第35話 種まき
「これが……ダンジョンの改装……」
俺は呆然と立ち尽くす。
まるで神話の一節みたいに、何も無かった洞窟が、一瞬で“森林”という概念そのものへ塗り替えられていく。
鬼一がゆっくりとその光景を見渡し、感嘆の息を漏らした。
「見事な御業にございます、御屋形様。これほど広大で複雑な地形、人間どもが容易に踏破できるとは思えませぬ」
鬼一が感嘆の声を漏らし、漆黒の角を揺らして森を見渡す。
アビスの兜の奥の青い眼光も、圧倒的な光景を前に静かに瞬いていた。
『視界は不良、複雑な地形、多数の遮蔽物……。これで侵入者の行軍速度は大きく低下するでしょうな』
アビスの冷静な分析に、俺はようやく我に返った。
これで敵は、まず森を抜けなければ第二階層に辿り着けない。
一本道の洞窟と違って、視界は悪く、隊列は乱れ、足場は悪く、奇襲の起点はいくらでもある。
ただ歩くだけでも疲れるだろう。
「ああ。だが、これだけじゃ足りない。ここからが本当の仕込みだ」
俺は端末を操作し、残りのDPを確認する。
所持DPは1,130。
初期投資の甲斐あって、土台は仕上がった。
次は、この森を「自動防衛システム」として機能させるための種まきだ。
俺は【魔物召喚】のリストを開き、あらかじめ目星をつけていた魔物の名前をタップした。
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・ジャイアント・アント:D(110 DP)
人間ほどの大きさを持つ巨大な蟻。
単体での戦闘力はそこまで高くないが、強靭な顎と酸を持ち、いかなる時も統率の取れた集団行動をとる。
※特殊条件:3体以上召喚し、『森林』のフィールドに配置することで巣を形成し、ダンジョンの魔力を吸収して自然増殖する。
(増殖によって生まれる個体は『ミニアント(Eランク相当)』となり、成体になるまで時間を要する)
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「3体以上でコロニー形成……。110DP×3体で、合計330DPか」
決して安くはない。
だが、この330DPが、一ヶ月後には軍隊蟻に化けるのだ。
俺は迷うことなく、召喚を実行する。
『ジャイアント・アントを1体召喚しますか?』
『YES』
『ジャイアント・アントを1体召喚しますか?』
『YES』
『ジャイアント・アントを1体召喚しますか?』
『YES』
空間がうねり、新造されたばかりの森の入り口付近に、巨大な光の魔法陣が三つ浮かび上がった。
眩い光が弾け、土煙が舞い上がる。
そして、光の中から“それ”が姿を現した。
「ギチチチチ……ッ!」
不快な摩擦音が、静寂の森に響き渡る。
現れたのは、全長2メートルにも及ぶ巨大な蟻。
黒褐色の外殻。
鎧みたいに分厚い胸部。
鎌ではなく、太く鋭い顎。
六本の脚は節ごとに硬く、地面へ刺さるたびに沈まず、土を正確に掴む。
人間大の昆虫というだけでも生理的嫌悪感が凄まじいが、無機質で感情の読めない複眼と、太い丸太すら噛み砕けそうなノコギリ状の大顎が、その凶悪さを物語っている。
そんな化け物が、三体。
カシャカシャと不気味な足音を立てながら、触角を激しく揺らして周囲の環境を確かめている。
「うわ……想像していたよりずっとエグいな……」
俺は思わず一歩後ずさった。
虫が苦手な人間なら、この光景を見ただけで泡を吹いて気絶するだろう。
三体のジャイアント・アントは俺の方へ向き直り、ピタリと動きを止める。
次の瞬間、三体は一斉に俺へ向き直り、前脚をわずかに折って頭部を下げた。
礼。
そうとしか思えない所作だった。
見た目は恐ろしいが、彼らも俺がDPを支払って召喚した忠実な配下なのだ。
「いいか、お前たち。この森の奥深くに潜り、誰にも見つからない場所に、巣を作れ。そして、このダンジョンに満ちる魔力を使い、子供を増やし続けろ。そして、侵入者が来たら、群れで食い殺せ!」
俺が命令を下すと、ジャイアント・アントたちは大顎をカチンッと一度打ち鳴らした。
それが了解の合図だったのか、彼らは一糸乱れぬ完璧な統率で身を翻し、シャカシャカと凄まじいスピードで鬱蒼とした森の奥深くへと姿を消していった。
彼らが通った後には、草が踏み均され、かすかに酸っぱい蟻酸の匂いが残るのみだった。
「と、とりあえず、これで第一段階は完了だ」
俺はほっと息を吐き出した。
時間をかければDPを消費せずに戦力が増え続けるという、ダンジョン自動防衛システムの完成。
今は三体だけだが、巣ができれば、その下で数がどんどん増えていく。
最初は小さな幼体かもしれない。
すぐには戦力にならないかもしれない。
それでも構わない。
敵の足を止める魔物が“勝手に増える”のなら、それはもう革命だ。
「討伐軍の連中、森に入った瞬間に無数の巨大蟻に囲まれる気分はどうだろうな」
きっと最悪な気分だろう。
俺だったらすぐ帰りたくなる。
その姿を想像しているのか、俺の横で鬼一は「くくっ」と楽しげに喉を鳴らしていた。
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