第46話 深海の塔 -第2層- ⑦
「アビス! 鬼一! レイッ!」
半ば悲鳴のように叫ぶ。
「もー、しょうがないなぁ。マスターはドジっ子なんだからー」
空から降ってきた陽気な声と共に、俺の身体を強く引っ張る『別の水流』が生じた。
「――【水流操作】、逆回転!」
空中に滞空するレイが、両手を湖に向けて強く振り下ろす。
瞬間、俺を飲み込んでいた渦潮の真下に、それとは完全に逆の回転方向を持つ、もう一つの巨大な渦が発生した。
右回りの海蛇の渦と、左回りのレイの渦。
二つの強大な水流が真っ向から激突し、互いの力を相殺し合う。
ズッバァァァァァァァァァンッ!!
莫大なエネルギーの衝突は、そのエネルギーを水柱に変えて天井へと吹き飛ばした。
荒れ狂っていた水面が、嘘のようにピタリと静まり返る。
「げほっ、ごほっ……!」
俺は辛うじて浅瀬の石畳に放り出され、むせながら這いつくばった。
「マスター、大丈夫ー?」
レイが俺の背後にふわりと降り立ち、翼で俺の頭をぽんぽんと撫でる。
「げほっ、げほっ……助かっ、たのか……?」
「もう少し早く助ければよかったねー。ゴメン、ゴメン☆」
レイは片目をつぶりながら、茶目っ気たっぷりに謝ってくる。
その間にも、海蛇は三つ首をうねらせ、怒りの咆哮を上げていた。
自分の渦潮を、強引に捻じ伏せられたのが、よほど気に食わないらしい。
「シャァァァァァァッ!!」
「もー、うるさいって!」
レイの顔から笑顔が消え、冷たい光が瞳に宿る。
彼女はふわりと湖の中央へと飛び出し、三つ首の海蛇の正面に堂々と立ちはだかった。
そして、小さく息を吸い込むと。
――♪ ~~~~、~~~~。
発動したのは、【魅惑の歌声】。
だが、先ほどの毒蛙の時のような、ただ甘いだけの旋律ではない。
深い湖の底から、月明かりだけを掬い上げて細い糸にしたみたいな旋律。
甘く、透明で、けれど耳へ入った瞬間に脳を直接撫で回すような危うさを持っていた。
「シャ、ァ……?」
海蛇の三つの首が、同時にピタリと動きを止めた。
赤く発光していた凶悪な瞳から殺意が消え去り、トロンとした虚ろな光へと変わる。
強大なボス魔物でさえ、レイの精神干渉魔法には抗いきれず、一瞬にしてその意識を麻痺させられてしまったのだ。
「今だよ! やっちゃえ!」
レイの合図に、アビスが静かに応えた。
『承知した。……沈め、三つ首の小蛇よ』
アビスは長槍を深く構え、膝を曲げて姿勢を沈めた。
そして。
ドゴォォォォォォンッ!!
すり鉢状の石畳が粉々に砕け散り、クレーターが形成される。
その圧倒的な脚力から生み出されたのは、水上であることすら忘れさせるほどの超絶な跳躍。
その跳躍は、もはや“飛んだ”というより“砲弾として射出された”に近い。
手に持った長槍を引き絞り、一直線に海蛇の胴体へと突っ込んでいく。
歌声に絡め取られた三つ首は、一瞬反応が遅れた。
『この一撃、その身に刻め』
落雷のような轟音が、地底湖に響き渡る。
アビスの珊瑚と鉄の長槍が、ヴォルテックスの強靭な青い鱗を紙のように貫き、その胴体のど真ん中へ深々と突き刺さった。
「シャギャァァァァァァァァァッ!!?」
遅れて激痛に気づいた海蛇が、絶叫を上げて暴れようとする。
だが、アビスの攻撃はそこで終わらない。
『逃がさぬ』
アビスは槍を突き刺したまま、さらにその巨体を押し込み、凄まじい力で海蛇の胴体を斜め下――すり鉢状の岩壁へと向かって強引に押し込んだのだ。
メキメキメキッ!
海蛇の巨体が、そのまま分厚い岩盤へと叩きつけられ、深くめり込む。
アビスの長槍が、まるで巨大な釘のように、その胴体を岩壁に完全に縫い留めてしまった。
「シャァァ……ッ、ギィィ……ッ!」
海蛇は岩壁に磔にされたまま、三つの首を悶えるように振るうことしかできなくなった。
完璧な拘束だ。
海蛇がもがくたび、槍の刺さった箇所から血と泡が噴く。
だが、刺さった槍が抜ける様子がない。
「見事な固定だ、アビス殿! ならば、その三つ首、我が刃がもらい受ける!」
岩壁に縫い留められた海蛇の下へ、鬼一が静かに歩み寄る。
彼は大きく息を吸い込み、腰を深く落として、妖刀『喰血』の柄に手をかけた。
「我が刃の錆となれ!」
鬼一の瞳が、獲物を前にした鬼神のそれに変わる。
妖刀『喰血』が、まるで血を渇望するように脈打ち、赤黒い光の軌跡を描き始めた。
「――秘剣・阿修羅陣!!」
鬼一の腕が霞んだ。
いや、消えたようにすら見えた。
視認できる限界を超えた斬撃の群れが、空中で同時に開いたのだ。
まるで鬼一の周囲に無数の残像が現れ、それぞれが別の角度から『喰血』を振るったように見えた。
一閃、二閃、三閃――。
腕が六本ある阿修羅のように、全方位から怒涛の連撃を叩き込み、敵を文字通り「千切り」にする剣術であった。
シュババババババババッッッ!!
空気が裂ける。
水滴が蒸発する。
斬撃の嵐が、三つの首を一瞬で呑み込んだ。
そして、一瞬の静寂。
鬼一が、ゆっくりと大太刀を鞘に納める。
カチン、と鍔が鳴った瞬間。
ズレるようにして。
海蛇の三つの巨大な首が、同時に、そして綺麗に胴体から切断され、宙を舞った。
「シ、ャ……」
声にならない断末魔と共に、三つの首がドスンドスンと地底湖に落ちる。
遅れて、岩壁に縫い留められた切断面から、滝のようなおびただしい量の血が噴き出した。
赤黒い血が、すり鉢状の湖を瞬く間に染め上げていく。
最後に胴体が力を失ったように、アビスの槍からずるりと崩れ落ちる。
その巨体が水面へ叩きつけられた瞬間、血と泡と飛沫が巨大な花のように咲いたのであった。
-----------------------------------------------------
【ミッション達成:階層の守護者を撃破】
獲得DP:1,000ポイント(ヴォルテックス)
ミッションクリアボーナス:500DP
【報酬】
・召喚リスト解放:水棲系(中級)
・特殊アイテム:『ヴォルテックスの牙』
『レベルが上がりました。LV6→LV8』
『全ステータスが上昇しました』
『通常魔物の召喚リストが【Cランク】まで解放されました』
-----------------------------------------------------
端末が振動し、ミッションクリアを知らせる通知が届く。
地底湖は血の海と化し、静寂が戻っていた。
「……終わっ、た……?」
俺の声が、やけに小さく響いた。
そのまま膝から崩れ落ち、大きく息を吐き出した。
目の前では、鬼一が『喰血』をひと振りし、刃にこびりついた血を払っている。
アビスは岩壁から槍を引き抜き、いつも通り静かに立っていた。
レイは上空で一回転してから、ひらりと隣へ降りる。
「ふう、お疲れ様ーっ! マスター、あたしの活躍どうだった? 惚れ直した?」
レイが水浴びでもしたかのような爽やかな笑顔で、俺の元に飛んでくる。
『見事な太刀筋でしたな、鬼一殿』
「いや、アビス殿の拘束があってこそだ」
鬼一とアビスも、血に染まった湖のほとりで、武人同士の爽やかな会話を交わしている。
「お前ら……本当に、頼もしすぎるよ」
俺は心からの賞賛と、少しの呆れを交えて笑うのであった。
面白い、続きが読みたいと思っていただけましたら、ブックマークと評価をお願いします!




