第六話 『作られた過去』
真壁宗一郎が応接室を出たあとも、久世遼一はすぐには追わなかった。青い麻紐の採集帳を「数年前に見た」と語ったことは重要だったが、それだけで殺人を証明できるわけではない。必要なのは、真壁がなぜ正式な開封以前にその資料を知っていたのか、そして水瀬直哉がなぜ七つの受入番号を残したのか、その間を埋める事実だった。
「今、問い詰めないんだ」
白峰紗月が言った。
「逃げるなら、それも行動になる」
「嫌な言い方」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めてない」
翌朝までに、久我山隆一から購入記録一式が提出された。領収書、振込記録、仲介人とのメール。そこに並ぶ品目を資料館の記録と照合すると、そのうちいくつかが、直哉の手帳に記されていた七つの受入番号に対応する館蔵資料と一致した。しかも代金は資料館へ入っていない。複数の取引で使われていた送金先を辿ると、金額と入金時期の一部が、真壁の個人口座にあった不自然な入金と重なっていた。
「売ってたんだ」
紗月が画面を見つめる。
「少なくとも、売却に関わっていた可能性は高い」
「まだ可能性?」
「金の流れは強い。でも、資料そのものの差し替えまで同じ人間がやったとは限らない」
久世はそこで、小野寺美咲が修正させられた三件の目録を開いた。変更前のデータは完全には消えておらず、バックアップから復元できた。旧記録には、寄贈者名、箱番号、保存状態だけでなく、一部資料について「原本確認未了」「年代未詳」という注意書きが残っていた。美咲が真壁の指示で修正した後、それらは「大正期採集」「旧家伝来」など、断定的な表記へ変えられている。
「分からなかったものを、分かったことにした」
紗月が言った。
「ああ。しかも古くした」
その日の午後、保存担当者から鑑定結果が届いた。『北遠地方異聞拾遺』の紙そのものには古い部分が含まれていたが、綴じ直しに使われた接着剤は近年のものだった。さらに本文の一部に、古い筆跡を模した後世の加筆が見つかった。完全な偽物ではない。古い断片に新しい記述を加え、もともと一冊の古文書だったように作り直した資料だった。
史織は報告書を読み終えると、長い時間黙っていた。
「一番厄介な作り方です」
「全部偽物より?」
「ええ。本物が混じっていると、見る側は安心します。紙が古い。墨の一部も古い。だから書かれている内容まで古いと思ってしまう」
史織は『北遠地方異聞拾遺』の複写を見つめた。
「この資料を根拠にした論文も展示もあります。もし来歴が作られていたなら、嘘は一冊の中だけで終わりません。引用した人、読んだ人、そこから生まれた説明まで、全部が『昔からあったこと』として積み重なっていく」
「作られた過去か」
久世が言うと、史織は静かに頷いた。
「直哉は、それが許せなかったんだと思います」
夕方、美咲から追加の証言が得られた。真壁は目録の修正を指示する際、「資料館の評価に関わる」「曖昧な記録は研究機関として恥ずかしい」と繰り返していたという。実際、真壁が管理責任者になってから、資料館は“未発見だった古い地域伝承資料”を複数公開し、研究機関として注目を集めていた。講演、寄稿、共同研究。その中心には常に真壁の名前があった。
「金だけじゃなかったんだね」
紗月が資料を閉じる。
「名声もだ。売れる本物は外へ流す。空いた場所には、価値があるように見える資料を置く。来歴を書き換えれば、盗難も偽造も表面上は消える」
「水瀬さんが七つを見つけた」
「だから元の記録を集めていた」
久世たちは直哉の机を改めて確認した。引き出しの奥から、薄い封筒が一つ見つかった。表には何も書かれていない。中には七件の旧目録の複写と、久我山へ流れた資料の一覧、そして直哉自身の短いメモが入っていた。
――真壁部長に確認する。説明がつかなければ、館長及び外部監査へ提出。
日付は、死亡した当日だった。
紗月が息を吐く。
「会いに行ったんだ」
「おそらくな」
「じゃあ、殺された夜に真壁さんと話していた可能性がある」
「高い。でも、まだ“可能性”だ」
久世は封筒を証拠袋へ戻した。盗まれた資料、作り直された来歴、書き換えられた目録、真壁へ流れた金。そして、死んだその日に直哉が真壁を問いただそうとしていた記録。
事件の形は、ほとんど見えていた。
残っているのは、水瀬直哉が梯子のそばで死ぬまでに何が起きたのか――その最後の部分だけだった。
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