デズロント
デズロントはボロボロだった。泥にまみれ、土色の髪の毛は艶を失って乱れ放題。筋肉質のがっしりした体は見る影もなく痩せ細り、憔悴し切っていた。今にも崩れ落ちそうだ。
謁見室に入ったスハロートは、デズロントの姿を見て帝都で変事があったことを悟った。決して良い話ではない。問題は、「どの程度なのか」だ。
「デズロント卿、顔を上げてくれ。いや、とにかく楽にしてほしい。誰か、水を持ってきてくれ」
水を一気にあおると、デズロントは報告を始めた。
「ナルファスト公が……オフギース様がお亡くなりになりました」
想定した中でも最悪の事態だ。スハロートは血の気が引くのを感じた。力が抜けるのを辛うじてこらえ、デズロントの言葉を待った。
「ロンセーク伯に命じられたフォルゴッソ卿が、家臣に殺させたのです」
「ば、馬鹿な!」
「今すぐ城門を閉ざすのです! ロンセーク伯は……手勢を率いて戻ってきます。サインフェック副伯と……ティルメイン副伯を誅殺するために」
デズロントは、まくし立てて咳き込んだ。
「兄が? 一体なにゆえに」
「ナルファスト公を謀殺した罪です」
デズロントの口から出てくる言葉はスハロートの理解を超えていた。
この者は一体何を言っているのだ。そんなたわけた話を「なるほどあい分かった」と飲み込めるはずがない。
「デズロント卿、もう少し分かりやすく説明してもらえないだろうか。貴公の言葉を理解する能力が私には欠けているようだ」
スハロートは、震える声で答えた。怒気を発する気力もない。
「ナルファスト公とロンセーク伯が皇帝陛下に拝謁した折のことです……。『ロンセーク伯を公位継承者として認めるわけにはいかぬ、ロンセーク伯を廃嫡してティーレントゥム家の血を引くサインフェック副伯を次期ナルファスト公とすべし』と……皇帝陛下は仰せになりました」
デズロントは血走った目でスハロートを見上げた。
「ロンセーク伯は……父を殺した罪をサインフェック副伯とティルメイン副伯に着せようとしている! ……フォルゴッソ卿です。フォルゴッソ卿が『公爵を片付けた』とつぶやくのを……しかと聞き申した!」
「あり得ぬ。あり得ぬことだ。兄がそのようなことを考えるはずがない。デズロント卿は嘘をついている」
スハロートはそう言い返すのが精いっぱいだった。
スハロートはさまざまな可能性を想定してみた。デズロントが嘘を言っている場合。真実だった場合。父は死んだのか、死んでいないのか。兄は下手人なのか否か。一つの分岐点から無数の、際限のない疑念が派生する。思考の迷宮に半ばはまり込みながら、辛うじて踏みとどまる。デズロントの証言だけで考えを進めても答えなど出るはずがない。
「デズロント卿を疑うわけではないが、確証もなく兄とフォルゴッソ卿を罪人とすることはできない。真相が明らかになるまで貴公の安全は保証するゆえ、今聞かせてくれた疑念については他言しないでほしい」
まずは兄と話すべきだ。全てはそれからでいい。
「悠長なことを言っている場合ではございませぬ。今すぐワルフォガルの城門をお閉めください。ロンセーク伯をワルフォガルに入れてはなりません」
兄への信頼は今でも揺るがない。だが、デズロントが嘘を言う理由が見当たらない。デズロントがスハロート派ならば分かる。だがデズロントはレーネット派なのだ。その彼がレーネットの非を鳴らして逃げてきた。
「おかしいではないか。なぜフォルゴッソ卿が兄に組みして父を暗殺するのだ」
「フォルゴッソ卿はロンセーク伯に買収されたのです。事はサインフェック副伯だけの問題ではありません。ロンセーク伯は、後顧の憂いを絶つためにティルメイン副伯と公女様もお手に掛けようとしております。全て乱心した私の仕業にするつもりなのです。スハロート派を一掃した後、用済みになった私を処断すれば生き残るのはロンセーク伯のみ」
デズロントは半狂乱になって叫んだ。
スハロートは絶句した。
「ティルメイン副伯と公女様をお守りするためにも、まずはロンセーク伯と距離を取るべきです。ロンセーク伯をお信じになり、その手にかかったとしてもサインフェック副伯は本望でしょう。しかしティルメイン副伯と公女様も道連れにされるおつもりか」
妹と弟の安全まで気が回らなかった。デズロントの話の衝撃で思考の幅が狭くなっていたらしい。
「ロンセーク伯は帝都に連れて行った兵を率いて戻ってくるでしょう。事実関係を確かめている猶予はありませぬ」
デズロントの言葉がスハロートの心に影を落とした。もし、デズロントの言うことが本当だったとしたら? ウリセファやリルフェットが殺されることになったとしたら? 自分のみならず兄弟たちの命もかかっているのだ。
兄を疑うことは、これまでの兄との時間を否定することに等しい。スハロートにとって、兄との思い出は宝物だった。それを汚していいのか。
だが、妹と弟の命もまた宝物であり、守らねばならない。
事実の確認はそれからだ。一時的に兄の不興を買ったとしても、和解すればいい。環境を整えてから話し合っても間に合う。
「……全ての城門を閉ざせ」
ワルフォガル城代として下したその命令が、ナルファスト公国の運命を決めた。
だが、スハロートはまだ一縷の望みをつないでいた。デズロントの話は全て嘘なのだ。そのうち、皇帝への拝謁を成功させた父と兄が馬を並べて帰ってくる。スハロートが城門を閉じたことで一悶着あるが結局開門して、父が「この慌て者め」と言いながらスハロートの頭を小突く。それを見て、兄、妹、弟が大笑いする。ナルファスト公国の歴史書に「スハロートの城門閉鎖事件」として記録されるかもしれない。
「それはちょっと恥ずかしいな」
スハロートは、夕焼けに染まる空を見上げながら、照れくさそうにつぶやいた。




