第40話 深海の塔 -第2層- ①
「よし、全員準備はいいな」
薄暗い最奥の部屋で、俺は端末の画面を見つめながら、背後に控える三体の魔物たちに声をかけた。
王都から派遣されるという、Bランク冒険者が筆頭の、数十人規模の討伐軍。
奴らがこのダンジョンに到達するまで、残された猶予は約一ヶ月。
それまでに、迎え撃つ準備をしなければならない。。
インフラ整備と『ジャイアント・アント』による兵力増強の仕込みはひとまず終わった。
次に行うべきは、更なる戦力拡大のためのDP稼ぎだ。
「いくぞ。これより深海の塔の攻略を再開だ」
俺は端末のメニューから、新たに追加されていた『深海の塔』のアイコンをタップした。
「マスターとお出かけっ、お出かけ♪ 早くいこーよっ!」
画面が光を放ち始めた瞬間、俺のすぐ隣で、場違いなほど明るい弾んだ声。
新しく俺の配下となったC+ランクの魔物、セイレーンの『レイ』だ。
彼女は透き通るような蒼い髪を揺らし、真珠や珊瑚をあしらったビキニのような姿で、俺の腕にぴたりと抱き着いてきている。
その表情は、これから命懸けの戦いに赴くというより、海辺のレジャーにでも向かうようなテンションだった。
「お出かけって……お前な。遊びに行くんじゃないんだぞ……」
「えー、でもでも、せっかくのお外だし! あたし、カビ臭い洞窟とかジメっとした森にいるの、いい加減飽きちゃってたんだよねー」
えへへっ、と無邪気に笑うレイ。
そのあまりにも陽気なノリに、俺は思わず頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
チラリと後ろを振り返ると、鬼一が、腕を組んだまま般若のような険しい顔でレイを睨みつけている。
「……御屋形様。やはりこの羽虫、我が『喰血』の試し斬りの的として処理してしまってもよろしいでしょうか。戦場に赴く武人の心構えが、微塵も感じられませぬ」
『同感です。緊張感の欠如は、部隊全体を危険に晒します』
アビスまでも、兜の奥の青い眼光をチカチカと明滅させながら、物騒な念話を送ってくる。
むさ苦しく、規律と忠誠に生きる男たちにとって、レイの存在は、明らかに異質すぎたのだ。
「もー、おっさん二人は固すぎ! せっかくのお出かけなんだから、少しは楽しそうにしたら?」
「……貴様ッ!!」
『……』
「まあ待て、待て! 喧嘩すんなって!」
俺は慌てて鬼一とアビスを制止した。
ここで時間を無駄にしている余裕はない。
俺がため息をついた瞬間、端末から溢れ出した青白い光の粒子が、俺たち四人を完全に包み込んだ。
「来るぞ、構えろ!」
「わぁーっ、なにこれなにこれ! すっご、綺麗! あたし、こういうの初めて!」
三半規管をかき回されるような、強烈な浮遊感と空間の歪み。
光の渦の中で、レイだけが「わーいっ!」とはしゃいでいる声が聞こえ、俺はさらに深いため息を吐いた。
カッ――。
光が、一気に膨れ上がった。
視界が白く焼ける。
足元の感覚が消える。
上下の区別すら曖昧になり、胃がふっと浮くような奇妙な感覚が全身を貫いた。
空間そのものが水面のように歪み、ねじれ、俺たちを丸ごと飲み込んでいく。
***
――ザァァァァ……。
転送が完了し、視界が開けるのと同時に、俺の耳に届いたのは静かな水音だった。
俺はゆっくりと目を開き、周囲の光景を見渡した。
「……ここは」
前回の第一階層は、まだ“塔の玄関口”といった印象だった。
だが、今回は明らかに違う。
ここは古代遺跡のような、正に迷宮といった景色。
どこまでも続く、青白い燐光に照らされた石造りの迷宮。
壁や太い柱には、見たこともない文字や、生物を模した緻密なレリーフが彫り込まれているようだ。
俺が一歩足を踏み出すと、ゆっくりと水面が揺れる。
この先は、だいたい膝の辺りまで、冷たく澄んだ水が張っているようだった。
水底の石畳の継ぎ目までくっきりと見えるほど透明度は高いが、どこまでも続く回廊の先には、時折、底が見えないほど水が深くなっているところもあるようだった。
壁は灰白色の石で組まれ、ところどころ欠け、崩れ、長い歳月を経た神殿の残骸のような風情を漂わせている。
崩れた天井の隙間から光が差し込んでいるわけではないのに、空間全体がぼんやり青く明るい。
まるで、水底そのものが発光しているようだった。
正面には長い回廊。
左右にも、奥にも、同じような通路が枝分かれしている。
明らかに迷わせるための構造だった。
端末が震える。
俺は画面を確認した。
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【深海の塔:第2階層】
ミッション:階層の最奥に潜む守護者を撃破せよ
制限時間:なし(撃破するまで脱出不可)
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端末の画面に、新たなミッションが表示されていた。
第1階層は入ってすぐボス戦だったが、どうやらこの第2階層からは、このダンジョンを自分の足で探索しながら進むのか。
「うわぁ……最悪だ」
俺は顔をしかめ、自分の足元を見下ろした。
革靴と、スラックスが、完全に水に浸かってしまう。
ただでさえ血と泥で汚れ、あちこち破れているビジネススーツだが、これではさらに汚れてしまう。
水に浸かった革靴の、あのグチュグチュとした不快な感触に、俺のテンションはだだ下がりだった。
しかし、俺とは対照的に、水を見た途端にテンションが天元突破した者が約一名。
「ひゃっほー!!」
レイが突然、水面へとダイブする。
ザッバーーーーーンッ!!
綺麗な水柱が上がった。
透き通る飛沫が辺りへ散り、俺のスーツもビシャビシャになる。
「ちょ、ちょっと待て、レイ! 勝手に行くな!」
「だってぇ……、最高なんだもん♪」
水面からひょこっと顔を出したレイは、満面の笑みだった。
海色の髪が濡れて肌に張り付き、翼の羽根は水を弾いて宝石みたいに輝いている。
「見て見て、マスター! ここ、水めっちゃ綺麗! しかも魔力も濃い! あー、やばい、落ち着くーっ!」
彼女は人魚のようにくるりと身体を反転させ、そのまま水底をすいすいと滑っていく。
翼をたたみ、腰をひねり、水を蹴るたびに細い水流が尾のように伸びた。
「あははははっ♪ 水、超きもちいいーっ! ねえマスター、何してんの? 早くこっち来て一緒に泳ごうよ!」
水中でくるくると回りながら、レイが俺に向かって手を振る。
水面に浮き上がるたびに、彼女の髪や翼からキラキラと水滴が弾け飛び、青白い燐光に照らされて宝石のように輝いていた。
……客観的に見れば、神秘的で息を呑むほど美しい光景なのだろう。
だが、現実は残酷だ。
「泳ぐか! 俺はスーツ着てるんだよ!」
「えー、つまんなーい! てかマスター、その服もうボロボロじゃん。今更濡れたって変わんなくない?」
「うるさい! サラリーマンにとってスーツは戦闘服なんだよ! 魂なんだよ!」
ぼやく俺の横を、鬼一が何事もない顔でざぶざぶ進んでいく。
鬼の巨体が水面を割るたび、重い音が遺跡に反響した。
アビスもまた無言のまま進む。
青黒い装甲は水に濡れても一向に構わないらしい。
「お前らはいつも通りだな……」
「我らには、御屋形様をお守りするという至上の使命がございます。このような水遊びではしゃぐ理由がわかりませぬ」
『いかにも。水場の行軍は足を取られやすく、死角も多い。警戒を怠るべきではありません』
真面目か。
いや、頼もしいんだけど。
「あーあ、マスターも鬼一もアビスも、みーんなノリ悪すぎ! つまんないのー」
レイが空中で不満げに頬を膨らませた、その時だった。
――ボコッ。
不意に、レイの直下にあった水路の水面から、不気味な泡が弾けた。
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