第98話 vs.討伐軍 ㊲ -セラド戦-
バフォメットが漆黒の左手を天に掲げた瞬間。
ティターニアの足元から、実体を持った黒い棘付きの鎖が何十本も飛び出した。
それは、大蛇のようにティターニアの細い手足を絡めとり、次に背中の四枚の光の羽を絡めとり、やがて彼女の動きを完全に封じてしまう。
「……ッ!?」
ティターニアが鎖を振り解こうと抵抗するが、黒い鎖はビクともしない。
それは物理的な拘束だけではなかった。
それは、対象の魔力回路に直接喰い込み、指先一つ動かすことすら許さない闇の拘束具。
「どうだ? 俺様特製の鎖の味は?」
バフォメットは、空中で身動きが取れなくなったティターニアを見上げ、邪悪極まりない笑みを浮かべる。
「……放しなさい」
ティターニアは表情を崩さずに、冷淡に告げる。。
だが、その無表情の奥に、わずかな苛立ちが見えた気がした。
「おやぁ? 随分と上から目線じゃねえか!」
バフォメットはティターニアのすぐ近くまでフワリと浮き上がると、その綺麗な鼻先を指で小馬鹿にするようにツンッと突いた。
「今のテメェは、鎖に繋がれた哀れな小鳥ちゃんだぜ? そんな態度がとれる立場かぁ? ん?」
「……下賤な魔物風情が。我に気安く触れるな」
「あっはは! 下賤な魔物に手も足も出ないで縛られてるのはどこのどいつだよ!」
バフォメットの容赦ない罵倒。
それは、ティターニアの神経を逆撫でしていく。
「……」
今まで感情を見せなかったティターニアの美しい顔が、ピクリと歪む。
その神聖な瞳の奥に、明らかな『怒り』と『苛立ち』の火が灯る。
ティターニアの纏う空気が変わった。
その表情からは、明らかに怒りが見える。
「……黙りなさい」
ティターニアの周囲に、再び四元素の魔力が集まり始める。
鎖に拘束されたまま、彼女は魔法陣を展開しようとしていた。
「お、来た来た」
「……世界樹よ。我が身を以て、この忌まわしき穢れを払わん」
ティターニアの身体が、眩く輝き始めた。
周囲の空間から、ピキピキと音が聞こえる。
まるで、圧倒的な魔力によって、空気が悲鳴を上げているようであった。
「原初へ還れ」
それは、彼女自身を犠牲にする、自爆にも等しい極大魔法――【原初への回帰】。
「御屋形様、危険です!!」
「バフォメット、逃げろ!!」
俺と鬼一が叫ぶ。
あれはまずい。
理屈は分からないが、本能で分かる。
あれが放たれれば、このダンジョンごと消えてしまう。
しかし、その圧倒的な魔力を目の前にしたバフォメットは、その場から逃げるどころか、大きな声で高笑いを上げたのだ。
「バーカ、それを待ってたんだよ」
バフォメットは、ティターニアの魔力が解き放たれようとしたその瞬間――。
白い右手と黒い左手を胸の前で重ねた。
すると、その両手から、白と黒の魔力が放出される。
その二つの魔力は、螺旋を描いて交わり、やがて巨大な鏡のような魔法陣を形成した。
「喰らいな! 【反転術式・鏡界崩壊】!!」
ティターニアから放たれた極大魔法。
それがバフォメットの魔法陣に衝突した瞬間。
魔法の軌道が、威力が、そして対象への殺意が――文字通り、180度『反転』した。
「なにっ……!?」
ティターニアの口から、初めて驚愕の声が漏れた。
バフォメットの反転魔法は、魔法の術式そのものを『《《内側へ向かって自壊するように》》』書き換えたのだ。
外へ放つはずだった魔力が、内側へ戻る。
敵を消滅させるはずだった力が、術者自身へ牙を剥いた。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
外へ放たれるはずだった極大魔法は、術者であるティターニア自身を包み込んだ。
黒い鎖に縫い付けられ、身動き一つ取れない精霊女王の身体に、自らが放った膨大な魔力が逆流する。
「あ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
精霊女王の、痛ましい絶叫が広間に木霊する。
彼女の身体を構成していた光の粒子が、ボロボロと崩れていく。
「家に帰んな、女王サマ」
魔力風に巻き上げられた、砂煙が晴れていく。
空中に張り付けられていたはずの精霊女王の姿は、跡形もなく消え去っていた。
ただ、キラキラと輝く光の粒子だけが、名残惜しそうに空中を舞い、やがて虚空へと溶けて消えていく。
精霊女王は死んだのではない。
バフォメットの言葉通り、世界樹へ還ったのだろう。
「……ふぅ。まぁ、こんなモンだな。ちょっと準備運動には物足りなかったぜ」
バフォメットは、何事もなかったかのように肩をすくめ、パンパンと服の埃を払っていた。




