第29話 鬼人将軍
トロールのようにただ膨れ上がった巨体ではない。
むしろ、無駄な肉は削ぎ落とされている。
だが、筋肉の密度が桁違いだった。
赤銅色の肌は鍛え上げた鋼のように引き締まり、その上を走る黒い紋様が禍々しく輝いている。
額からは、漆黒の角が一本、空を裂くように伸びていた。
鬼。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
顔立ちはゴブいちの面影をわずかに残していた。
だがもう、ただのゴブリン系魔物のそれではない。
猛々しさと、威厳と、戦場を統べる将の風格がそこにはあった。
腰には一振りの大太刀。
鞘すら禍々しい黒い金属でできており、柄には紅い布が巻かれている。
おそらく、ユナの折れた長剣が変じたものだろう。
抜かずともわかる。
あれは、ただの武器じゃない。
戦いの記憶そのものを刃に変えたような、危うい美しさを放っていた。
その後、端末が震える。
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【二次合成成功】
ホブゴブリン+トロール+名剣(折れた長剣)
→【鬼人将軍】
ランク:B+(ユニーク個体)
スキル:【怪力】【上級剣術】【再生】
特性:【統率者】(配下の魔物のステータスアップ)
固有武装:妖刀『喰血』
二匹の小鬼の魂を起源とし、幾度もの死線を越えて進化した鬼の将軍。
主を守護するための強靭な肉体と、かつての仇敵の剣技をその身に宿す。
腰に帯びた妖刀『喰血』は、斬り伏せた敵の血をすするごとに切れ味が増していく。
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「……ゴブ、いち……なのか?」
問いかける声が、情けないほど震える。
記憶は。
意識は。
こいつは本当に、あのゴブいちなのか。
彼はゆっくりとこちらを向いた。
黒い瞳の奥に、知性の光が宿っている。
そして、彼は重々しい足取りで一歩、また一歩と俺の前へ歩み寄る。
床を踏むたび、石畳がわずかに軋んだ。
俺は思わず息を止める。
怖いわけじゃない。
ただ、この一瞬で全部が決まる気がした。
彼は、俺の目の前で立ち止まった。
それから。
ゆっくりと片膝をつく。
その姿は、粗暴な怪物なんかじゃない。
戦場を潜り抜けてきた、歴戦の武人そのものだった。
そして。
「――ただいま戻りました、御屋形様」
低く、野太い。
だが驚くほど理知的で、落ち着いた声だった。
俺の胸の奥で、何かが決壊した。
「……っ、あ……」
言葉にならない。
喉が詰まる。
目の前で恭しく片膝をつく、赤銅色の身体。
間違いなく、さっきまで血の海に沈み、ズタズタに引き裂かれて死にかけていた俺の最初の相棒だ。
それが今、全く新しい、恐ろしくも神々しい「鬼」の姿となって、俺の目の前に帰ってきたのだ。
「お、お前……覚えて……」
「無論にございます」
オーガ・ジェネラル――いや、ゴブいちはゆっくり顔を上げた。
口元に、ほんのわずかだが不器用な笑みのようなものが浮かぶ。
「未熟な身ながら、再び御前に戻れました。お見苦しい最期をお見せしたこと、まずはお詫びを」
「謝るなよ、馬鹿やろう……!」
気づけば俺は、泣きながら叫んでいた。
「戻ってきたならそれでいいだろ……! なんでお前までそんな、ちゃんとした挨拶してんだよ……!」
俺はそのまま、彼に飛びついた。
今度の相手はアビスよりさらに硬い。
筋肉の鎧みたいな胸板に顔面をぶつけ、ちょっと鼻が痛かった。
でもそんなことはどうでもいい。
「よかった……! ほんとに、よかった……!」
ゴブいち……いや、もうこの姿でその呼び方が合っているのか少し迷う。
だが彼は、俺の背中に大きな手を回し、壊れ物を扱うみたいにそっと支えた。
「御屋形様」
「……なんだよ」
「改めて誓いましょう。この身は、あなた様とこのダンジョンのために」
その声には、かつてゴブいちが持っていた愚直さが、より強く、より深く刻まれていた。
俺は顔をぐしゃぐしゃにしたまま、何度も頷いた。
愚直なまでに真っ直ぐな、忠誠の言葉。
……だが。
数秒遅れて、俺の脳髄を強烈な「違和感」が突き抜けた。
「…………え?」
俺はゴブいちの胸板から顔を離し、瞬きを繰り返して、目の前の巨漢を見上げた。
漆黒の角。鋭い眼光。戦場を統べる将軍のような威風堂々たる顔立ち。
「お前……今、なんて言った?」
「改めて誓いましょう、と申し上げました」
「いや、そうじゃなくて! お前……喋れるのか!? 念話じゃなくて、口で!?」
俺は弾かれたように飛び退き、ゴブいちの口元を指差す。
アビスは、頭の中に直接声が響く『念話』で会話している。
だが、今ゴブいちが発した言葉は違う。
空気を震わせ、鼓膜を打ち、洞窟の壁に反響する『肉声』だったのだ。
それも日本語だ。
しかも妙に格式高い敬語つきだし……。
「いや、だって、この前まで『ギャウ!』とか『グルル……』とかだったじゃないか!」
「左様にございます」
ゴブいちは、ゆっくりと立ち上がった。
身長2メートルほどの引き締まった巨体が見下ろしてくる。
彼は己の太い首元――喉仏のあたりを太い指で軽く触れた。
「我ながら驚いております。新たな肉体を得た瞬間、頭の中に雷が落ちたように『言葉』と『知識』が流れ込んできました。喉や舌の構造も、言葉を紡げるように変化したのでしょう。御屋形様と同じ言語を、こうして発声できるようになりました」
「言葉と、知識……」
「はい。以前の己が、いかに本能のままに動く獣に近い存在であったか、今なら理解できます。あの頃の我は、あなた様の温かい御心に、ただ吠えることしかできなかった。それが何よりも、もどかしかった」
ゴブいちの黒い瞳が、優しく細められる。
そこには、俺が知っている「ギャウ!」と吠えていた小鬼の面影は薄い。
B+ランクのユニーク個体、『鬼人将軍』。
それは単にステータス上の数字が跳ね上がっただけではない。
知性、感情、そして魂の在り方そのものが、人間や、あるいは高位の魔族に近い次元へと昇華した証明だった。
目の前にいるのは、もはやただの強い魔物じゃない。
一個の人格を持った、異形の武人。
『……素晴らしいことですな』
ふいに、俺の脳内にアビスの落ち着いた念話が響いた。
見れば、アビスもまた、兜の奥の青い眼光を細めるようにしてゴブいちを見つめている。
『元々下級の魔物が、主の魔力と深い絆、そして激しい死闘を経て己の限界を突破する。魂そのものの進化。……お見事です、武の将よ』
「過分な賞賛だ、深淵の騎士よ。貴殿の盾がなければ、我は敵の刃に届くことすら叶わなかった。我の新たな命は、貴殿が繋いでくれたものだ」
ゴブいちが、アビスに向かって深く頭を下げる。
アビスもまた、無言のまま槍を掲げてそれに応えた。
言葉を交わす二体の強大な魔物。
それは、ファンタジーの神話の一ページを切り取ったような、恐ろしくも美しい光景だった。
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