妖精たちと寝室で
確かに見られている感覚はひしひしと伝わった。
妖精犬――生態は詳しく判っていない。
こうして聞くと判ったようで益々判らなくなる。
不可思議な生き物だ。
しかし先程の話から考えるとエリーに飼われていること自体は不思議でも何でもない訳だ。
そうなると問題は別に生まれてしまった。
「その話からすると、エリーの家に妖精犬が居るのは――」
マリは頷いた。
「――危険が迫っている、と云う証拠です」
彼女がこうして明言するのは珍しい。
それだけ確固たる理由があるのだろう。
人間よりも遙かに長い時間生活を共にしてきた妖精種族がそう云うのだ。
恐らく間違いない。
危険。
それが何かは判らない。
只、胸の奥でざわざわとした何かが生まれたのは確かだった。
思わず口籠もる。
アリとマリも不安な表情を浮かべた。
エリーの家に行くのは明日だ。
本当なら今からでも向かうべきなのかもしれない。
しかし今行って、一体何を話せばいいのかパルムには判らなかった。
危険危険と煽ることに意味などないだろう。
中身が伴わなくては只の嘘吐きになってしまう。
「とにかく明日、ヘクターと一緒にエリーの家に行く」
それだけ云うと、パルムは立ち上がり、自室へ戻ると告げた。
事務所の奥の扉に入り、左手にある階段を上る。
古い木製の階段は――所々白い板で修繕した跡が見られるが――きしきしと軋む音がする。
パルムは身長の所為で其処を上がる際、必ず頭を下げて上らなくてはならず、何時もは気にしない筈のその行為が、今日に限って鬱陶しく感じられた。
二階には二部屋ある。
階段を上がって正面がパルムの部屋、其処から九十度曲がった先がフェアリーズの部屋だ。
パルムは部屋に這入るとまず一番に窓を開け放った。
湿気の匂いが籠もる部屋の空気を入れ替えようと思ったからだが、生憎と颯爽とした風は吹き込んでこなかった。
夕刻が迫ってきていた。
窓からは眩しくもない乾いた陽の光が部屋に差し込み、パルムの影を形作った。
パルムは一人、窓枠に腰を落とす。
今日は一日、色々なことがあったように思う。
只の犬小屋作りだと思っていたら、それが妖精犬だと判り、今度は危険が迫っていると云う。
建材費に家賃もあった。
がくりと肩を落とした。
エリーに告げるべきか、それが一番の問題だ。
料金のことではない。
否、それも問題なのだが、一端は置いておくことにしよう。
危険――一体何が危険だと云うのか。
人なのか、それとも物なのか、それも判断できない。
エリーは何も識らない様子だったし、妖精犬と意思疎通ができるかと云えば、当然できないだろう。
彼女は至って健全に、妖精犬をペットとして飼っているに過ぎない。
フェアリーズの話から推察するに妖精犬がエリーの前に姿を現したのは偶然ではないのだろう。
それは取りも直さず彼女の身の回りに危険が迫っていると云うことに他ならないのだが、三年もの間、ずっと傍に居たと云うのは少し奇妙な気がしないでもない。
「そう云えば三年と云う話はしていなかったな」
あまり関係ないのだろうか。
それにしても最近、成長したと云うのも気に掛かる。
つまり、三年間は危険も未だ小さかったが、つい数日前から急に危険が増したと云うことか。
どうにも要領が掴めない。
危険、危険、危険。
さっぱり判らないとパルムは溜息を吐いた。
夕食はパンと水のみだった。
かれこれ一週間近く貧しい食事を続けていると、胃の方も慣れてきたもので腹も鳴らなくなるのだと、軽く感動を覚えた。
夕食を終えると再び部屋に戻り、明日の準備を整える――そうは云ってもすることは精々道具のチェックだけだ。
ベッドに横になってなるべく体力を使わないことを心がける位で、ひたすら天井を眺めていた。
眠くはなかったけれど、目を瞑っていると次第に睡魔が襲ってきて、パルムは気が付けば眠っていた。
とんとんと、扉を叩く音がしてパルムは目を覚ました。
何時の間にか部屋の中は真っ暗になっていた。
夜か。
開け放した窓から這入る風を受け、身を震わせる。
「パルム。起きている?」
アリの声だ。
パルムがベッドの上で身を起こし、起きていることを告げると、アリとマリが部屋に入ってきた。
「どうした? 何かあったのか?」
「マリが一緒に寝たいって」
「あー、アリが最初にパルムさんの部屋に行こうって云った癖に、何よその、私はパルムさんのことなんて気にしてないわよ的な態度は。
私は只、少し眠れないって云っただけです。そしたらアリが行こうって云いだしたんでしょう」
「判った判った。とりあえず座れ」
妖精たちはベッドの上――パルムを挟むように両側に腰を下ろした。
彼女たちは揃いの柄で色違いの寝間着を着ていた。
色はアリが赤、マリが青である。
背中の羽が出るように寝間着の背後には自前でスリットが入れてある。
夜になると妖精種族の羽は少しだけ光を放つ。
その光の下――。
パルムの目線から。
彼女たちの胸元がちらちらと見え隠れする。
暗い部屋で。
青白い肌がくっきりと浮かぶ。
その先にあるものも、ほんの少しだけ見える。
「......」
見ようとして見ている訳ではないのだから忠告すればいいだけの筈なのだけれど、上手く言葉が出てこない。
彼女たちはそんなパルムの視線には気が付いておらず、アリは少し頬を赤らめて足をぱたぱたと振って遊んでいるし、マリはパルムにべったりと身体をくっつけて正面を向いている。
此処で彼女たちに「お前たち、胸が見えているぞ」なんて云おうものならあらん限りの罵倒の嵐を浴びせられることになるのは判り切っているし、かと云ってこのまま放っておいても結果は同じような気もした。
そもそも彼女たちが不用心なのが悪いのだ。
謂わば自分は被害者だ。
己が好きなのは小盛りではない。
大盛り、否、でか盛りだ。
小盛りなど所詮前菜にも満たない食前酒以下の存在である。
だから、そう。
「俺は云う。あえて云う。悪びれるなんて馬鹿馬鹿しい。――お前たち、胸が見えているぞ、ときちんと伝えてやるのが家主としての正しい役目だ!」
「馬鹿ね。胸を見ていたのは識っていたよ」
やや顔を背けて云うアリ。
「寧ろ見せていたのです」
と大胆不敵に云うマリ。
パルムは愕然とした表情を浮かべた。
「な、何故......そんな馬鹿なことを」
「これでパルムは歴とした犯罪者よ。妖精種族の胸を見た罪は死よりも重い。死して尚私たちに服従するの」
「朝はあれだけ裸を見せたくないって云っていた癖に! 誰が犯罪者か! 俺は無罪を主張するぞ!」
「無理矢理手籠めにされたとヘクターさんに云います」
「止めろ! それは洒落にならない!」
エリーの件も誤解されたままだと云うのに。
これ以上は本当に有らぬ烙印を押されてしまう。
「違うと云うなら――」
「私たちの云うことを聞いて下さい」
アリとマリは首元に手をやり、わざと胸を見せようとしてくる。
「判った! 聞く、聞くから!」
パルムの言葉にフェアリーズは「いえーい!」とパルムを挟んで両手を合わせた。
一体何を要求されるのか。不安で顔をしかめたパルムだった。
そうした不安は――。
――しかし直ぐに解消される。
「......本当にこれで良いのか?」
「何。もっと酷いこと要求してもいいけど」
「今日はこれで勘弁してあげます」
結局は、本当に、彼女たちの要求は簡単で。
一緒に寝て欲しい。
だった。




