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スハロート

 サインフェック副伯スハロートは、父であるオフギースと兄レーネットが不在の間、ナルファスト公の居城でもあり都市でもあるワルフォガルの城代を務めていた。サインフェック副伯はナルファスト公オフギースが保有する爵位の一つで、スハロートに与えられた儀礼称号である。


 父譲りの銀髪は、レーネットよりも色がやや明るい。書斎にこもって書物をひもとくことを好み、オフギースやレーネットのように領内を駆け回ることもないので日焼けもしていない。


 華奢な体格で、剣技や槍術、馬術などの武芸はレーネットに全くかなわない。だが、弓術だけはなぜかいつもレーネットに勝った。レーネットは負けると毎回本気で悔しがり、そして「見事だ!」と叫んで大笑した。非論理的で意味が分からない。だが嘘でないことは分かる。そして、スハロートの勝利を心から喜んでいる兄に褒められるのは嬉しかった。


 オフギースの4人の子の中で、レーネットだけ母が違う。レーネットは先妻が産んだ子で、スハロート、ウリセファ、リルフェットの3人は後妻が産んだ子だった。だがレーネットはそんなことを全く気にすることなく弟と妹に接した。


 スハロートとウリセファが生まれたときのレーネットの喜びようは大変なもので、つきっきりでかわいがっていたと聞く。リルフェットが生まれたときのことはスハロートもおぼろげながらに覚えている。レーネットは飛び上がって喜び、暇さえあればリルフェットの世話を焼きたがっていた。レーネットは幼いときに母を亡くし、母と兄弟が欲しかったのだという。


 スハロートにとっても、オフギースは偉大だった。偉大過ぎた。公国内をくまなく回り、家臣や領民を守り、彼らの声を聞き、慈しんでいる。力強いが力ずくではない統治で皆から頼られる存在。父のようにはとてもなれない。目標にする気にすらなれない。スハロートは父を目指すことをまだ15歳であるにもかかわらず早々に諦めた。


 だが兄レーネットは違った。偉大過ぎる父を目指し、追い付こうと必死でもがいている。レーネットは「星をつかもうとするがごとき道化だ」と自嘲するが、星に手を伸ばす気概こそが貴重なのだ。手を伸ばし続ければ、いつか手が届くことだろうとスハロートは思っている。


 領主たちはレーネット派だスハロート派だといって勝手にいがみ合い、対立しているらしい。スハロート派とやらは、スハロートを公位継承者にしようと画策しているという。たわけたことである。自分には公位を継ぐつもりもなければ資格も能力もない。無益な対立をやめてレーネットを支持せよとスハロートが言っても聞かない。本当にスハロートを支持してくれるなら、スハロートの意志も尊重してくれるはずではないか。自分の指示に従わない連中に祭り上げられるなど迷惑千万だった。


 スハロート派とやらと自分は無関係だ。勝手に騒いでいるがいい。レーネットが公位を継いだ暁には、スハロートはウリセファやリルフェットと共に全力で兄を支えるつもりだった。兄のためなら犬馬の労もいとわない。自分の生き方を通してスハロート派もレーネットの忠実な家臣にしなければならない。


 「兄上、やっぱりここにいらしたのですね」


 11歳にして既にティルメイン副伯という儀礼称号を与えられている同母弟リルフェットに呼び掛けられて、思索の底から意識を現実に戻した。リルフェットは母親似で、栗色の癖っ毛がふわふわとしている。


 「リルフェット、先に行かないでよ」


 リルフェットに続いて、スハロートの妹でリルフェットの姉であるウリセファもやって来た。彼女も栗色の髪だが直毛で、腰の辺りまで髪を伸ばしている。オフギースやレーネットの髪は太い剛毛だが、ウリセファの髪は細くてさらさらとしている。「父上や兄上のようにならなくてよかった」としばしば言うように、彼女はこの髪をことのほか気に入っていた。


 勝ち気な気性と吊り上がり気味の眉のためかキツい印象を与えるが、それを差し引いても実に美しい。ナルファスト公女という地位とその美貌があれば、求婚者には困らないだろう。まだ13歳だが既に多くの貴族から婚姻の打診を受けており、オフギースは逆に困っていた。


 ナルファスト公国は婚姻関係によって他家と結ばなくても困らない。むしろ大貴族と結べば皇帝の猜疑を生むかもしれない。オフギース自身、先妻と後妻によって領内に面倒な対立を生じさせてしまったという反省から、大貴族を避けている面もある。もはや「ウリセファが幸せになるならどこでもいい」という心境らしい。とはいえ後2、3年のうちには嫁ぎ先を決めなければならない。


 「2人とも、どうしたんだい。監視塔のてっぺんまで来るなんて珍しい」


 「たまには午後のお茶をご一緒しましょうと誘いに来たのですわ。使いを出そうとしたらリルフェットが『塔に上ってみたい』『一緒に来い』と言って聞かないのですもの」と言って、ウリセファは周りを見渡した。ワルフォガル全体がよく見える。春の風はやや冷たいが、ここまで上ってきたばかりの体には心地よいはずだ。「そうね、苦労して上ってきたかいのある眺めだこと」


 ウリセファは気が強い。リルフェットがしつこく誘ったとしても、行きたくなければ絶対に付いてきたりはしない。つまり、監視塔に上ることに少しは興味があったのだろう。


 「お茶か。いいね。ではお呼ばれするとしよう」


 ウリセファが景観を十分に堪能するのを待ってから、スハロートはウリセファの手を取り、ウリセファを支えながらゆっくり下りた。監視塔の階段は女性の上り下りなど全く考慮していない。女性の服も急な階段の上り下りに向いているとは言い難い。


 ウリセファは、女だからという理由で過剰に助けられることを好まない。だが可能と不可能の区別ができない愚か者でもなかった。このときも、差し伸べられた手に謝意を表して兄の支えを受け入れた。


 3人は城の談話室に移動した。監視塔で少し体が冷えたので紅茶の暖かさが体にしみる。


 「父上と兄上はもう皇帝陛下に拝謁なさったのかしら」


 「予定通りなら4月3日に拝謁したはずだね。そのうち詳しい報告が届くだろう」


 余程の急報でもない限り、帝都からの知らせが届くのは早くても数日後になるとスハロートはみている。


 「これで領主たちも少しは落ち着くというものね」


 ウリセファに特別隠しているわけではないが、国内情勢を積極的に伝えているわけでもない。ウリセファは彼女なりに調べ、状況や父の思惑を理解している。ほんの2、3年前まではお菓子を食べたり人形遊びをしたりすることにしか興味がなかったというのに。


 「今度は、兄上や私の妃選びでもめるだろうさ」


 スハロートは元服したばかりだから急ぐ必要はないが、レーネットは既に19歳。第1子くらいはいなければならない年齢だった。数年がかりで縁談がまとまった婚約者が前年に流行り病で急死してしまったため、妃選びが振り出しに戻ってしまったのだ。


 「どこの姫君でもよいけれど、私と相性が良い方にしてね。私、姉上が欲しかったの。父上は君主としてはご立派だけど、姉上は作ってくださらないの」


 「兄上や私との相性よりも優先かい? それはひどい」


 領民たちはどうしているのか知らないが、貴族の結婚において当事者の意志はほぼ考慮されない。それは政治の領域の話であり、親の専権事項だ。それ故に悲喜劇が多々生まれる。もっとも、自分の意志で相手を選べたとしても選択を間違わないという自信はない。


 リルフェットは果物を搾った飲み物を飲み干すと、迷い込んできたチョウを追い掛けるのに夢中になっている。今はそれでいい。無邪気に笑いながら走り回っているリルフェットを見ていると、スハロートとウリセファも笑顔になる。


 「父上たちがお帰りになってからのことだけど」と、突然ウリセファは真顔になってスハロートの目を見た。


 「フォルゴッソ卿には気を付けて。何がどうという理由はないのだけれど、誹謗と取られても仕方がないのだけれど、何だか気持ちが悪いの」


 フォルゴッソはスハロート派の重鎮だが穏健派で、言動は常に抑制が利いている。


 「気持ちが悪い? フォルゴッソ卿は無駄に対立を煽るような御仁ではないが」


 「ごめんなさい。説得力がないことは自覚しているの。今の話は忘れて」


 ウリセファは言語化し難い何かを感じているらしい。


 「いや、排除しろと言われると困ってしまうが、用心することはできる。心に留めておくよ。ありがとう」


 スハロートはというと、レーネット派貴族のネルドリエンが何やら動いていることに気付いていた。また、帝都の宮内伯プファドライスらの使者の出入りが増えているという情報もある。父と兄の帝都行きが、ナルファスト公国の均衡状態を揺り動かしていることは確かだ。君主として正しくあることを何よりも優先する兄と異なり、スハロートは君主を支える家臣のありように着目している。そこに禍の種が内包されている可能性もある。


 帝都にいるはずのデズロントが至急の目通りを求めている、という知らせが来たのはそのときだった。

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