第22話 vs.鋼の薔薇 ②
膠着状態を打破すべく動いたのは、ベノム・ゴブリン。
スキルである【隠密】によって気配と体温を完全に消し去り、戦場の喧騒に紛れて、敵の生命線であるテオの背後を取った。
ドクの両手には、自身から抽出した、紫色の毒液が滴る凶悪な短剣。
音もなく、ドクがテオの首筋へ刃を突き立てようとした、まさにその瞬間。
「……なんか、臭いっ!」
獣人リルの耳がピンと跳ねた。
彼女の野生の勘が、背後に迫る致死の毒の匂いを察知したのだ。
リルは振り返りざまに、弓をつがえることもなく、手に持っていた矢を直接ドクに向かって突いた。
それはリルが持つ、天性の勘がなせる業。
だが、ドクはそれを見越していたかのように、ぬらりと身体を沈めて矢を躱す。
そして、バネのように跳躍し、瞬時にリルとの距離をゼロにした。
「えっ――」
リルの目が驚愕に見開かれる。
紫色の閃光。
ドクの逆手に持った短剣が、リルの脇腹を切り裂いた。
「きゃあっ!」
リルが短い悲鳴を上げてよろめく。
傷自体は浅い。
しかし、毒の効果は絶大だった。
リルの顔色からサッと血の気が引き、土気色に変わっていく。
やがて彼女は糸が切れた操り人形のように、その場にドサリと崩れ落ちる。
ポイズンモス由来の、強力な神経毒だ。
「リルッ!?」
振り返ったテオの顔が、驚愕から、激しい怒りへと変わった。
常に冷静沈着だった修道士の目が、血走る。
「貴様ァァァッ!! 汚らわしい害虫が!!」
テオは杖を放り捨て、素手でドクに向かって突進した。
彼は修道士でありながら、近接戦闘を極めたという「鉄拳神官」。
その拳は岩をも砕く威力を秘めている。
だが、ドクの動きはゴブリンの素早さに加え、蛾の羽ばたきのような不規則さを持っていた。
シュッ、シュッ!
テオの重い連撃を、紙一重でかわし、流し、その隙を縫って紫の刃を滑らせる。
「チィッ!」
テオの頬を、腕を、肩を、ドクの刃が浅く浅く切り裂いていく。
どれも致命傷には至らないが、切り裂かれるたびにテオの血管に猛毒が送り込まれていく。
テオは超人的な精神力で立っているものの、動きは目に見えて鈍り始めていた。
息が上がり、膝が震えている。
ドクはトドメとばかりに、一瞬で暗闇に姿を消し、テオの死角――背後へと回り込んだ。
完全に動きが止まったテオの心臓を、背後から一突きにする。
必殺の一撃。ドクの刃が、テオの背中に届く寸前。
「……女神よ。我が命を対価に、奇跡を」
テオの身体が、一瞬だけ神々しい光を放った。
それは、限界を超えた自己回復魔法。
自らの生命力を燃やし、一瞬だけ体内の毒を浄化して完全に動ける状態に戻したのだ。
テオは振り向きもせず、気配だけで背後のドクの位置を察知し――腰の回転を乗せた、渾身の裏拳を放った。
メチャァッ!!
トマトが潰されるような、生々しく、そして凄惨な音が洞窟内に響き渡った。
テオの拳は、ドクの頭部を完全に捉え、そのまま顔面ごと吹き飛ばしていた。
首から上を失ったドクの身体が、ビクンと一度痙攣し、ゆっくりと床に倒れ伏す。
「ハァ……ハァ……リル! しっかりしなさい!」
テオは血まみれの拳のまま、倒れているリルに駆け寄り、残された魔力の全てを回復魔法に注ぎ込もうとした。
だが、リルの身体はすでに冷たくなっていた。
脇腹から回った毒は、獣人の小さな身体の命を奪うには十分すぎたのだ。
「あぁ……ああ……女神よ……」
テオの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
そして、オーバーヒールの代償と、再び身体を巡り始めた猛毒が彼の身体を蝕んだ。
テオは血を吐き、リルの亡骸の上に折り重なるようにして倒れ伏し、動かなくなった。
暗闇の刺客と、相手の斥候、回復役が相打ちとなった。
洞窟内の血の匂いが、さらに濃くなる。
「リル!? テオ!!」
後方の惨劇に気づいたユナが、悲痛な叫びを上げる。
そのわずかな隙を、ゴブいちとアビスが見逃すはずがない。
「グオオオオッ!!」
ゴブいちが、盾を構えるガルダに向かって、体当たりを敢行する。
まるで、重機同士がぶつかったような衝突音。
銀のタワーシールドがひしゃげ、ガルダの巨体が後方へと吹き飛ばされる。
「くそっ!!」
ガルダが体勢を立て直そうとした、その時だった。
「……準備、完了よ。消え去りなさい、汚物ども」
戦場の喧騒を縫って、底冷えするような女の声が響いた。
灰被りの魔女の声。
彼女の杖の先端には、小さな太陽のような、圧縮された灼熱の火球が浮かんでいる。
周囲の空気が歪むほどの熱量。
あれが放たれれば、前衛で固まっているゴブいちもアビスも、そして奥にいる俺とコアも、一瞬で灰と化すだろう。
そんなことになれば、本当に終わりだ。
「アビス!! あの女を潰せッ!!」
俺は喉が裂けるほどの声で叫んだ。
だが、Cランクの魔法使いの詠唱は、俺の想像よりも遥かに短く、そして容赦がなかった。
「《バーニング・ノヴァ》!!」
エリシアが杖を振り下ろす。
瞬間、視界が白く染まる。
業火。
回避不能の、死の熱波だ。
広範囲を覆いつくす炎の津波が、俺たちを飲み込もうと迫り来る。
だが、炎が拡がるよりも早く、アビス・ナイトが動く。
彼は己の巨体を魔法の射線上へと投げ出し、巨大な蟹の盾と装甲で、その業火を真っ向から受け止めたのだ。
「無駄よ! 私の魔法は、そんな装甲ごと溶かし尽くす!」
エリシアが叫び、さらに魔力を注ぎ込む。
炎の勢いが増し、アビスの青黒い装甲が赤熱していくのが見える。
しかし。
「……な、んで……?」
エリシアの顔が、驚愕に凍り付いた。
アビスは、一歩も退かなかった。
突然変異によって得た【魔法耐性・大】。
それは、彼女の最大魔法すらも凌駕する絶対の防壁。
アビスは業火の中を、焦熱の風を切り裂いて、一歩、また一歩とエリシアへと歩み寄っていく。
「来るなっ! ば、化け物……ッ!」
エリシアが恐怖に後ずさりした時には、すでに遅かった。
炎を抜け出したアビスの長槍が、無慈悲にエリシアの華奢な胴体を貫いた。
「ガ、はッ……」
口から大量の血を吐き出しながら、エリシアの身体が宙に持ち上げられる。
彼女は、自分を貫く長槍を弱々しく掴み、兜の奥で光るアビスの眼光、そしてその奥にいる俺を睨みつけた。
「……あ、なたたち、は……絶対に、私たちが……倒す……っ」
呪いのような言葉を残し、エリシアの手から力が抜けた。
アビスが槍を振るうと、彼女の身体はボロ布のように壁に叩きつけられ、絶命した。
「……エリ、シア……?」
静寂に包まれた洞窟に、重戦士ガルダの間の抜けた声が響いた。
『鋼の薔薇』の後衛の要、灰被りの魔女のあっけない死。
ボロ雑巾のように壁に叩きつけられ、動かなくなった仲間の姿に、ユナとガルダの思考がほんの数秒だけ完全に停止した。
歴戦の冒険者であっても、仲間の死を前にすれば、人間としての動揺を隠せない。
その、ほんの数秒の隙。
死線を潜り抜け、ゴブリンから進化を遂げたホブゴブリンが、それを見逃すはずがなかった。
「GRUOOOOOOッ!!」
地を這うような咆哮と共に、ゴブいちが動く。
標的は、大盾を構えたまま呆然と立ち尽くすガルダ。
ゴブいちは大剣を振るうのではなく、巨大なアイアン・クラブの甲羅盾を前方に突き出し、全身のバネと、赤銅色の筋肉のすべてを乗せた”突進”を敢行したのだ。
「なっ、しまっ――」
ガルダがハッとして自身のタワーシールドに力を込めるが、遅い。
ドゴォォォォォォンッ!!!
落雷のような轟音が、ダンジョンの奥底を揺らした。
ゴブいちの無慈悲な突進が、ガルダの銀のタワーシールドの中心に激突する。
ミスリルコーティングされたはずの堅牢な盾が、中央からひしゃげ、メキメキと嫌な音を立てて折れ曲がる。
「ガ、ハァッ!?」
盾越しに伝わる、数トンはあるであろうの物理的な衝撃。
2メートル近いガルダの巨体が、まるで枯れ葉のように宙を舞った。
彼は十メートル近く後方へと吹き飛ばされ、そのまま岩壁に激突。
タワーシールドの残骸に押しつぶされるようにして崩れ落ち、二度と立ち上がることはなかった。
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