妖精、泣く
「この野郎。御託は良いからさっさとその子を渡せ」
ヘクターにエリーを手渡す。
少女を手放した途端、踏ん張っていた気持ちまで無くしてしまったように、パルムの全身から力が抜けた。
爪先から頭の天辺まで通っていた芯のようなものが引き抜かれたようだった。
目の前の景色が猛火の深紅から一気に暗転していく。
このまま眠れればどんなにか気持ちの良いことだろう。
そう思って目を瞑ろうとしたら、ヘクターに肩を掴まれた。
「助かったよ。このまま天国へ逝く処だった」
「判った判った。何なら後で幾らでも連れて行ってやる。だから今はまだ寝るな。お前まで背負って梯子を下りるのはきつい。ほら、しっかり歩け」
「......天国か。それは楽しみだ」
ヘクターに引き摺られるようにして外を覗くと、壁に木製の太い梯子が立てかけられていた。
庭を回って裏手の位置だ。
広いとは云えない小道だったけれど、他家との距離は三メートル以上あった。
屈強な男衆が梯子を支えている。
応援とやらの人たちだろう。
梯子を下りていく。
最初にヘクター、それからパルムの順番だ。
万が一、パルムが落下した際にヘクターが支えられるようにとの配慮だった。
無事に下りると、ヘクターはエリーを近場に居た男性に預けた。
男性は直ぐさま小道を駆け出し、エルムナード大通りに繋がる曲がり角に消えていった。
兎に角もこれで自分のやれるべきことは達成できた。
エリーの容態は心配だったけれど、後は医者に任せるしかない。
彼女の両親は無事だろうか。
そう云うと、ヘクターは「無事だ」と教えてくれた。
どうやらエリーよりも先に救出されていたらしい。
本当に良かった。
アリとマリも心配しているに違いない。
彼女たちは恐らく此処までは近寄れない――以前、森が焼かれた所為で火災の現場に近づけなくなっているのだ。
ぐったりした身体を起こし、先程男性が消えた辺りに目を向ける。
案の定そこには顔だけを覗かせて此方の様子を伺うフェアリーズの姿があった。
ヘクターに肩を貸して貰い、彼女たちの元まで行く。
彼女たちは「パルム!」「パルムさん!」とパルムに抱きついた。
「お前たち......火の傍に居て平気なのか?」
アリとマリは幾度も頷いた。
ああ、涙が。
彼女たちの瞳に溢れる涙を見てまるで自分のことのように胸が痛んだ。
今だって苛烈な思い出からこうして火の傍に居ることさえ苦痛な筈なのに。
そうしてアリとマリの頬を触ると、白い肌に煤が付いた。
「悪い。汚れた」
「どうしてそんな無茶するのよ」
アリが唇を噛み締める。
マリが真剣な眼差しで続ける。
「パルムさん。お説教が必要です」
「え、いや、だって、エリーが危ないと思ったんだよ」
「それでもです。エリーが助かったのは嬉しい。それは物凄く嬉しいことです。でも――どうするつもりだったのですか?」
「どうするって......」
マリが云う〝どうするつもり〟の意味が判らない。
エリーを助けた後、どうするつもりだったのかと云う意味だろうか。
パルムは続けた。
「それはエリーを診療所に――」
「私が云っているのはそう云うことではないのです!」
「......」
マリの顔がみるみる崩れ、涙が頬を伝う。
唇は震え、パルムの胸を掴んだ腕も、何もかも、全身を震わせて。
マリは震えて。
「パルムさんが死んじゃったらどうするつもりだったのかと云っているのです! いい加減にして下さい! パルムさんが居なくなったら私はどうすれば良いのか判らないのです! そんな――そんなこと、想像させないで下さい! 厭です! 絶対に厭です!」
「マリ......そこは私も含めてよ......」
アリが複雑な表情を浮かべる。
マリはパルムの胸に顔を埋めて「ごめんねアリ」と謝った。
アリも呆れ顔でマリを抱いて。
「パルム。マリに免じてこれで勘弁してあげる。でも私だって怒っているんだから。もうめっちゃね」
そうしてパルムの鼻先を人差し指で弾いた。
懐で泣きじゃくるマリと宥めるように抱くアリ。
彼女たちに――自分は何と云う酷い仕打ちをしてしまったのだろう。
大人ぶって見えてもまだ幼い妖精たち。
彼女たちは家族と離れ離れになっていると云うのに、また同じことを、火災と云う同じ方法で傷を負わせてしまうところだった。
自分の身体の苦痛なんて何でもないよな、パルムは思った。
「悪かった。本当に。だから赦してくれよ。俺もお前たちが居なくなったらどうして良いか判らない」
柔らかい身体を両手で力一杯抱き締める。
それから暫くして、パルムは思い出した。
「そういえば妖精犬はどうした?」
火災の裏手に回る際、ヘクターも妖精たちも庭を通ってきている筈だ。
その際に立体製図設計も見ているだろう。
その事を話すと、確かに立体製図設計はあったと云う。
ただし、妖精犬の姿は何処にも見当たらなかったらしい。
妖精犬の鳴き声で駆けつけたと云うのに、当の本人ならぬ当犬がいないのでは納得がいかない。
妖精犬の鳴き声も気が付けば止んでいる。
パルムがエリーの家に到着した頃には止んでいた。
妖精犬はパルムが到着した頃には居なかったと云うことだろうか。
それなら一体何処へ行ったのか。
誰も、妖精犬の姿を見ていない。
「探さないと――痛っ」
「パルム!大人しくしてよ」
「そうです。直ぐに治療しないといけないのです」
「でも――妖精犬はエリーの危険を報せてくれたんだろ。その妖精犬が居ないのはおかしいじゃないか」
「判った。後は俺が見ておく。どのみち火災が鎮火しないとこの場から離れられないしな。手前は診療所へ行って大人しく寝ていろ」
パルムの背後に立っていたヘクターに云われ、パルムは渋々頷いた。
ヘクターが云ったからではないけれど、パルムの身体も意識も限界にきていた。フェアリーズの手前平気な顔をしているけれど、どうやら彼にはお見通しだったようだ。
背中をぐりぐりと膝で小突いてくるのも、自分には判っていると云う合図なのだろう。
【モース診療所】に辿り着くまでは気を抜けないな、と思った。
もし意識を失えばたちまち妖精たちの顔は涙で溢れてしまう。そんな顔は正直見たくないのだ。
パルムは両脇を妖精たちに支えられ、小道を背にエルムナード大通りにある診療所へ向かったのだった。




