第52話 幼生
蟻の群れをじっと観察していた俺は、ある奇妙な『違和感』に気がついた。
十数匹いるミニアントたちは、基本的に働き蟻として、せわしなく土を運んだり周囲を警戒したりしている。
しかし、その群れの中央――最も安全な巣穴の入り口付近に、他の蟻たちとは雰囲気が違う『一匹』がいたのだ。
「……ん? あいつ、他の蟻と少し違わないか?」
俺は目を細め、その一匹の姿を注意深く観察した。
大きさ自体は他のミニアントとさほど変わらない。
だが、その甲殻の色が異質だった。
他の個体が漆黒のキチン質であるのに対し、そいつの甲殻は黒をベースにしながらも、まるで血が滲んだような、わずかに赤みがかった艶やかな色合いを帯びていたのだ。
さらに、腹部のサイズが他の個体よりも一回り大きい。
そして何よりの違いは、その背中にあった。
「羽……?」
赤みがかった甲殻の背中には、まだ薄く弱々しいが、光を反射して虹色に輝く半透明の「羽」が二対、綺麗に折り畳まれている。
『主、あれは……』
その異質な一匹の周囲だけ、空気の流れが違う。
ミニアントたちは、その個体へ近づこうとしない。
むしろ自然と道を空け、時折、触角を下げるような仕草すら見せている。
俺がその特異な個体から目を離せずにいると、背後に立っていたアビスが、静かな念話を飛ばしてきた。
「アビス、あいつは一体何なんだ? 他のミニアントとは明らかに違う気がするけど」
『はい。あの羽、そして肥大化した腹部。間違いありませんな。あれは、ジャイアント・アントの群れを束ねる存在――【女王蟻】の幼生にございます』
「女王蟻……!?」
蟻の群れにおける女王。
それは単なるお飾りの存在ではない。
コロニー全体を統率し、蟻たちに絶対の命令を下す、群れの心臓部となり得る。
『その通りです。彼女が成虫へと羽化すれば、蟻たちの統率や増殖速度は現在の比ではなくなるでしょうな』
もし、彼女が成虫になれば、一ヶ月後の討伐軍を迎え撃つために、これほど頼もしい存在はない。
蟻の軍隊が強化され、戦いを有利に進められるだろう。
『ただ……一つだけ、奇妙な点があります』
アビスの念話が、少しだけ訝しげな色を帯びた。
「奇妙な点?」
『ええ。クイーン・アントが羽を持つこと自体は異常ではありませぬ。しかし、あの甲殻の赤み……あれは私の知識にはありません。クイーン・アントの甲殻は漆黒か、暗褐色であるはずですが』
「……鬼一と同じユニーク個体、ってことか?」
『おそらくは。その可能性が高いかと思います』
アビスの言葉に、俺は再びその赤い女王蟻の幼生を見つめた。
ユニーク個体。
鬼一と同じく、通常の枠に収まらない、未知の可能性を秘めた存在。
彼女が成虫になれば、一体どれほど恐ろしい群れを統率することになるのだろうか。
「……なぁ、アビス。こいつが成虫になるには、普通ならどれくらい時間がかかるんだ?」
俺の問いに、アビスはほんのわずかに間を置いた。
『十分な魔力を与えたとしても、最低で数ヶ月、長ければ半年は要するでしょうな』
「最低でも数ヶ月か……」
だめだ。
遅すぎる。
そんな悠長な時間など、俺たちには残されていない。
王都から派遣される討伐軍がこの森に到達するまで、残されたタイムリミットは約20日ほど。
その時に、クイーン・アントがまだ幼生のままだと意味がない。
女王がいない数十匹程度のミニアントなど、エリート冒険者たちを前に、一瞬で殲滅されてしまうだろう。
「待てない……。その間に、俺たちは皆殺しにされる……」
俺は端末を強く握りしめる。
頭の中では一つの可能性が浮かんでいた。
――【魔物合成】。
異なる魔物同士を掛け合わせ、新たな、そしてより強大な生命体を創造する、ダンジョンマスターの力。
「……賭けに出るか」
「マスター?」
蟻たちと戯れていたレイが、こちらに振り向き、首を傾げた。
「……『魔物合成』の力を使って、この幼生を強制的に進化させる」
その言葉を聞いた鬼一が、珍しく口をはさむ。
「しかし、御屋形様、それでは望まれぬ結果になる可能性もございませんか?」
女王蟻の幼生をベースに、強力な魔物を合成し、一気に限界を突破させる。
それは一種のギャンブルだ。
魔物合成によって、誕生する魔物は事前にわかるものではない。
合成の結果、全く別の魔物になる可能性も否定できない。
しかし、座して死を待つくらいなら、手持ちの全ての札を使って抗うのが俺のやり方だ。
「いや、やってみるさ。今は少しでも可能性がある方に賭けたい」
「承知。御屋形様であれば、必ずや最高の結果をもたらすでしょう」
「あたしも何とかなると思うなー? 女の勘ってやつ?」
レイも同意してくれる。
例えここで失敗しても、まだDPは残る。
致命的な失敗にはならないはずだ。
問題は、彼女に掛け合わせる「素材」の選定である。
ただ強靭な肉体を与えるだけではダメだ。
合成の相手に必要なのは、女王として群れを統率する絶対的な『カリスマ性』と、敵を恐怖に陥れる『残虐性』が必要だ。
俺は、レベルアップの恩恵で新たに解禁された『Cランク魔物』の召喚リストを開く。
その中から、俺の理想とする「女王」のイメージに最も合致する魔物を探し出す。
そして、俺の指は、リストの一番下――最も高額なコストを要求する、一体の魔物の名前の上で止まった。
・レッサー・ヴァンパイア:C(1,000 DP)
吸血鬼の眷属。
夜を統べる高貴なる血族であり、他者の血を啜ることで自己を強化し、魔眼によって精神を支配する恐るべき存在。
「……お前に決めた」
俺は覚悟を決め、その名前を強くタップした。
『レッサー・ヴァンパイアを召喚しますか?』
『YES』
「召喚!!」
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