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夜境捜査録 噂が現実になる夜  作者: 鈴木 明
プロローグ 『十三秒の空白』
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第五話 『語りすぎた男』

旧搬入口から第二資料室へ戻れることが分かった翌日、捜査の焦点は資料館の外へ移った。水瀬直哉の業務用メールから、久我山隆一という個人収集家とのやり取りが見つかったからだ。久我山は古書や民俗資料の蒐集で知られ、ここ半年だけでも直哉へ十数通のメールを送っていた。そのうち数通は、穏やかな交渉とは言い難かった。


「『そちらに保管されている資料は、本来ここにあるべきものではない。返還に応じないなら、こちらにも考えがある』……十分、脅し文句に見えるね」


 白峰紗月が印刷されたメールを読み上げる。


「文面だけならな」


「昨日から真壁さんを疑ってた人とは思えない慎重さ」


「昨日も疑ってただけだ。決めてない」


「はいはい」


 久我山は午後、都内の自宅兼収蔵室で二人を迎えた。四十九歳。背が高く、黒髪にはわずかに白いものが混じり、仕立ての良いシャツと落ち着いた色のジャケットを身につけている。壁一面には古書や木箱が並び、ガラスケースの中には護符、古い絵葉書、地域新聞の切り抜きまで保存されていた。


「水瀬さんが亡くなった夜、どこに?」


「自宅です。家政婦が九時半頃までいました。その後は一人です」


「証明できる人はいない」


「ええ。だから疑われるのも理解しています」


 久我山は落ち着いていたが、直哉の名前が出るたびに指先だけが僅かに動いた。紗月はそこを見逃さなかった。


「水瀬さんに何を返せと言っていたんです?」


 久我山は少し黙り、やがて立ち上がった。奥の保管棚から細長い木箱を取り出し、机へ置く。


「これです」


 中には古い採集帳が一冊収められていた。表紙を束ねる青い麻紐の脇には、三週間前の整理時に貼られた資料館の仮管理票が残っている。


 久世の視線が止まった。


「資料館の所有物ですね」


「今となっては、そう考えるべきでしょう」


「今ここにある理由を聞いてます」


「買いました」


 空気が重くなる。


 久我山は観念したように息を吐いた。数年前から、民間の仲介人を通して資料館由来の品が市場へ流れていたという。久我山は何点か購入したが、最初は正式な除籍資料だと説明されていた。ところが直哉から連絡を受け、少なくとも一部が無断で持ち出された可能性を知らされた。


「だから返せと言われた?」


「逆です。返すと言ったのは私です。ただ、水瀬さんは『今戻せば証拠が消える』と言った。誰が何を売ったのか確認するまで、そのまま保管してくれと」


「じゃあ、あの脅迫みたいなメールは?」


「別の資料です。私は彼がこちらを疑っていると思っていた。腹が立って、書きすぎた。それだけです」


 久世は箱の中の採集帳を見た。資料館から消えた現物が久我山の家にある。動機も、直哉との対立もある。だが、久我山が本当に証拠を隠したいなら、警察を自宅へ招いて現物を見せる理由はない。

 さらに家政婦への確認と周辺カメラの映像から、久我山が少なくとも午後十時過ぎまで自宅周辺にいた可能性が高いことも分かった。完全なアリバイではない。それでも、資料館まで移動し直哉を殺し、何食わぬ顔で戻るには時間が厳しい。


「一番怪しかったのにね」


 帰りの車内で紗月が言った。


「まだ怪しい」


「負け惜しみ?」


「違う」


 久世が答えた時、資料館から連絡が入った。追加の聞き取りに応じた真壁が、久我山宅で見つかった資料について話したいという。

 夕方、二人は再び資料館へ戻った。真壁は応接室で待っていた。


「久我山さんのところから資料が出たそうですね。残念です。水瀬君も以前から彼を警戒していました」


「まだ詳しい内容は公表してません」


「もちろん。ですが、資料が一つ見つかったと聞けば十分でしょう」


 真壁はそこで、何気なく続けた。


「例の、青い麻紐で綴じられた採集帳ですよね」


 紗月の目がわずかに細くなった。久世は何も言わなかった。


 青い麻紐。その特徴は、久我山の自宅で初めて確認されたものだった。現場写真にも館内の電子目録にも写っておらず、警察も資料館側へ詳細を伝えていない。


「真壁さん」


 紗月が静かに尋ねた。


「その資料、最後に見たのはいつですか?」


「かなり前です。寄贈品の確認で……数年前だったと思います」


 久世はその答えを聞きながら、問題の採集帳に関する記録を思い出していた。採集帳は数十年前に他の資料とまとめて寄贈されて以来、未整理資料として封緘された箱の中に保管されていた。その箱が正式に開封され、採集帳が個別に確認されたのは三週間前。青い麻紐を含む外見の記録が作られたのも、その時が初めてだった。そして確認から間もなく、採集帳は所在不明になっている。


 真壁の説明が事実であるためには、正式な開封より何年も前に、封緘された箱の中身を見ていなければならない。


 久世は紗月を見る。彼女も同じ結論へ辿り着いていた。


 真壁宗一郎は、知らないはずのものを知っている。

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