第64話 vs.討伐軍 ③ -森林の戦い-
俺の理解も追いついていない。
これが、カーミラの能力なのか。
すると、俺の脳内に、玉座に座るカーミラの声が響き渡った。
『見よ。わらわの血とフェロモンを浴びたあやつらは、ただのジャイアント・アントでは終わらぬ。【吸血蟻】へと変異するのじゃ』
『吸血蟻だって? そんなの初耳だぞ!?』
『ふふん、驚いたじゃろう? 敵の血肉を喰らい、その血を啜るほどに……あやつらの甲殻は『血鋼』と呼ばれる極めて強固な真紅の装甲へと硬化するのじゃ。並の攻撃であれば、容易く弾き返すじゃろうて』
『血を吸うと、更に強くなるのか……』
俺が愕然と呟くと、カーミラは誇らしげに笑った。
『左様。愚民共の力では、例え広範囲魔法であっても効かぬ。ふふ……奴らが魔力切れを起こしたら最後、我が子らが食い尽くしてくれようぞ』
……えげつない。
俺は心の中でそう呟きながら、身震いする。
カーミラの軍団は、俺の予想を遥かに超える凶悪さであった。
「燃やせ! ありったけの魔法を打ち込め!」
魔法使いたちが、必死の形相で赤い装甲のブラッド・アントに向けて魔法を放つ。
しかし、血鋼へと進化した装甲を貫くことができない。
ブラッド・アントは魔法をものともせず悠然と進軍を続け、魔法使いたちを襲っていく。
「ば、馬鹿な……! 直撃したのに、魔法が効かないなんて!?」
「俺のミスリル製の斧が弾かれただと!? なんだこの硬さは!?」
「引け! 引けぇぇっ!」
「引くってどこにだよ!? 逃げる場所なんてないぞ!」
魔法も効かない。
剣も槍もが弾かれる。
ブラッド・アントを前に、討伐軍の心は既に折れかけていた。
剣を投げ捨てて、泥の中を這って逃げる者。
恐怖で発狂して味方を突き飛ばす者。
討伐軍は、ただの『恐怖に逃げ惑う餌』へと成り下がり、次々と赤い蟻の餌食となっていく。
だが。
地獄絵図と化した戦場において。
ただ二人だけ、まるで違う世界を歩いているような者たちがいた。
***
「ちっ、鬱陶しい蟻どもだな……。私の衣服に汚い血が飛ぶだろう」
討伐軍の最後尾、悠然と歩みを進めるエルフの男。
セラドであった。
彼にとって、濃霧や泥濘、蟻の軍勢さえも、何一つ脅威に感じてはいなかった。
セラドは、目の前で戦っている冒険者に目もくれず、ただ舌打ちを一つすると、指先で空中に小さな円を描く。
――スパンッ!!!
すると、不可視の刃が竜巻のように吹き荒れ、三匹のブラッド・アントを、強固な血鋼の装甲ごと細切れにしてしまった。
血鋼の装甲すら、彼の魔法の前では無力であった。
「そうですわね。数だけ多くて、邪魔で仕方がありませんわ」
隣を歩くリュネも、扇を揺らしながら、泥一つつけず歩いていた。
彼女の指先がひらりと揺れるたび、鋭利な水刃がブラッド・アントの首を刎ねる。
「……ここは人間たちに任せて、次に進むぞ」
セラドは、周囲で悲鳴を上げる冒険者たちを一瞥すらせず、心底どうでもよさそうに言った。
それは、「人間の冒険者が、何十人死のうが知ったことではない」とでも言いたげな声色であった。
「ええ。どうせこの先、人間どもに付いてこられても邪魔なだけでしょう」
リュネが肯定する。
「そうだわ。セラド様、あの蟻どもの親玉がいる巣穴を、ガルムに潰させたらどうです?」
「なぜだ?」
「帰り道に蟻が残っているのも目障りですから」
「……確かにな。それは名案だ」
やがて二人は、討伐軍の混乱の中、必死に戦っていた奴隷の三人――ガルム、ネム、ミロの元へと辿り着く。
「おい、ガルム。お前は人間たちを指揮して、蟻の巣穴を潰して来い」
出会って早々に、セラドが命令した。
その言葉に、ネムとミロの顔色が一瞬にして蒼白になった。
彼らの脱出計画は、三人で首輪を破壊して逃げることであった。
ここでガルムと引き離されてしまえば、計画は破綻してしまう。
「なっ――」
「承知しました」
ミロが何かを言いかける前に、ガルムが短く答えた。
それを聞いたセラドが命令を続ける。
「ネムとミロは私と来い。この先に進むぞ。……いちいち蟻どもにかまっている時間はない!」
有無を言わさぬ物言いであった。
ネムはぐっと奥歯を噛み締め、涙目でガルムを見る。
ガルムは、静かに首を振った。
それを見たネムは、何とか言葉を絞り出す。
「……承知しました、ご主人様」
「フン。わかったなら、早く来い」
セラドがリュネと共に、先へと歩き出す。
その後を追うように歩き出したネムとミロが、ガルムとすれ違う瞬間。
ガルムは、前を見たまま、誰にも聞こえないほどの小声で二人に囁いた。
「ダンジョンの奥にたどり着いたら……計画通りにしろ」
ミロはその言葉を聞いて、思わず立ち尽くしてしまう。
ネムは「早く!」と言いながら、ミロの服を引っ張り、無理やり歩かせる。
ミロを引っ張りながら、小さく、しかしはっきりとネムは呟いた。
「……絶対に、助けに行くから」
ガルムは、その言葉に答えなかった。
彼はすでに前を向き、巨大な盾を握り直していた。
前方から、セラドの苛立った声が飛んでくる。
「何をしている。さっさと行くぞ」
「……はい」
ネムとミロは、あふれ出そうになる涙を必死に拭い、前を向いた。
二人は死地へと向かうガルムに背を向け、セラドたちの後を追ってダンジョンの深い闇へと足を踏み入れていくのであった。
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