第68話 vs.討伐軍 ⑦ -地底湖の戦い-
レイの瞳は、怒りに燃えていた。
上空で広げた両腕の周囲には、すでに何十本もの水柱が竜のようにうねり、天井近くまで巻き上がる。
そして、岩道を挟み込むように、湖自体がせりあがっていた。
「全部……まとめて、押し流してあげるッ!!」
レイが、掲げていた両手を勢いよく振り下ろす。
その瞬間。
天井近くまで持ち上がっていた何トンもの湖水が、一斉に崩れ落ちる。
ゴオオオオオオオオオッ!!
「きゃっ……!」
「うわっ!?」
ネムとミロが悲鳴を上げた。
山そのものが崩れ落ちてきたかのような水の壁。
青白い燐光を呑み込み、すべてを潰す巨大な津波となって、一直線に岩道へ襲いかかる。
「押し潰れちゃえ!!」
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
それは、爆発と見紛うほどの轟音だった。
逃げ場のない一本道に、何百トンもの水の暴力が容赦なく叩きつけられる。
岩道は一瞬にして完全に白濁した濁流に飲み込まれ、視界の全てが荒れ狂う水飛沫によって覆い尽くされた。
もし人間がまともに受ければ、骨まで粉砕され、水底深くへと永遠に沈んでいくことしかできないであろう。
だが。
その凄まじい水圧と轟音の渦中。
極めて冷徹で、そして不快そうな女の声が水の中から響く。
「――【水刃乱舞】」
リュネの声だった。
次の瞬間、荒れ狂う津波の壁を内側から切り裂いて、無数の『鋭い水の刃』がレイを襲った。
「なっ……!?」
レイは驚きに目を見開いた。
あれほどの質量の水の中にあって、姿勢を崩すこともなく、激流の中で精密な魔法を形成するなど並の魔法使いにできる芸当ではない。
十。
二十。
数え切れぬほどのの水刃が、荒れ狂う濁流の中から、空中のレイの喉元や翼を正確に狙ってくる。
「やるじゃん……ッ!」
レイは空中で身体を捻る。
そのまま片手を振り抜き、自らも魔力を込めた水の刃を放った。
「【水刃】ッ!!」
下から突き上げてくる水刃と、レイの上空から撃ち下ろされる水刃。
お互い、鋼鉄をも両断する刃が、空中で激しく衝突する。
シュバァァァァァンッ!!
水と水同士がぶつかり合ったとは思えない、金属が軋むような甲高い破裂音が鳴り響き、凄まじい衝撃波と水蒸気が周囲に弾ける。
その内の一本が、レイの頬を掠め、蒼い髪を数本切り飛ばす。
レイは空中で体勢を立て直し、舌打ちをした。
やがて、荒れ狂っていた津波が勢いを失い、重力に従って湖へと引き戻されていく。
ザァァァァ……という音と共に水が引き、再び一本の岩道が地表にその姿を現した。
「ふぅん。流石にこれだけじゃ倒せないか……」
上空から岩道を見下ろしたレイは、四人の姿を見て呟く。
そこには、一滴の水すら浴びていない、無傷のセラドたちがいた。
セラドを中心に、淡く緑がかった結界が展開されている。
それは膜というより、澄み切った空気そのものを丸く固めたような壁のようなもの。
それは何十トンもの津波が直撃したにもかかわらず、ダメージを受けた形跡すらない。
セラドが使役する上位精霊が、主を守るために自動で展開した『防護結界』であった。
風の結界がシュゥゥッと音を立てて霧散していく。
その中から現れたセラドとリュネは、当然のように一滴の水すら浴びていなかった。
彼らの背後にいたミロとネムでさえ、この結界の恩恵によって水流に流されることなく、奇跡的に無傷のまま生き残っていた。
セラドがゆっくりと顔を上げる。
その顔には、驚きよりも退屈といった表情を浮かべていた。
「……確かに派手ではあったが、これが全力というなら、少し拍子抜けだぞ」
セラドが、肩の埃を払うような手つきで己の衣服を整えながら、退屈そうに呟く。
「セイレーンのあたしに、水魔法で挑んでくるなんて……いい度胸じゃん」
怒気を孕んだ声で、レイが睨みつける。
水棲系の魔物であり、水空両用のエキスパートである彼女にとって、水魔法は自身のアイデンティティそのもの。
水刃を相殺されたことに、彼女は苛立ちを覚えていた。
一方のリュネは、優雅に扇を開き、口元を隠しながらくすくすと冷ややかに嗤っている。
「あら、ごめんなさい。あのような『ただの水遊び』を魔法と呼んであげるべきでしたのね」
「……なんですって?」
レイの声が、ひときわ低くなる。
「それに、勘違いなさらないで。私はあなたに水魔法で『挑んだ』わけではないわ。ただ、目障りな虫を堕とそうしただけよ」
それは暗に、レイを対等な敵としてすら認識していないと言っていると同義だ。
それを聞いたレイの顔が、怒りで真っ赤に染まる。
「……っ、あんたら、ほんっとムカつく!!」
彼女の周囲の空気がビリビリと震え、湖の水が再び不気味に波立ち始める。
「セラド様、ここは私が」
空中のレイが再び魔法を展開しようとしたその時、リュネがセラドの前にスッと一歩進み出た。
「セラド様のお手を煩わせるまでもありませんわ。このような羽虫、私がすぐに叩き落として御覧に入れましょう」
「俺が手を下すレベルでもないな。良いだろう。リュネに任せよう」
リュネは扇をパチンと閉じ、それを真っ直ぐにレイへと突きつけた。
そして、空いている方の手で、パチンと軽やかに指を鳴らす。
「――【土壌隆起】」
リュネが紡いだ土属性の魔法。
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴォォォォォンッ!!!
四人が立っている細い岩道が激しく震動し、左右へ向かって拡がり始める。
細かった一本道が轟音を立てて幅を増していく。
下から隆起した土と鉱物が魔力で圧縮され、瞬く間に平坦な足場を造っていった。
「さあ、お遊びはここまでですわ」
形成された巨大な円形の足場の中央で、リュネは再び優雅に扇を開き、口元に冷酷な笑みを浮かべた。
「害虫は速やかに駆除しなくてはね……。今度はこちらから行きますわよ」
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