に懸命にあらがいながら、パルムはようやく小さな妖精を見つけて連れ出すことに成功した。
それがアリとマリだった。
パルムにとって唯一の幸運。
自分の犯した罪への、せめてもの代償。
償い。
フェアリーズは気がついているだろうか。
自分たちの置かれている状況が何も特級や王様だけのせいではないということに。
「それと王様がどうして俺に濡れ衣を着せるかって話だけれど。勿論、噂を流したのは特級の連中だけれど、要は事件の容疑者を肩代わりをすることで、生き証人でもあるアリとマリと、この街で暮らすことを暗黙の了解で許してもらっている、ということだ。
だから俺たちは、いや、俺はこの街にいる限り、永遠に真相が暴かれることのない事件の容疑者って訳だ」
「それじゃあ、ずっと犯人扱いされるってことですか? そんなの!」
エリーの言葉を制するように言う。
「決めたことだ。悔いはないよ。只、アリとマリには迷惑をかけているかもしれないけれどね」
肩を竦める。
自重気味の口調になってしまったのは、やはり多少なりとも後ろめたい気持ちがあるからだろう。
毎日の食事や日用品など、日々を生きていくのに必要な物を買うお金すら事欠く生活だ。
自分だけなら我慢もできるけれど、アリとマリにそれを強いている状況は辛い。
そんなパルムの気持ちを察したのだろう。
エリーは「そんなの、どう思っているかぐらい、あの二人を見ていればわかります」と呟いた。
沈黙が長く続く。
エリーも今は気持ちの整理がつかないのかもしれない。
当初の誤解は解けたように思える。
しかしどうしてもこの話を他人に、しかも年端も行かない、いくら頭が良かったとしても、子供に話すべきだったかと問われたら。
ヘクターからはきっと、この馬鹿! と怒鳴られたに違いない。
何度となくこの街を出ようと思った。
その度に、一人の男性の顔が思い浮かぶ。
パルムをソルティオにつなぎ止めているのは約束だった。
約束、と呼べるかどうか定かではないけれど、パルムは勝手にそう思っている。
その人物は、妖精の森事件でパルムを庇い、ソルティオを去ることになってしまった。
本人は至って元気に、ちょっと旅に出てくるわ、と軽い足取りだったけれど。
彼に名を聞く度、思い出す。
お前は此処で胸張って生きろ。と。
「先生……」
遠くに見えるソルティオ城を眺めてこぼす。
パルムの先生、レイバン・キャニングのことを。
とても胸を張って生きているとは言い難い。
只、やるべきこと、やらなくてはならないこと、やりたいこと、言い方はなんでも良い。
決まっている。
結局、自分にはこれしかないのだと思う。
「パルムさん。私、どうしたらいいです?」
不安げに前髪をいじるエリーの手を取り立ち上がる。
「行こう」
「え、何処へですか」
「パトラがいた場所ーー妖精の森だよ」




