第97話 vs.討伐軍 ㊱ -セラド戦-
「……不遜な」
精霊女王の白銀の瞳が、わずかに細まる。
その瞬間、広間の空気が変わった。
挑発的な笑みを浮かべるバフォメットに対し、ティターニアは表情一つ変えることなく、背後の空間に無数の魔法陣を展開した。
火が唸り。
水が荒ぶる。
土が震え、風が刃を研ぐ。
「……万象、灰燼に帰せ」
ティターニアの冷徹な声が響くと同時、広間全体が四つの色に染め上げられた。
火、水、土、風。
自然界を司る四元素の極大魔法が、一切の詠唱すらなく、矢継ぎ早にバフォメットへと放たれた。
先ほど鬼一を瀕死にまで追い込んだ、いや、それ以上の攻撃がバフォメットに襲い掛かる。
まともに受ければ、いかなる魔物であろうと塵一つ残らない。
俺は、あまりの規模に息を呑んだ。
ティターニアが指を振るう。
天井を埋め尽くすほどの『原初火』が降り注ぐ。
一本一本が、通常の火球とは比較にならない。
広間の酸素そのものを喰らい、燃え広がる灼熱。
それが、雨のようにバフォメットへ殺到する。
しかし、バフォメットは避けなかった。
むしろ、あくびでもするように口元を歪める。
「量だけは立派だな。……けどよ」
バフォメットが、右手を軽く掲げた。
白い掌に、淡い光が灯る。
「術式が雑すぎるぜ!」
降り注いだ業火の塊たちが、バフォメットの周囲一メートルほどの地点で、音もなく消滅した。
爆発すら起きていなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように、火の概念そのものが消えたのだ。
「は……?」
俺は思わず間抜けな声を漏らした。
だが、精霊女王は、表情を変えない。
次の魔法はさらに速かった。
「大地よ、噛み砕け」
地面が爆ぜた。
巨大な岩の顎が、左右からバフォメットを挟み潰そうと迫る。
鬼一が先ほど剣で粉砕した『大地槍』とは違う魔法だった。
地面そのものが、巨大な魔獣の口となっている。
その口に噛まれれば、骨も肉も鎧も関係なく粉々になるであろう。
「遅ぇよ! 水と土の複合か? 結びつきが甘すぎて欠伸が出るぜ!」
バフォメットがパチンと指を鳴らすと、黒い波紋が地面に走る。
その波紋が岩の顎に触れた瞬間、岩は灰のように崩れた。
崩れた土砂は、黒い霧となって霧散する。
バフォメットは、心底つまらなそうに肩をすくめた。
「この通り、結合を崩されりゃ、ただの砂だ」
「……ならば」
そこから精霊女王は、次々に魔法を繰り出す。
しかし、どんな魔法もバフォメットには通じなかった
パチン、という軽快な音に呼応するように、襲い掛かってきた水の刃も、不可視の暴風も、すべてがバフォメットに触れる数メートル手前で、システムエラーを起こしたかのように次々と消滅していく。
「嘘だろ……あのデタラメな精霊魔法を、全部無効化してるのか……?」
俺は信じられないというように呟く。
魔力による力押しではないように見える。
バフォメットが、そこまで魔力を使っているようには見えなかったのだ。
「ほらほら、どうした女王サマ! そんなもんか!?」
バフォメットは笑いながら、ティターニアに向かって悠然と歩みを進める。
どんな魔法を放っても、届く前にすべて無に還される。
ティターニアの瞳に、初めて「理解不能」という名の動揺の色が走った。
「……ならば」
ティターニアは魔法による遠距離攻撃を放棄し、その白く美しい手刀に四元素の魔力を極限まで圧縮させ、自らバフォメットの首を刎ねようと踏み込んだ。
それは空間を切り裂くような、神速の手刀。
だが、バフォメットはそれを避けることすらしなかった。
「甘ぇよ。ここからは、俺様のターンだ」
バフォメットの左半身――漆黒の装束が、不気味に波打つ。
その左手から、黒い靄が溢れ出す。
粘つくような、重い黒。
それは床を這い、壁を伝い、空気の隙間へ染み込むように広がっていった。
ドロリとした濃密な『闇』が、段々と周囲を侵食し、一瞬にして広間を底なしの沼のような黒に染め上げる。
「――【黒羊の庭】」
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