スハロート
ナルファスト公国の首府ワルフォガル。
その中央にそびえる居城の監視塔からは、円形の城壁に囲まれた広大な街並みを一望できる。帝国南部最大の都市は、活気に満ちあふれていた。
スハロートは監視塔の壁に体を預け、帝都のある北の空を眺めていた。
父譲りの銀髪は、兄レーネットよりも色がやや明るい。書斎にこもって書物を紐解くことを好み、父や兄のように領内を駆け回ることもないので日焼けもしていない。
体格も華奢で、剣技や槍術、馬術などの武芸はレーネットに全くかなわなかった。だが、弓術だけはなぜかレーネットを上回った。
レーネットは、負けると子供のように本気で悔しがり、そして「見事だ!」と叫んで大笑いした。
兄の屈託のない笑顔を思い出して、スハロートは苦笑した。
「兄上、やっぱりここにいらしたのですね」
軽い足音とともに、同母弟のリルフェットが顔を出した。
栗色の癖っ毛がふわふわとしている。
続いて、栗色の長髪をなびかせながら同母妹のウリセファが姿を現した。
勝ち気な気性と吊り上がり気味の眉のためにキツい印象を与えるが、それを差し引いても実に美しい。ナルファスト公女という地位とその美貌によって、多くの貴族から婚姻の打診を受けている。
「珍しいね。こんなところに来るなんて」
「リルフェットが上ってみたいと言って聞かないの」
ウリセファは風になびく髪を押さえながら、眼下の街を見渡した。春の風はやや冷たいが、ここまで上ってきてほてった体には心地良いはずだ。
ウリセファが景観を十分に堪能するのを待ってから、スハロートは彼女の手を取って階段をゆっくり下りた。彼女は、「女だから」という理由で過剰に助けられることを好まない。だが可能と不可能の区別ができない愚か者でもない。このときも、差し伸べられた手に謝意を表して兄の支えを受け入れた。
三人は城の談話室に移動した。監視塔で少し体が冷えたので、発酵茶の暖かさが体にしみる。
「父上と兄上はもう皇帝陛下に拝謁なさったのでしょうか」
「予定通りなら、四月三日に拝謁を済ませたはずだよ」
スハロートは、鼻を爽やかに抜ける発酵茶の香りを楽しみながら、ウリセファにほほ笑んだ。
よほどの急報でもない限り、帝都からの知らせが届くのは早くても数日後になるとスハロートはみている。
帝都は、遠い。
「兄上はどうして陛下に拝謁するのですか?」
リルフェットが首をかしげてスハロートを見つめる。
「陛下に、兄上が『次のナルファスト公である』と認めてもらうのさ」
スハロートは説明しつつ、心の中でためいきをついた。
「これで『スハロート派』領主も少しは落ち着くというものね」
ウリセファが公国内の対立を認識していたことに、スハロートはやや驚いて目を見開いた。
そう、領主たちはレーネット派とスハロート派に分かれて勝手に対立している。スハロート派とやらは、スハロートを公位継承者にしようと画策しているのだ。
スハロートに公位を継ぐつもりなどない。資格も能力もないと思っている。「無益な対立をやめよ」と言うスハロートの言葉を聞き入れない連中に祭り上げられるなど迷惑千万だった。
だが、今回の拝謁で決着がつくだろう。
リルフェットは果実水を飲み干すと、迷い込んできたチョウを追い掛けていった。
無邪気に走り回っているリルフェットを見ていると、スハロートとウリセファも笑顔になる。
まだ帝都にいるはずのデズロントが至急の目通りを求めている――そんな知らせが飛び込んできたのは、まさにそのときだった。
中世ヨーロッパ(本作は13世紀ごろがモデル)にはまだチャノキは存在しませんが、本作では沸騰させた湯に香り付けする香草を使った香草茶や植物を発酵させたもの(紅茶っぽいもの)が存在するという設定です。




