第41話 深海の塔 -第2層- ②
「……ん?」
ボコボコボコッ!
ボコボコボコボコボコッ!!
一つだった泡は、瞬く間に無数に増殖し、周囲の静かな水面を激しく沸騰させたように揺らし始めた。
これは、ただの自然現象ではない。
明確な『何か』の気配。
「レイ! 上へ退避しろ!」
俺が叫ぶのと同時に、水面が爆発した。
レイは慌てて、背中の翼を広げて飛び上がる。
「ゲロゲロゲロゲロォォォォォッ!!」
濁った水しぶきと共に、水底から多数の異形の影が飛び出してきた。
それは、全長1メートルはあろうかという、巨大な『蛙』の群れ。
水底から次々と飛び出し、合計で六、七……いや、もっとか。
俺たちを半円形に囲むように散開し、低く喉を鳴らす。
全身はぬめりを帯びた鮮やかな緑を基調に、背中へ紫と黄色のまだら模様が走っている。
喉袋はどす黒く膨れ、瞳は赤く濁っていた。
何より、その口元から垂れる透明な液体が、石床へ落ちるたび、じゅ、と小さな煙を上げている。
「うわっ、キモッ!? なによ、こいつら!」
レイが更に高度を上げるが、巨大蛙たちは強靭な後脚で信じられないほどの跳躍力を見せ、空中のレイに向かって次々と飛び掛かっていく。
「くそっ、なんだこいつら!?」
『あれは【ポイズン・トード】ですな。水場を好み、群れで行動する魔物です』
「知ってるのか、アビス!」
『はい。一般的な魔物の知識程度ですが』
俺の疑問に答えたのは、後方に控えていたアビスだった。
彼の脳内念話が、冷静に敵の情報を伝えてくる。
『その皮膚から分泌されるのは、触れるだけで物体を溶かし、神経を麻痺させる猛毒。そして何より厄介なのは――』
「ゲロォォォォッ!!」
アビスの念話を裏付けるように、空中に跳び上がったポイズン・トードの一匹が、大きく口を開けた。
ビュッ!
口の中から、筋肉の塊のような太く長い『舌』が、まるで鋭い槍のように射出されたのだ。
先端には粘着性の毒液がこびりついた、生きた槍。
「きゃっ!?」
レイが間一髪で身を捩って躱すが、舌の先端が彼女の翼を掠め、数枚の美しい羽が毒に焼かれてハラリと落ちた。
「鬼一! アビス! 前へ出ろ! レイをカバーするんだ!」
俺は咄嗟に指示を飛ばした。
一体一体なら、冷静に対処すれば大したことはなさそうだ。
しかし、群れで攻撃されるとかなり厄介だ。
あの毒の舌の連射を食らえば、いくらレイでもいずれ撃ち落とされてしまうだろう。
鬼一が「応ッ!」と『喰血』の柄に手をかける。
アビスも重い水音を立てて前衛に出ようとした。
だが、それよりも早く。
「ストーップ! マスター、鬼一たちに手を出させないで! ここはあたしに任せてよっ☆」
空中で体勢を立て直したレイが、こちらに向かってバシッとウィンクを決めたのだ。
「は? お前、一人で十匹以上も相手にする気か!?」
「あったりまえじゃん! あたしの初陣なんだから、マスターもちゃんと見ててね!」
レイは空中でふわりと静止すると、胸の前で両手を組み、目を閉じた。
周囲を取り囲むように、十数匹のポイズン・トードたちが、次なる跳躍と毒舌の斉射の準備に入っている。
次の攻撃は、躱し切れないと思えるほどの包囲網だ。
だが、レイの口元には、絶対の自信に満ちた余裕の笑みが浮かんでいた。
彼女は、そっと唇を開く。
――♪ ~~~、~~~~♪
放たれたのは、言葉ではない。
それは、透き通るような、そしてどこまでも深く、脳の髄まで直接響いてくるような美しい『旋律』だった。
セイレーンのスキル、【魅惑の歌声】。
その歌は、魔力の波長を乗せ、聞く者の精神の奥底を直接魅了する、甘く危険な魔性の音階。
味方である俺たちでさえ、その歌声を聞いた瞬間、心がフワッと軽くなり、全てがどうでもよくなる程の心地よさを感じた。
「な、なんだこの歌……頭がボーッとする……」
「御屋形様、強く意識を保たれよ。これは精神干渉の魔術にございます」
『……恐るべき魅了の力ですな』
鬼一の警告でハッと我に返った俺が前方に視線を戻すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「ゲロ……?」
「ゲロロォォ……♡」
先ほどまで、殺意むき出しで毒の舌を射出しようとしていたポイズン・トードたちが、完全に動きを止めている。
赤く濁っていた瞳が、みるみる焦点を失っていく。
彼らは水面にぽちゃん、ぽちゃんと無防備に着水すると、口から涎を垂らしながら、空中に浮かぶレイの姿をうっとりと見上げていた。
その姿はまるで、推しのアイドルがライブしているのを最前列で見上げている観客のようである。
極彩色の毒蛙たちが、ハートマークを浮かべるように恍惚としている姿は、控えめに言って不気味な絵面だ。
「はい、みんな。そこでいい子にしててねー」
歌を途切れさせぬまま、彼女は片手をすっと持ち上げた。
すると、水面が、突如として意志を持ったようにうねり、渦を巻く。
周囲の水が、彼女の指先へ吸い寄せられていく。
やがて水が、細長い帯になって宙へ浮かんだ。
一筋。
二筋。
三筋。
それはやがて、透き通った刃の列へと変わり、極限まで圧縮された水の刃となった。
彼女の笑顔が、一瞬だけ、冷酷な捕食者の《《それ》》に変わった。
レイが両手を水面に向けて振り下ろす。
「――【水刃】」
レイの目が細くなる。
超高圧の水刃が、全方位から蛙の群れへと襲い掛かった。
シュパパパパパパパンッ!!
空気を裂く音が、遅れて響いた。。
分厚い鉄板すら両断するであろう超高圧の水流は、ポイズン・トードのブヨブヨとした肉体を、バターを切るようにいとも容易く、そして無慈悲に細切れにしていった。
「ゲ、ロ――」
悲鳴を上げる間もなかった。
魅了状態で動けぬまま、毒蛙たちは次々と裂けていく。
透明な水が、赤い飛沫に塗り替わる。
水刃は一度撃ち切りではなかった。
レイが指を払うたび、水流が軌道を変え、二度、三度と敵を斬り抜けていく。
戦闘時間、わずか数分。
十匹以上の魔物の群れが、たった一人(一体)のセイレーンの手によって、容易く蹂躙されたのだ。
「どーお? あたし、ちゃんと役に立ったでしょ?」
レイはパサリと翼をたたんで俺の目の前に着水すると、両手でピースサインを作りながら、とびきりの笑顔でウインクしてきた。
「……あ、ああ。す、すげえな、お前……」
「えへへ、でしょー?」
胸を張るレイの周囲では、まだ細い水流がリボンみたいにくるくる回っている。
俺は顔を引きつらせながら、ただただ頷くことしかできなかった。
背後では、あの鬼一とアビスも完全に沈黙している。
これが、C+ランクの魔法の力か。
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『階層内の敵を撃破しました』
『DPを獲得:300ポイント(ポイズン・トードの群れ)』
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端末が軽く振動し、DPが加算されたことを知らせる。
俺たちは無傷。
スーツは濡れたままだが、これ以上ないほどの完璧な勝利だった。
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