第61話 -冒険者side- 微かな希望
それから数日後。
辺境の街ファイデンを抜け、討伐軍は目的の『嘆きの森』へと続く荒野を進軍していた。
先頭を進むのは、セラドとリュネが乗る、揺れ一つない豪奢な馬車。
その後ろを、重苦しい足取りで歩かされる五十六名の冒険者たち。
彼らの顔からは、出発前の余裕はすでに消えていた。
沈黙ばかりが列の中を流れ、武器の擦れる音と足音だけが続いている。
最後尾には、一台のぼろぼろの荷馬車が進んでいた。
その馬車は、窓もなく、車輪は軋み、屋根は歪み、幌は泥と血で黒ずんでいる。
そして、人が乗るキャビンは鉄格子で囲まれており、まるで動く監獄のようであった。
日光すら満足に入らない、カビと排泄物と血の匂いが染み付いた暗い檻の中。
そこには、太い鉄の鎖で両手を縛られた三人の姿があった。
「……おい、ミロ。外の様子はどうだ」
暗がりの中で、唸るような低い声が響いた。
声の主は、身長2メートルを超える巨躯を持つ虎の獣人、ガルム。
パーティにおいて前衛で敵の攻撃を受け止める『盾』の役割を強制されている彼は、元来の強靭な肉体を持ちながらも、満足な食事を与えられず酷く痩せ細っていた。
その背中や腕には、セラドやリュネによる理不尽な暴力の跡が痛々しく刻まれている。
「……ん、大丈夫だ、ガルムの兄貴。外の兵士どもは、セラドに怖気づいて、こっちの檻を監視する余裕もねぇみたいだ」
鉄格子の隙間から器用に外を伺っていたのは、猫の耳と尻尾を持つ小柄な獣人、ミロだ。
斥候として罠の解除や偵察を担当する彼は、左耳の上半分が欠損している。
かつて罠の解除に数秒手間取った際、「遅い」という理由だけでセラドに切り落とされたのだ。
「……そう。なら、今のうちね」
藁の上に丸まっていた少女が、ゆっくりと身体を起こす。
漆黒の肌に、流れるような銀糸の髪。
美しいアメジストのような瞳を持つ、ダークエルフの少女、ネムだった。
彼女の細い首には、ガルムやミロと同じく、禍々しい赤い呪文が刻み込まれた『奴隷の首輪』が嵌められている。
主であるセラドが指を鳴らせば、脳を直接焼かれるような激痛が走り、逆らう意志など一瞬でへし折られる絶対の呪縛。
ネムは、ボロボロになった貫頭衣の胸元に、縛られた両手を器用に差し込む。
そして、小さな布で何重にも厳重に包まれた《《それ》》を、二人の前にそっと差し出した。
「おお……」
「ネム、よく今まで隠し通せたな……」
「うん。見つかってたら、きっと殺されてた」
ガルムとミロが、暗闇の中で微かに青白く発光するそれを見て、ごくりと唾を飲み込む。
それは、『アラカズ』にあったBランクダンジョン攻略の際、宝箱の中からネムが偶然発見したレアアイテムだった。
【解呪の秘石】
淡く青白い光を灯す小さな魔石。
夜の水底に沈んだ月の欠片のように、静かで、清らかで、それでいて異様な存在感を放っている。
ネムはこれを発見した瞬間、とっさに口の中に放り込んだ。
アイテムの効果までは知らなかったが、これは必ず自分たちの助けになると瞬時に予感したからであった。
そして、セラドたちの厳しいボディチェックを血を吐くような思いでやり過ごし、今日まで隠し持っていたのだ。
ガルムは自身の傭兵時代に、このアイテムの存在を聞いたことがあった。
どんな強力な呪いであっても、その呪縛を破壊することができるアイテム。
それが本当なら、この奴隷の首輪すら外せるはずだ。
ただし、使用回数は物によって異なるという。
概ね1~3回使用すると壊れてしまうらしい。
「……ネム、ガルムの兄貴。いよいよなんだな」
ミロが、緊張で声を震わせながら言った。
「ああ。俺たち三人の『脱出計画』だ」
ガルムが、重い鎖の音を鳴らして深く頷く。
この秘石を使えば、首輪は外れるだろう。
だが、今この馬車の中で外しても何の意味もない。
ここで逃げ出したところで、外には五十数名の冒険者たちと、絶対的な力を持つあの二人がいる。
首輪がなくても、やつらの魔法で一瞬にして肉片に変えられるだけだ。
「首輪がなくなっても、セラドとリュネがいる限り、正面から逃げ切れるわけがねぇ」
「うむ。想定通りだ」
「ええ、……首輪を外すタイミングは、話し合った通り、ダンジョンの最奥にしましょう」
ネムが、強い決意を込めて言った。
「……あの人たちがボスとの戦闘に意識を向け、私たちへの警戒が解けた、ほんの一瞬の隙。そこで私が首輪を壊す」
「そして、戦いの混乱に乗じて、皆でダンジョンから逃げる……。綱渡りもいいとこだが、これしかねぇ」
ミロがそう言いながら、拳をぎゅっと握りしめる。
ガルムも苦く笑った。
成功の確率は、一割にも満たないだろう。
もし失敗すれば、激怒したセラドたちによって殺される。
すぐ死ぬことができたら幸運な方だろう。
下手をすれば、凄まじい拷問の果てに死ぬことになる。
「……怖いか、ミロ」
「当たり前だろ、ガルムの兄貴……。足の震えが止まらねぇよ」
ミロの耳がペタンと伏せられる。
「俺も怖い。……だがな、このままあのクソエルフ共の『道具』として、ただ使い潰されるだけの毎日はもうたくさんだ」
ガルムが虐げられてきた日々を思い出し、唇を噛んだ。
「どうせこのまま死ぬなら、俺は俺の意志で、自由のために死ぬ」
そのガルムの言葉に、ネムも静かに頷いた。
ダークエルフというだけで同族から忌み嫌われ、闇市で売られた。
セラドたちからは「エルフの恥晒し」「泥エルフ」と罵られ、ただセラドたちの戦闘奴隷として酷使されてきた日々。
彼女の心には、いつか誰も傷つかない場所で、本当の仲間たちと笑い合いたいという、小さな願いがあった。
「やり遂げましょう。……絶対に、三人で生きて、自由になるの」
ネムが細い手を差し出す。
その上に、ガルムの巨大な手が重なり、ミロの小さな手が重なった。
鎖につながれた、傷だらけの三人。
しかし、この絆は、絶望の中の小さな希望であった。
――ギギィィィッ!
不意に、馬車が急停止した。
三人の身体が前へ投げ出され、鎖が鳴る。
外から冒険者の怒声が響く。
「おい! 到着したぞ! 奴隷どもを早く出せ!」
ミロの耳がぴくりと震え、ガルムの顔が強張る。
ネムは、布に包んだ”秘石”を再び胸元へ押し込み、深く息を吸った。
ガチャガチャと鍵が開けられ、檻の扉が乱暴に開かれる。
「出ろ!!」
眩しい外の光に目を細めながら、ネムたちは鎖に引かれて外へと放り出された。
「……っ」
立ち上がったネムの目に飛び込んできたのは、黒々と広がる鬱蒼とした森。
そして、その森の奥にぽっかりとダンジョンの入り口のようなものがあった。
その入口は、すでに無残に壊されているようであった。
周囲の岩盤ごと抉り取られたような破壊痕。
きっと、セラドの魔法の力だろう。
「貴様ら、待ちくたびれたぞ。まあ良い……さあ、貴様らは一番前を歩け。冒険者どもと一緒に、最前線で罠の解除と索敵をするんだ」
背後から、セラドの冷酷な声が叩きつけられる。
ネムは、ガルムとミロと一瞬だけ視線を交わし、静かに頷き合った。
「は、はい」
「……承知した」
「わかりました……」
恐怖と絶望、そして密かな希望を胸に秘め、奴隷たちはダンジョンに足を踏み入れるのであった。
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