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異世界建築物語  作者: 神尾龍平
第一章 妖精の犬小屋
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診療所でいちゃいちゃと

「エリー、災難だったな。あ、御両親はーー」

「さっき先生が無事だと教えてくれました。だから大丈夫です。ーー私を助けてくれたのはパルムさんだってことも云っていました」

「それは、うん、そうなんだけれど」

「ありがとうございました」


 深々と頭を下げるエリー。

 あれだけ怖い目にあったと云うのに、こうして真摯に頭を下げる姿を見ると、妖精達より年齢が低いとは到底思えない。


 しっかり者だなあと、せめてこれの十分の一でもアリとマリが見習ってくれたらなあと、エリーの後頭部に手を乗せた。

 その手を彼女に握られた瞬間、パルムは云いようのない気持ちになった。


「ーーエリー、君...」

「えへへ、大丈夫ですよ。でももう少しだけこのままでお願いします」


 相変わらず頭は下げたままだったけれど、伝わってくる。

 ぎゅっと握られた彼女の手、否、身体は酷く震えていた。

 怖かった。

 恐ろしかった。


 そうした感情に負けまいと、彼女は意識を戻してからずっと、我慢していたのだろう。

 どれだけ気丈に振る舞っていてもまだ年端も行かない少女なのだ。

 少女に気を使われ、ましてやそれに気が付かなかった自分に腹が立った。


「格好悪いな、俺」

「え? 今何て...」


 エリーを抱き寄せる。


「何でもない」

「はっ、えっ、あの、いや、パルムさん、ちょっと」

「ごめん。でも、少しだけだから」


 自分でも良く判らない。

 薄い病院服を通して彼女の体温に触れたいと、勝手に身体が動いた。

 そうしてみたら、予想以上に心地好い。

 指通りの良い髪も、肌に触れるとさらさらとくすぐったい。

 エリーの身体から香ってくる甘い子供特有の香り。


「良い匂いだなあ」

「ふわっ!? パ、パルム、一体何をしているのですか 私、今はお風呂にも入っていなくて、ちょっとできればその、そういうのは後にして頂けると、その、こちらとしてもやぶさかではないというかですね」


 エリーはパルムの腕の中、どうして良いか判らないと云った様子だった。

 只、先程までの震えは収まっている。

 成されるがままと云ったていの彼女の身体は温かく、じわりと胸に染みて、次第にパルム自身の平静を取り戻していく。


「ずっとこのままで居られたら良いのに」

「え、それってどういう意味...」


 エリーがもぞもぞと顔を覗かせた瞬間。


「はいそこまで!」

「いい加減に、して、下さい」


 アリとマリの二人に強引に引きはがされた。


「むううう。私たちというものが居ながらいちゃいちゃと。ーーパルムの浮気者」

「いや、いやいやいや。何か勘違いしているぞ。俺はエリーの無事を喜んでだな、こうして喜びを噛み締めているだけだよ。

 浮気だなんてそんな滅相もない。第一、俺はお前たちに責められるような立場にはいない。俺は独身だ。無実だ」


 自分で云っていても言い訳がましいと思ったけれどーーそしてかなり早口だったけれど、間違ってはいないと己に云い聞かせる。


「マリ裁判長。如何しましょう?」

「ごほん。被告人、ニコライ・パルムに判決を申し渡します。ーー判決。有罪。被告人は己の罪を悔い改めると共に、同居人である妖精たちを今後一生に渡り、不自由ない暮らしを約束すること。

 具体的には毎日のお菓子と毎晩の添い寝です。ついでに私の頭をなでなですることも追加します」

「あ、マリってばずるい。それじゃあ私は毎日一緒にお風呂に入ることにする」

「では毎日身体の洗いっこはどうです?」

「それ良いね!」


 既に当事者であるパルムを置き去りである。

 妄想話に花を咲かせるフェアリーズを無視して再びエリーに向き直ると、少女は気恥ずかしそうにこう云った。


「私も一緒にお風呂に入りたい...」

「エリー、エリー、まずは落ち着こうか」


 パルムの言葉も耳には届かず、少女は頬を赤く染め、遠くを見つめた。


「お父さんは反対するでしょうが先に既成事実さえ作ってしまえば後はなし崩しに物事は進んでいきますしそうなればもう誰にも止められる心配はないと思いますのでここは思い立ったが基地汁とも云いますからいっそ今から一緒に入ってしまうというのはどうでしょうか駄目ですか駄目だと云われたら私はもう恥ずかしくて二度と外を歩けなくなってしまうと思うのですがそうなるとやはり原因を作ったパルムさんに責任をとって頂くことになりますけどそれは私にとっても嬉しい嬉しいだからそうむしろそうなった方が良いのかどうかああもう私には判らなくなってきました」


 うおおお、長い長い。

 ややもするとこちらが引いてしまいそうな程の妄想力を発揮させたエリー。

 否、傍にいたアリとマリの微笑みは若干引きつってさえ見えた。


「何処から云えばいいのか判らないけれど、とりあえず基地汁は吉日な。兎に角も落ち着こうか!」


 肩を揺すると、彼女は夢から覚めたようだった。


「あ、ごめんなさい。私ーーてへっ」


 舌を出す仕草も可愛らしい。


「...うんまあ、この際何でもいいか」


 アリとマリも無言で頷く。

 今見たことはなかったことになった。

 話を戻そう。


 まずはエリーの無事を確認できたこと。

 これが何より大事だ。

 それに御両親も、程度ははっきりしていないけれど、生死に関わる程の重傷ではないだろう。


 そうならばヘクターが火事の現場で云う筈だし、モースがあれだけ平然としているのも、きっとそういうことに違いない。

 家は焼けてしまったけれど、それも命あってのもの。

 大通りにあれだけ立派な家を建てられるのだ。

 すぐに前と同じ暮らしに戻れる筈だ。


 只一つ、気掛かりなことはある。


 妖精犬のことだ。


 あれだけ頭を襲っていた唸り声と云うか、警告音と云うか、そうしたものが現場に到着した頃には消えていた。

 あの炎を前にして動転していたのも確かだ。

 しかし、妖精犬の鳴き声が途絶えたことはフェアリーズも承知している。

 それはエリーを助けた後、診療所に向かう間に確認済みだ。

 ヘクターも妖精たちも誰も、妖精犬の姿を見ていない。これは相当に不自然なことだとパルムは考えていた。


「エリー。一つ聞きたい。ーー火事の晩、何か変わったことはなかったか」

「うーん。これと云って何もなかったですよ」

「火事の原因についてはどうだい?」

「それも私には判りません。夜中にふと目が覚めると、焦げ臭い匂いがして、扉を開けたらく真っ黒い煙が這入ってきたんです。

 慌てて扉を閉めたのだけれど、あっという間に部屋に充満しちゃって。私はもう布団の中に逃げるしかなくて、それからはもう何も覚えていません」


 エリーは恐怖を押し殺したように、唇を噛み締めながら喋った。

 原因不明か。

 妖精犬の危険を報せる警告が無かったらと思うとぞっとする。

 この愛くるしい少女が横たわる姿など想像するだけで吐き気がした。

 只、やはり不可解だ。


 普通に考えればパルムやフェアリーズに警告する前に、家人に報せるほうが余程簡単だし重要だ。

 火事の後、両親とエリーが助けられたことから、恐らくこの三人には妖精犬の鳴き声ーーあのけたたましい音は聞こえなかったと想像できる。


 何故、家人ではなく自分たちなのか。

 何故、火事は起こったのか。

 後でヘクターに相談しよう。

 消火活動に携わった彼なら何か知っているかもしれない。


「パルムさん、どうしたのですか? 火事のことを調べているのですか?」

「火事と云うよりは妖精犬についてかな」


 ぽろりと漏らしたパルムの言葉にエリーの表情が凍りついた。

 直ぐにその過ちに気付いたけれど、最早遅かった。 


「そうだ。パトラ...パトラは!? パルムさん、パトラはどうしたんですか!」

「それがーー」


 行方知れずの事実を告げるべきか迷った。

 アリとマリも妖精犬の行方を知らないのか、目を伏せている。

 隠してもいずれ判る。

 そう判断して、パルムは決心した。


「パトラは居なくなったんだ」

「嘘...嘘だよね? パトラがどうして? 死んじゃったの?」

「それは違う!」

「じゃあ、どうして居ないの? ねえ、何で?」


 エリーの小さく悲痛な声に誰も応えることができない。

 危険だけを報せて姿を消した妖精犬パトラ


 エリーにしてみれば全てが悪夢のように思える程、衝撃的ショックな出来事ばかりだ。

 家が焼け、命の危険に晒され、大事にしている妖精犬がいなくなった。

 痛苦に身を焦がしてもまだ足りない。

 只、痛みに耐えるだけ。

 全身をねぶるように襲う怪物から逃げることもできず、立ち尽くし、暴虐の限りを受けるのだ。


 叫びたいだろう。

 泣いて逃げ出したいだろう。

 それでも、それができない苦痛。 

 小さな身体が今にもちぎれてしまいそうだろう。

 せめて妖精犬の生存だけでも判れば救いだってあるのに。


 自分にできることの少なさに、パルムはどうしようもない歯痒さを感じ、それが表に出ないよう懸命に噛み殺した。

 自分が無力だと認めるのは良い。

 事実だし真実だ。痛くも何ともない。

 でも、自分よりも辛い立場のエリーにそれ以上何も重荷を背負わせたくない。

 気丈にもエリーは泣かない。

 だからこそ、ここで自分が弱音を吐くことだけはしないと、強く強く思えるのだ。


「怪我が治ったら俺も一緒に探すから。だから、今はゆっくり休むんだ」

「……判りました。ごめんなさい」

「謝ることなんか何もないさ。それじゃあ俺たちは部屋に戻るから。きちんと寝るんだぞ」

「はい。ーーおやすみなさい」


 エリーは目を伏せたままお辞儀をした。

 妖精たちも上手く話す内容が見つからなかったのだろう。

 小さく手を振るとパルムと一緒に廊下に出た。


 パルムは雑に積み上げられた木箱に背を預け、忘れていた背中の痛みに苦悶の表情を浮かべた。

 否、本当に痛かったのはそんなことではないと自分でも判っている。

 当たり障りのないことしか云えない自分が辛かった。


 逃げたのだ。

 あの場から。

 大の大人が、たった一人の少女から。


 だからってあそこで何を云えば良かったのか。パルムには全く思いつかなかった。


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