第95話 vs.討伐軍 ㉞ -セラド戦-
「来い、精霊女王」
鬼一は、血に濡れた牙を剥いて笑った。
「この身が砕けようとも、貴様の一撃、受け切ってみせる」
鬼一は死の覚悟を持って、この一撃を受けようとしていた。
己の両足がわずかに震えていることを自覚している。
御屋形様から賜った、この赤銅の身体はすでに限界を超えているようだ。
皮膚は裂け、筋肉は断ち切られ、流した血の量は計り知れない。
『喰血』を握る両腕にも力が入らない有様である。
対するは、無傷の精霊女王。
「消えるがいい」
ティターニアが、感情の抜け落ちた冷淡な声で宣告する。
彼女の背後に展開された巨大な魔法陣から、規格外の魔力が噴き出していた。
火、水、土、風。
強大な四元素魔法が融合し、一つの『滅びの魔法』となって、彼女の頭上に顕現しつつある。
あれが放たれれば、いかに【再生】のスキルを持っていても、文字通り細胞の一片すら残らず、跡形もなく消え去ってしまうだろう。
斬ることも、いなすことも、おそらく叶わぬ。
――だが、ここで退くわけにはいかないのだ。
我がここで一秒でも長く時間を稼ぐ。
その間に御屋形様がこの絶望的な戦いの『突破口』を開いてくだされば、それで本望。
鬼一は『喰血』を両手で握り直した。
膝を沈める。
腰を落とす。
全身の血を、闘気を、残った力のすべてを喰血へと流し込む。
御屋形様、どうかご無事で。
そう心の中で呟いた、その時だった。
「……ッ」
突然、ティターニアの動きが、ピタリと止まった。
放たれる寸前だった滅びの魔力が、空中で凍りついたように静止する。
「……?」
鬼一は目を細めた。
『喰血』を構えたまま警戒する。
巨大な魔法陣は消えていない。
むしろ、先ほどよりも濃く、重く、広間の空気を押し潰している。
しかし、ティターニアは動かない。
その白銀の瞳は、鬼一を見ているようで見ていなかった。
広間の隅、自身の背後へと、意識を伸ばしているように見える。
その時、鬼一は別の異変に気づいた。
「うが、ぁぁ、ああああぁぁぁぁッ……!!」
広間に響き渡る呻き声。
見れば、先ほどまで安全な後方から鬼一を嘲笑っていたエルフが、自身の首元を掻き毟りながら、石畳の上をのたうち回っているではないか。
その白く端正だった顔は、あり得ないほどの激痛に歪み、両目からは血の涙が溢れ出している。
全身の血管が異様に膨張し、彼の中を何かが侵食しているように見える。
「がはっ、ごはぁっ……! あ、つ、い……! 私の中へ、入ってくるなぁぁぁ……!」
「何が起こっている……?」
鬼一は警戒を強める。
何かが起きたのは間違いない。
そして、その何かは、おそらく御屋形様の手によるもの――
「鬼一っ!」
聞き慣れた声が、広間に響いた。
声のした通路の方角へ視線を向けると、そこには、御屋形様が、息を切らしてこちらへ向かって走ってくる姿が見えた。
「御屋形様!」
鬼一は思わず声を荒げた。
「ここは危険にございます! お下がりくだされ!」
「大丈夫だ、鬼一」
御屋形様は我の制止を聞かず、傍らまで駆け寄ってくると、のたうち回るエルフを指差して、ニヤリと笑った。
「今、あいつは精霊魔法が使えなくなった」
「……どういうことでしょうか?」
我が問うと、御屋形様は口早に今までの経緯を説明してくださった。
ネムというダークエルフの少女が、エルフの精霊魔法による魔力の受け皿にされていたこと。
彼女が付けられていた奴隷の首輪が、ティターニアの魔力を受ける役割を担っていたこと。
そして今、その首輪を外したこと。
「なるほど……」
鬼一は低く唸った。
「その繋がりとやらが切れた今、精霊女王の魔力が、あのエルフの中で暴走していると」
「ああ、そうだ。術者本人が自滅しかかっている。今がやつを倒す、最大のチャンスなんだ!」
「御意」
鬼一の瞳に、再び武人の光が宿った。
満身創痍。
立っているだけで、全身が悲鳴を上げている。
それでも、御屋形様が活路を開いてくださった。
ならば、剣で応えるのが臣下の務め。
鬼一は再び『喰血』を強く握り直した。
標的は、精霊女王ではない。
あの無防備に苦しみもがいているエルフの召喚者。
術者を討てば、精霊女王を召喚する魔法自体が強制的に終了するはず。
赤銅色の巨体が、一直線にセラドへ向かって疾走した。
「待て」
だが、その刃が届くよりも早く。
ティターニアが、セラドと鬼一の間へ滑るように割って入る。
「ここは通さぬ」
ティターニアは、感情の読めない冷淡な声で告げ、片手をスッと横に振るった。
たったそれだけで、目に見えない強固な風の防壁が展開され、鬼一の巨体を易々と弾き返した。
「ぐっ……!」
鬼一は後方に吹き飛ばされ、どうにか体勢を立て直すが、攻撃の隙を完全に潰されてしまった。
「お前を召喚したエルフは、もう精霊魔法を使えないはずだ!」
御屋形様が、ティターニアに向かって言い放った。
「それでも、まだあいつを守るのか!?」
「そんなことは関係ない」
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