第一章 第六話 『三度目の目撃』
翌朝、久世遼一が署へ着いた時、白峰紗月は既に会議室の端末を開いていた。画面には、昨夜まで確認できなかった後ろ連れの説明が並んでいる。
「増えた?」
「増えたというより、形になった」
紗月が画面を回した。学校関係者が使っている匿名掲示板に、昨夜二十時十四分の投稿がある。
――後ろ連れを鏡とか窓で三回見たら、家までついてくる。二回までならまだ平気。三回目を見たら、振り返っても遅い。
その下には「三回目の反射で家を覚えられる」「三枚のガラスに映ると住所が分かる」といった書き込みが続いていた。どれも出典はない。
「昨日、俺たちが確認したのは一度だけだ」
「少なくとも、はっきり見たのはね」
「誰かに話したか」
「署内と店主だけ。生徒には話してない」
久世は投稿時刻を確認した。昨夜、二人がショーウインドーに三人目の影を見たあと、数時間も経たないうちに書き込まれている。
相沢美緒のメッセージ、高梨優斗の最初の調書、紗月自身の直後メモ。それまでの聞き取り記録も机へ並べる。窓、鏡、反射という言葉は一度も出ていない。振り返るな、名前を呼ばれても答えるな、止まれば止まる。そこまでは繰り返し現れるが、回数に関する規則はなかった。
「最初の記録にはない」
「うん」
「なら、少なくとも確認できる範囲では、三回は後から付いた」
午前十時過ぎ、その新しい規則に沿うような通報が入った。被害を訴えたのは同じ高校の一年生、藤崎玲奈。昨夜、塾から帰宅する途中で「後ろ連れに家まで来られた」と話している。怪我はなく、家族も無事だったが、玄関前の共用廊下で玲奈のものではない足音を母親も聞いたという。
二人はすぐに玲奈の自宅へ向かった。五階建ての古いマンションで、玲奈はリビングのソファに座り、膝の上で指を組んでいた。二人を前にした玲奈が最初に口にしたのは、回数のことだった。
「三回見たんです」
「何を?」
「後ろ連れ。反射で」
「いつ、そのルールを知った?」
「昨日の夜です。友達から送られてきて」
玲奈はスマートフォンを開いた。二十一時三十八分、匿名掲示板の投稿を撮ったスクリーンショットが届いている。そこには「反射で三回見たら家までついてくる」と書かれていた。
「その時点で、後ろ連れを見たことは?」
「なかったです」
「そのあと?」
「最初は駅のホームのガラスでした」
電車を待っていた時、暗いガラスに自分の後ろへ立つ人影が映った。振り返ると誰もいない。
「一回目って思った?」
「思いました。送られてきたの見たばっかりだったから」
「二回目は?」
「駅を出て、コンビニの窓。今度は振り返らなかったです」
「どうして?」
「二回までなら平気って書いてあったから。三回目を見なきゃいいって」
紗月が静かに尋ねた。
「見ないようにした?」
「はい。でも、マンションのエントランスに鏡があるんです」
玲奈はそこで三度目の影を見たという。肩のすぐ後ろに顔があるほど近く見えたが、輪郭は曖昧で顔までは分からない。振り返らず、そのままエレベーターへ乗った。
「足音は?」
「その時はなかったです。でも、五階で降りたら後ろから聞こえました」
エレベーターには一人で乗った。五階で扉が開き、玲奈が廊下を走ると、その一歩後ろを追うように足音が続いた。玄関へ飛び込み、母親が鍵を閉めたあとも音は廊下を進み、扉の前で止まったという。
母親にも確認した。娘が帰宅した直後、廊下から足音を聞いたことは間違いない。ただし、覗き穴から見た時には誰もいなかった。一階の防犯映像にも、二十二時五十六分に玲奈が一人で入る姿しか残っていない。
マンションを出たあと、久世は時刻を並べた。
「スクリーンショットが二十一時三十八分。最初の反射が二十二時十一分。二回目が二十二時四十四分。三回目が二十二時五十六分。その直後に足音が家まで続いた」
「順番がきれいすぎるね」
「だから疑う。本人が噂に合わせて体験を整理した可能性もある」
「でも、お母さんも足音を聞いてる」
「娘の説明に影響された可能性はある」
「防犯映像には誰もいない」
「死角もある」
「またそれ?」
「あるものはある」
その足で学校へ向かうと、昼までには一年生の多くが三回ルールを知っていた。しかも内容は既に変化している。「三回目で家を覚えられる」「三回目を鏡で見たら、その鏡を割らないといけない」「三回見たあと玄関を開けると連れていかれる」。昨夜の投稿以前には確認できなかった規則が、翌日の昼には既に枝分かれしていた。
「昨日、あの投稿が出るまでは、回数なんて誰も言ってなかったよね」
「少なくとも、それ以前の記録にはない」
「でも今日は、最初からそうだったみたいに話してる」
久世は聞き取りメモを見返した。一人は「小学生の頃から三回って決まってた」と断言した。別の生徒は「姉に昔から言われていた」と話したが、その姉はそんな話をした記憶がない。
「前に調べた『昔』と同じ」
「少し違う。前は古さだけが増えてた。今日はルールそのものが過去へ入り込んでる」
午後、二人は水瀬史織にも資料を見せた。史織は時系列を読み、すぐには結論を出さなかった。
「新しい規則が広まったあと、その規則に沿った体験談が出ること自体は珍しくありません。人は知っている物語の型で、自分の体験を整理します」
「三回見たと思ったから、三回だったことになる」
「ええ。曖昧な影を一回と数えたり、本来なら気にしない反射を二回目にしたり。そこまでは心理で説明できます」
「家まで来た足音は?」
「それは説明できません。ただ、そこを先に怪異と決めると、他の可能性を潰します」
史織は少し考え、続けた。
「確認するなら、三回という規則を知らない人にも同じ現象が起きるか。それとも、知った人にだけ起きるのかです」
署へ戻る途中、久世はその言葉を考えた。噂を知らなくても起きるなら規則は現象側にある。知った人にだけ起きるなら、人間の認識が体験を作っている可能性が高い。
しかし、その日の夕方、問題はもう一段進んだ。高梨優斗から電話が入った。
『刑事さん、あの……三回見たら家まで来るって、本当ですか』
「誰から聞いた」
『学校のグループで回ってきて。俺、あの夜、反射なんか見てないですよね』
「これまで、そういう話はしてない」
『ですよね。でも、今思い出したんです。コンビニの窓、あった気がして』
久世は黙ったまま、続きを待った。
『それから、車の窓も。あと、家の近くのカーブミラー。三回です。俺、三回見てたかもしれない』
「待て。お前がこれまで話していた道には、コンビニはない」
『でも、見た気がするんです』
紗月が久世の横から声をかけた。
「優斗君、今その映像を思い出してる? それとも、三回だったはずだと思ってる?」
『……分かりません』
「今は決めなくていい。新しく思い出したことを、事実として確定しないで」
『でも、もし三回だったら』
「今夜、一人で外を歩かないで。反射を数える必要もない」
『数えなくていいんですか』
「数えないで」
通話を切ったあと、紗月が低く言った。
「もう記憶に入ってる」
「噂を知ったあとにな」
「玲奈さんは新しいルールを知ってから三回見て、家まで足音が来た。優斗君はルールを知ったあと、自分も三回見ていた記憶を作り始めてる」
「まだ作ったとは断定できない」
「分かってる。でも、昨夜まで確認できなかった規則が、今日は現象にも記憶にも入ってる」
久世は最初の記録をもう一度開いた。美緒のメッセージ。優斗の最初の調書。紗月の直後メモ。どこにも三回という数字はない。反射を見るなとも、三度見たら家まで来るとも書かれていない。その一方で、新しい規則が投稿されたあとの最初の夜には、それに沿った被害が発生している。
「偶然かもしれない」
「うん」
「思い込みかもしれない」
「うん」
「でも、順番だけは変わらない」
紗月は彼を見た。
「噂が先。体験が後」
「ああ」
久世は画面上の時刻を指で追った。規則が書かれ、共有され、信じられ、そのあとで現実の出来事が同じ形を取り始める。まだ一件だけだ。証拠としては弱い。それでも、これまでの後ろ連れにはなかった違いだった。後ろ連れの話が出来事を説明しているだけではない。出来事の方が、後から噂へ追いつき始めていた。
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