事務所に戻ると
事務所の戸を開け「ただいま」とパルムは力無く椅子に座った。
間を置かず、奥の台所からアリとマリが顔を覗かせたる。
小走りでやって来た彼女たちを見て、パルムは自分の頬が引きつるのを感じた。
「お前たち、それはどうした?」
「良いでしょ可愛いでしょ」
「私たちの小悪魔ボディに魅了されましたか」
身体でしなを作り、吐息だか、片目を閉じるだかして目の前を行ったり来たりするフェアリーズ。
しかし全く艶めかしくもなんともない。
凹凸のない案山子がぎこちなく動いているようだ。
「そんなことより、お前たちが着ているそれはモースの所の看護士が着ている物だろう」
桃色の、この時点でどうかと思うが、スリットの入ったワンピース調の洋装を着ている妖精たち。
白磁色した細い足をスリットの隙間から覗かせて、ふふん、とアリが得意げに鼻を鳴らす。
「パルムが退院する時にたまたま落ちていたから拾ってきた。誤解しないでよ。盗ったんじゃないよ。途中でモースに会ったからちゃんと、これくれる? って聞いたら良いよって云ったんだから」
「........その後、モースは何か云っていなかったか?」
嫌な予感に悪寒がする。
マリはにこやかにこう付け加えた。
「パルムさんに、返済が楽しみだと伝えてくれと云っていました」
やはりかあ! パルムは立ち上がった。
「今すぐ返してこいお前たち! それが駄目なら早急に時を戻せ!」
そうしないと後でどんな要求を突きつけられるか判らない。
貞操なんてとっくに捨てたけれど、別の貞操が奪われてしまう。
そんなことは御免だ。
「いやーだー! 折角パルムが戻ってきたんだ。一緒に遊ぶんだ。お医者さんごっこでもなんでもしてあげる。なんだったら私たちがパルムを診てあげる。この有能な看護士にお任せしてちょうだい」
きらりっ、と人差し指と中指でVの字を作り、片目を閉じるアリに、はっきりと苛立ちを覚える。
先程から膿のように溜まっていた鬱屈とした何かが、血液に乗って身体中を巡り、支配しようと暴れだす。
アリの無邪気さは今の自分にとって、酷く眩しいものだった。
何時もなら他愛のないことだと、少しばかり相手をして終わりな筈が、今はどうにも堪えられない。
「……さい」
「え? パルム、何を云ったの?」
「煩いって、云ったんだよ! いつもいつも、いい加減にしろ!」
もう自分でも歯止めが効かなくなっていた。
振り上げた手の平を、それを見上げて強張った表情を浮かべるアリに向かって、振り下ろそうとした瞬間ーー。
「パルムさん! 駄目!」
「ーーっ」
マリの怒号に、パルムの手は寸でのところで動きを止めた。
後少し遅ければ確実に当たっていた。
アリの頬すれすれにあった手をだらりと垂らし、パルムはもう、何がなんだか判らなくなってしまった。
身体を竦め、怯えた目でパルムを見上げるアリにも、見たことのないような厳しい目で見据えるマリにも、目を合わせられず、くすんだ床に目を伏せる。
「パルムさん、どうしたんですか。エリーの家で何かあったのですか?」
アリを抱きしめたマリが諭すように云う。
自分を気遣うその優しさに、パルムは苦い気持ちを持った。
何もできない自分には労られる意味なんてないような気がした。
「なんでもない。御免な、アリ」
「ううん……。いい」
マリの腕の中、パルムを見ることなく首を横に振る。
パルムはどうして良いか判らず、兎に角この場に居たくないと思い、只、アリとマリをこのままにして良いのかすら判断できず、ひたすら黙って立ち尽くした。
「もしかして、放火の件ですか?」
「知って、いるか。それはまあ、知っているよな」
自分よりもずっと早くから家に戻っているのだ。
近所での評判くらいすぐに耳に入ってくるだろう。
彼女たちはそれを隠して、パルムが入院中でも悟られないようにしていたのかもしれない。
そんなことも気が付かない癖に、自分は手を挙げようとしてしまった。
「パルムさんではないとヘクターさんも云っていました。皆にも、そう云っています」
「信じてくれるかな。俺には前科がある」
「そんなこと! あれはパルムさんのせいじゃない! 焼けた森から私たちを助けてくれたのはパルムさんじゃないですか! そんな言い方、それじゃあ、あんまりです........」
「ごめん」
マリは嗚咽を堪えるようにして鼻を啜った。
それから部屋はもうすっかり、静寂に占拠されてしまった。
誰も視線を合わそうとせず、只じっと、何かから逃げるように身を潜めるばかりで、身動き一つ取れないまま、ひたすら時の止まった空間に銅像のように居るだけだった。
そうした折りに、戸を叩く音がした。
ヘクターが訪ねてきたのか。
そうならば嬉しい限りだ。
暗澹、沈鬱、重苦しい。
なんでもいい。
この自縄自縛にも似た雰囲気を断ってくれさえしてくれるなら、誰でも構わない。
パルムは消沈した身体を椅子から起こすと、戸を開けた。
そして、そこに立っている少女ーーエリーに驚いた。
「エリー、どうしてここに」
少女は戸の前で、小さな身体の、大きな瞳でもって、向かい合うパルムを力強く見据えてこう云った。
「嘘吐き」
「え? エリー、一体、なんのことだ」
少女のきつく結んだ口元から、自分が何を云われたのか、パルムは上手く聞き取ることができなかった。
只、胸の動悸が大きく頭に響いて、今も自分が何を話したのか、良く判らなかった。
嘘吐き?
そう聞こえたような気がした。
誰が。
何を。
誰に。
嘘を吐いたって。
云うんだ。
「私、聞きました」
そう云って、エリーは言葉を継いだ。
「パルムさんが私の家に火をつけたって、お母さんとお父さん、それに近所の皆からも。パルムさんはお金がないから、他人の家に火を付けて、それで仕事を貰えるようにする、悪い人だって、そう聞きました」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はそんなこと絶対にしない」
「それに、パルムさんは昔、森を焼いたって、だから、一級建築士でも、こんな所に住んでいるんだって! 悪いことをしたから、だから、私の家を、焼いたんだって!」
裏切られたと、エリーは云った。
パルムの身体が冷水でも浴びせられたように冷たく、指先の感覚は麻痺していく。
立っているのがやっと。
視界も狭くなっていき、エリーの姿が、薄白く消えていくような、淡くて脆い存在に思えてくる。
夢でも幻でもなく、パルムは自分の意識が、まるで他人事の世界を切り取ったかのように感じられた。




