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異世界建築物語  作者: 神尾龍平
第一章 妖精の犬小屋
19/31

火事の後で

 それから一週間後。

 

 退院したパルムは家に荷物を置くと早速火事のあったエリーの家へ向かった。

 当のエリーは怪我も少なかったので火事の翌日には診療所に訪れた両親と共に退院していた。


 退院する前にパルムの部屋に来て「約束忘れないでね。待っているから」と云って、これから住む借家の住所を教えてくれた。

 只、その後ろで彼女を待っていた両親の、自分を見る視線に痛いものが混じっているのをパルムは見逃さなかった。


「俺って良い印象を持たれていないんだろうな。火事は俺のせいではないのに」


 炭化して灰となり地面に崩れた柱の一部を爪先で転がしながらパルムは嘆いた。


「あながち間違っていないんじゃねえのか」


 パルムの隣でしゃがんでいるヘクター。

 彼は先の尖った鉄棒で、焼けて黒く爛れたソファーを突いている。

 二人は今、火事の原因について調べるため、エリーの家を検分中であった。


 診療所にいる間、パルムはフェアリーズとヘクターから火事についての話をずっと聞いていた。

 火事はあの後、周囲の家に飛び火することなく鎮火したそうだ。

 エルムナード大通りに建築された殆どの家屋がそうであるように、大きな敷地に庭のついた豪邸のおかげで隣家との距離が結構空いていることが良かったらしい。

 只、立派な家は今は見る影もなく、炭化した黒と、少しばかり焼け残った白煉瓦の白とが混じり合う、なんとも複雑な気持ちにさせる物へと変化してしまっていた。


「何が?」

「火事の原因だよ」

「俺が火を付けたって云うつもりか」

「違う。だがな手前、あんまりと出来過ぎじゃないかと思ってな。手前がホーリーだかハーリーだかの依頼を受けたすぐ後だろう。誰だって考えるぜ」

「...ヘクターもそう思っているのか?」

「さあな」


 この友人は決して他人を甘やかさない。

 勿論、自分にも厳しい。

 だからパルムは信用しているし、何かあれば頼りもする。

 物事に対して色目を使わないとも云える。

 今のこの状況がパルムにとってどういう意味を持っているのか、彼は教えてくれている訳だ。


「そうか。そういうことか」


 先日のエリーの両親の視線の意味が判った気がした。

 つまり、俺は疑われているのだ。

 あの時はまだ周囲を見渡す余裕がなかったから判らなかったけれど、当然と云えば当然の帰結だろう。

 得体の知れない建築士がエリーと一緒とはいえ、留守居のところに侵入しているのだ。エリーのことだから、パルムの作った立体製図のことも話しているに違いない。


「もしかして意匠もーー」

「当然見られているだろうよ。だから云ったじゃねえか。この馬鹿が」


 パルムの言葉を継ぐヘクター。

 意匠を魔法建築士庁で確認すれば素性はすぐに判明する。


「うう...返す言葉がない」

「ところで今日はアリとマリは一緒じゃねえんだな。寝てんのか?」


 ヘクターは鉄棒を床に刺し、一息つくように動きを止めた。

 多分、怪我も完調していない自分を気遣かってくれてのことだと思い、パルムもそれに倣う。


「まだ火に関係することについて触れるのは怖いみたいでさ。火そのものには大分慣れてきたと思うんだけれど、何かが燃えているとか、燃えた後とか、そういうのに近づくのは抵抗あるみたいなんだ。だから留守番さ」

「もう一年になるのか。あいつらがお前のところに来てから」

「...そうなるね。ついこないだみたいだけれど」


 正確には俺が連れて来たんだと、パルムは心の中で修正した。どちらでも良いようで、そうではない。

 そこには明確な違いがあった。

 アリとマリの意思ではなかった。

 被害者に意思はない。

 特に、家を焼かれて放り出された者に、その現場を間近で体験した当事者に、誰かに付いていこうなんて、そんな前向きな感情が生まれる訳がない。


 妖精の森が焼かれるのを茫然と見つめていたアリとマリの手を引いて連れてきたのは、間違いなくパルムだった。


「で。俺が疑われているということは、直接の原因はあれか」

「放火だ。裏戸の付近に【マウ酒】が撒かれていた」

「マウ酒か」


 マウ酒とは、【マウの木】から採れる樹液を煮詰めて醸造した酒のことだ。

 マウの木は多年生の植物で粘り気の多い樹液と良く燃える樹皮が特徴である。

 通常は薪に利用されるこの樹木から樹液を採り酒と混ぜ、それを更に煮詰めた物をマウ酒と呼ぶ。


 アルコール度数は実に八十パーセントを超えるため、飲酒には特に注意が必要である。

 これを現場に撒いて火を付ければ、確かに火の回りも勢いも早くなるだろう。

 ちなみにマウ酒は比較的高価な酒で、パルムには手が出せない。


「だったら俺じゃないじゃないか。そんな物買うお金はない」

「威張るなこの馬鹿。大体、世間は手前の懐事情なんて知らねえよ」

「目下第一容疑者という訳か。ーーマウ酒から犯人は割り出せないのか。誰でも買えるって物でもないぞ」

「誰でもって訳にはいかないがな、誰にも買えないって代物でもない。マウ酒自体はそこらの酒屋でちょっと金さえ貯めれば誰でも買える。そこから絞り込むのは時間もかかるし不可能だよ」

「怨恨は? ヒギンズ家を狙う【暗殺者アサシン】とか」

「そんなもん、居たら真っ先に夫妻が死んでいるよ。わざわざ大火事起こすなんて目立つことしねえだろ。大体、ヒギンズ夫妻は良い人たちで恨まれるような真似はしてねえさ」

「...だろうね」


 それはエリーを見ていれば判る。

 あんなに素直で良い子の両親が悪人である筈がない。

 そもそも悪人であるなら妖精犬が黙っているとは考えにくい。

 暗殺者は冗談にしても、危険があるような家に妖精犬が何年も居着くとは思えない。


「いや、逆なのか?」

「逆?」


 危険が去ったから姿を消したとも考えられる。


「妖精犬の方はどうなった? 見つかったか?」


 パルムの問いにヘクターは首を横に振った。


「居ない。ヒギンズ夫妻もあの日の夕方以降見ていないと云っていた。なんだかなあ、一体全体どうなっているのか、皆目見当もつかねえ。なんなら、もう帰ったんじゃねえのか、その、妖精の森によ」

「うーん...」


 云ってみたは良いけれど、その答えにはパルム自身首を傾げる。

 明確な根拠がある訳ではないのだけれど、あの妖精犬、パトラがエリーに黙って家を出ていくとはどうしても思えなかった。


 焼けて崩れた壁の先、裏庭が見える。

 黒ずんでぼろぼろに剥がれた壁紙や、熱で溶けてしまった陶の器、そういった中にあってパルムの立体製図だけが今も淡青色の輝きを保ったまま、主の帰りを待っているようだった。


 結局、何も収穫がないままエリー宅でヘクターと別れた。


 パルムはまさか自分が放火の第一容疑者になっているとは思っていなかった。

 しかしその疑いもすぐに晴れるだろう。


 マウ酒の件もそうだが火事があった時間、パルムは自宅で妖精たちにあれやこれやとからかわれていたのだからーーってそんなもん、云える訳がないだろう! ーー兎にも角にも、次にどうするか。


 行く当てもなく、ふらふらと街をさ迷っていると、まるで自分が迷子の【狐猫コネコ】のように思えてくる。

 森を住家にした体長二十CM程度の、旅をしていると食事中に決まって顔を出す、垂れ下がった大きな耳が特徴的な動物だ。


 狐猫は普段は家族単位で行動しているのだけれど、子供の狐猫は度々迷子になることが報告されている。

 どうも餌の匂いに釣られてしまうらしい。

 なんと間の抜けた動物だろう。

 しかしその後は決まって親の狐猫が迎えに来ると云う。


 腹が空いたなあ。


 急な空腹感にお腹を押さえると同時に、なんだか虚しさが込み上げてくる。

 理由は、はっきりとしている。


 目的がなくなってしまった。

 エリーには悪いけれど、パトラの家のこの騒動では続けるのは難しいだろう。

 何より親御さんが許してくれるとは到底思えなかった。


 何もない。


 自分は一体、この一週間と少し、何をしてきたのか。

 手元には何も残らず、残ったのは放火の容疑者という不名誉のみだ。

 パルムは通りに立ち、エリーの家がある方へ身体を向けた。


 自分が、完遂できなかった仕事がある。

 それが何より心に刺さる。


 悔しいのだと、情けないのだと、放火だとかなんだとか関係なく、依頼主の発注を、仕事をこなせない自分が酷くちっぽけなものに思えて、だから、まっすぐ自宅にも帰らず、否、帰りたくないのだ。


 火事の検分なんて云っても、それは既に終わっているのは判っていた。

 確認するまで、認めたくなかっただけのこと。

 只それだけだ。

 焼け落ちた家を前にした時、自分の姿と重なって、ああ、終わったんだと思った。

 以前と同じように小さく光る立体製図が目に入り、エリーが喜んでくれた残像が虚しく瞳に映った。


 ふと、目を向ければ、街には様々な人が通りを歩き、パルムとすれ違う。

 子供がいて、大人がいる。

 着飾った人がいれば、貧相な格好の人もいる。

 男性だって女性だって、皆、一様に目的地があり、進んでいく。


 自分には、ない。


 怪我のおかげで家賃の方も少しばかりだけれど待って貰えることになった。

 とは云っても当てがないのは以前と変わらないのだから事態は進展していない。

 今回、エリーに貰う筈だった報酬もモースへの治療費に消える。

 否、自分の報酬など元より勘定になかったのだと、ヘクターは云っていた。


 ないない尽くしでパルム自身、呆れて苦笑した。

 エリーには悪いけれど、妖精犬を探す約束も、今の自分に務まるかどうか、迷っている。

 一週間経った今でも、エリーからはパトラが見つかったという報せは受けていない。


 ヘクターの云う通り森に帰ったのだろうか。

 しかし、パルムにはどうしても妖精犬が森に帰ったとは思えなかった。

 初めてパトラを見た日に感じたあの視線がどうしても忘れられなかった。

 只、捜索には気乗りしない。

 足が動かないのだ。

 前へ進む気力が、活力が浮かんでこない。


 通りの端へしゃがみ込む。膝の間に顔を埋め、深く息をした。


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