スハロート
サインフェック副伯スハロートは、父オフギースと兄レーネットが不在の間、ナルファスト公の居城でもあり都市でもあるワルフォガルの城代を務めている。「サインフェック副伯」は彼の儀礼称号である。
父譲りの銀髪は、レーネットよりも色がやや明るい。書斎にこもって書物を紐解くことを好み、オフギースやレーネットのように領内を駆け回ることもないので日焼けもしていない。
体格も華奢で、剣技や槍術、馬術などの武芸はレーネットに全くかなわなかった。だが、弓術だけはなぜかレーネットを上回った。
レーネットは、負けると子供のように本気で悔しがり、そして「見事だ!」と叫んで大笑いした。
スハロートは、監視塔の上で帝都の方角を眺めながら、兄の屈託のない笑顔を思い出して苦笑した。
「兄上、やっぱりここにいらしたのですね」
同母弟のリルフェットに呼び掛けられて、スハロートは思索の底から意識を現実に戻した。
リルフェットは母親似で、栗色の癖っ毛がふわふわとしている。十一歳にして、既にティルメイン副伯という儀礼称号を与えられている
リルフェットに続いて、スハロートの妹でリルフェットの姉であるウリセファもやって来た。彼女も栗色の髪だが直毛で、それを腰の辺りまで伸ばしている。彼女の髪は細くてさらさらとしており、彼女はこの髪をことのほか気に入っていた。
勝ち気な気性と吊り上がり気味の眉のためにキツい印象を与えるが、それを差し引いても実に美しい。ナルファスト公女という地位とその美貌によって、まだ十三歳であるにもかかわらず多くの貴族から婚姻の打診を受けている。
「珍しいね。こんなところに来るなんて」
「リルフェットが『上ってみたい』と言って聞かないの」
そう言って、ウリセファは周りを見渡した。春の風はやや冷たいが、ここまで上ってきたばかりの体には心地よいはずだ。
ウリセファは気が強い。リルフェットがしつこく誘ったとしても、行きたくなければ絶対に付いてきたりはしない。つまり、監視塔に上ることに少しは興味があったのだろう。
監視塔から見下ろすと、ワルフォガル全体がよく見える。多くの街がそうであるように、ワルフォガルも都市全体を円形の城壁で囲んでいる。ナルファスト公国の首府であるだけに、街は広大で活気に満ちている。
ウリセファが景観を十分に堪能するのを待ってから、スハロートは彼女の手を取って階段をゆっくり下りた。彼女は、「女だから」という理由で過剰に助けられることを好まない。だが可能と不可能の区別ができない愚か者でもない。このときも、差し伸べられた手に謝意を表して兄の支えを受け入れた。
三人は城の談話室に移動した。監視塔で少し体が冷えたので、発酵茶の暖かさが体にしみる。
「父上と兄上はもう皇帝陛下に拝謁なさったのでしょうか」
「予定通りなら四月三日に拝謁したはずだね」
よほどの急報でもない限り、帝都からの知らせが届くのは早くても数日後になるとスハロートはみている。
「兄上はどうして陛下に拝謁するのですか?」
リルフェットが首をかしげてスハロートを見つめる。
「陛下に、兄上が『次のナルファスト公である』と認めてもらうのさ」
スハロートは説明しつつ、心の中でためいきをついた。
――「ロンセーク伯」の儀礼称号を与えられた時点で、公位継承者であることは自明なのだが。
「これで『スハロート派』も少しは落ち着くというものね」
ウリセファが公国内の対立を認識していたことに、スハロートはやや驚いて目を見開いた。
そう、領主たちはレーネット派とスハロート派に分かれて勝手に対立している。スハロート派とやらは、スハロートを公位継承者にしようと画策しているのだ。
スハロートに公位を継ぐつもりなどない。資格も能力もないと思っている。「無益な対立をやめよ」と言うスハロートの言葉を聞き入れない連中に祭り上げられるなど迷惑千万だった。
だが、今回の拝謁で決着がつくだろう。
――皇帝陛下にお墨付きをもらえれば、スハロート派の出る幕はなくなる。
リルフェットは果実水を飲み干すと、迷い込んできたチョウを追い掛けるのに夢中になっている。
無邪気に笑いながら走り回っているリルフェットを見ていると、スハロートとウリセファも笑顔になる。
まだ帝都にいるはずのデズロントが至急の目通りを求めている――そんな知らせが飛び込んできたのは、まさにそのときだった。
中世ヨーロッパ(本作は13世紀ごろがモデル)にはまだチャノキは存在しませんが、本作では沸騰させた湯に香り付けする香草を使った香草茶や植物を発酵させたもの(紅茶っぽいもの)が存在するという設定です。




