第30話 新たな名
「……すげえな、お前」
ぽつりとこぼす。
「ほんとに、戻ってきたんだな。しかも、とんでもない姿で」
鬼人将軍は、その言葉にほんの少しだけ目を細めた。
嬉しそうにも、照れているようにも見える。
そんな反応までするのかよ、と、半ば呆れながら思う。
「この身が御屋形様のお役に立てるのなら、いかなる姿でも本望にございます」
だが、その時。
彼は一瞬だけ視線を伏せた
感傷に浸る俺の前で、ゴブいちが再び重々しく片膝をついた。
その顔には、先ほどまでの穏やかさとは違う、深い葛藤と緊張の色が浮かんでいる。
「御屋形様。恐れながら、一つだけ折り入ってお願いの儀があります」
「ん? どうしたんだ?」
「……我が『名』について」
「名前?」
「はい。御屋形様より賜った『ゴブいち』という名。これは我が初めて頂いた宝であり、誇りであります。……ですが」
ゴブいちは、己の赤銅色の太い腕を、そして腰に帯びた禍々しい大太刀を見つめた。
「我はもはや、ゴブリンの器を完全に脱してしまいました。この身は鬼となり、敵の絶技を喰らい、将軍という大層な肩書きまで得てしまった。……『ゴブいち』という小鬼の響きは、もはや今のこの身には過ぎたもの。何より、強大なダンジョンの主である御屋形様の威光に傷をつけるのではないかと危惧しております」
ゴブいちが、頭を深く垂れる。
確かにそうだ。
『鬼人将軍』というB+ランクの威圧感たっぷりの魔物が、敵の前に立ちはだかり、「我が名はゴブいち!」と名乗る。
……うん、正直言ってしまえば、ちょっと、いや、かなり締まらない。
「どうか、新たな御名を。今の我に相応しき名を、御屋形様より賜りたく存じます」
新しい名前か……。
俺は腕を組み、静まり返った洞窟の中で目を閉じた。
「いや……そうだな……」
一本角の鬼。
将軍の風格。
妖刀『喰血』。
もう誰がどう見ても、ゴブリンじゃない。
だったら、新しい種族から取るべきだ。
鬼。
その一文字は、こいつにあまりにも似合っている。
俺は目を開け、俺は真っ直ぐにゴブいちの黒い瞳を見つめ返した。
「スウもゴブじも死んだ。……一緒にサバ缶を食った初期の仲間は、もうお前しかいないんだよ」
俺の言葉に、ゴブいちの肩がピクリと震えた。
「お前が鬼になろうが、将軍になろうが、お前は俺の『最初の仲間』だ。そのルーツだけは、絶対に捨てたくない。……俺の、ただのわがままだがな」
「御屋形様……」
「だから、『ゴブ』の部分は捨てる。代わりに、お前の新しい種族である『鬼』をもらうぞ」
俺は一歩前に出て、彼の肩に手を置いた。
「鬼の“鬼”に、一番の“一”」
俺は、ゆっくりと言う。
「お前の新しい名前は――『鬼一』だ」
「……鬼一。鬼一……!」
彼はその名を、自分の舌で確かめるように何度も反芻した。
やがて、その瞳に熱いものが込み上げているのが見えた。
彼は立ち上がり、腰に帯びた大太刀の柄に手をかけた。
チャキッ……。
冷たく、澄んだ金属音が洞窟に響く。
抜かれた刀身は、黒光りする鋼の表面に、血のような赤い波紋が浮かび上がっていた。
それは美しく、そして底知れぬほど禍々しい『妖刀』だった。
ステータス画面に表示されていた名前を思い出す。
妖刀『喰血』。
天才剣士の誇りと、魔物の執念が融合した呪われた刃。
鬼一は、その妖刀を自らの目の前に掲げ、切っ先を天に向けた。
「この名、我が魂の奥底にしかと刻み込みました。我は鬼一。御屋形様の第一の剣にして、このダンジョンを守り抜く鬼神となりましょう」
彼が妖刀を振り下ろす。
風を裂く音すら置き去りにする、凄まじい神速の一閃。
剣圧だけで、床に溜まっていた血の海が真っ二つに割れ、数メートル先の岩壁に深い斬撃の跡が刻まれた。
これが、B+ランクの力。
天才の剣技とオーガの怪力が生み出す、究極の暴力だ。
「この『喰血』は、斬り伏せた敵の血をすするほどに鋭さを増す妖刀。次なる敵が来ようとも、全てこの刃の錆にしてご覧に入れます!」
その様子を見ていたアビスが、横から念話を差し込む。
『……これにて、戦力は回復いたしましたな』
アビスの冷静すぎる言葉に、思わず変な笑いが漏れた。
泣き笑いだ。
でも、久しぶりに少しだけ、人間らしく笑えた気がした。
最奥の部屋には、まだ血の匂いが充満している。
仲間を失った事実も消えない。
ドクも、サンも、もう戻ってこない。
それでも。
完全な絶望の底で、俺は一つだけ確信した。
このダンジョンは、まだ終わらない。
俺たちはまだ、戦える。
血と鉄と涙の果てに。
俺の前には、深淵の騎士と、鬼人の将が立っていたのだから。
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