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愚者たちの輪舞 ―ブランタール公の凱旋―  作者: 中里勇史
公爵の死

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レーネット

 ――その夜、帝国の運命が軋んだ。


 帝国歴二二一年四月。

 帝都で一人の男が死んだ。

 彼の名はオフギース。


 帝国内にある六つの公国の一つ、ナルファスト公国の君主である。


 彼の長子レーネットは、床に横たわったままの父の遺体を見て、世界が傾ぐような錯覚を覚えた。

 家臣たちは浮き足立っている。


 ――父ならどうするか。


 動揺している場合ではない。父の背中を追い続けてきたレーネットは、自らを叱咤した。


 ――冷静になれ。指揮をしろ!


 レーネットは、大きく息を吸い込んで吐き出すと、家臣たちに仕事を与え始めた。遺体を寝台に安置し、死因を調べること。事態を掌握するまで公邸外への口外を禁ずること。公邸内に他に変事がないか確認すること。


 家臣たちが動き出すのを見守りながら、レーネットは寝台のわきにひざまずいた。

 父譲りの、くすんだ銀髪をかき上げて再び深呼吸する。続けてオフギースの乱れた髪を整え、彼の手を握った。

 まだ冷たいというほどではない。死後硬直も始まっていない。この世を去ってから、さほどの時間はたっていない。


 レーネットの記憶の中にあるオフギースの手は、もっと大きかった。固くてゴツゴツしていた。だが、今は自分の手とほとんど変わらない。


「手の大きさだけは追い付いたというわけか……」


 レーネットは、奥歯をかみしめて、そっと手を離した。


 オフギースの顔に苦悶した様子はない。唇の色が悪いことを除けば、眠っているようにしか見えない。


「お苦しくはありませんでしたか?」


 まだ近くに父がいるような気がして、問いかけた。

 返事は、なかった。

 もう、二度とない。


 だが父ならこのようなときにどうするかは分かっている。


「今やるべきことは嘆くことではない」


 そう言って笑うだろう。


ロンセーク伯(レーネット)、お探ししておりました」


 フォルゴッソが、遠慮がちに姿を現した。

 レーネットの異母弟の後見役である。四七歳だが、非常に痩せているため実年齢以上に老けて見える。頭髪はほとんどなく、後頭部の一部にわずかに残っているのみだった。


 平静を装ってはいるが、顔色が悪い。手も震えている。


「フォルゴッソ卿、そんなに慌ててどうしたのか」

「デズロント卿のお姿が見えません。しばらく前に屋敷を飛び出していったのを見たものがおります」


 デズロントはレーネットの後見役である。


「デズロント卿が?」

「『死んだ』『殺した』などと叫びながら半狂乱で走っていたとか。時間的に、ナルファスト公(オフギース)がお亡くなりになった頃かと思われます」


 フォルゴッソは明言を避けたが、言わんとしていることは明らかだ。


「つまりデズロント卿が父、いやナルファスト公(オフギース)を害して逃亡したというのか」

「決め付けるのは早うございます。しかし何かご存じの可能性があります」


 彼の動揺は、収まりつつあるようだ。血色は悪いままだが震えは止まっていた。

 言質を取らせない狡猾さに、レーネットは内心で舌打ちした。だが、彼の発言には一理あることを認めざるを得ない。


「デズロント卿の捜索を優先する。フォルゴッソ卿、捜索隊の手配をお願いしたい」


 ――いや……。


「それから、デズロント卿の家臣も帯同せよ」

「……承りました」


 フォルゴッソの右頬がピクリと動いた。だが、彼はそれ以上何も言わず、一礼すると去っていった。


 デズロントとフォルゴッソは、政敵の関係にある。この状況下でフォルゴッソの手勢が追ってきたら、デズロントがおとなしく従うとは思えない。

 フォルゴッソがこれを好機としてデズロントを謀殺する恐れもある。ナルファスト公(オフギース)の横死に直面している現在、家中の騒乱は避けねばならない。

 デズロントが父の死について何か知っているのであれば、何としても聞き出す必要もある。


 だが、デズロントの捕縛には失敗した。

 帝国の街道沿いには、緊急時の伝令用として各所に替え馬が用意されている。デズロントは、替え馬を強引に徴発して逃げたらしい。フォルゴッソとデズロントの家臣は追跡を断念せざるを得なかった。


 レーネットは、父と共に皇帝に拝謁するために帝都に来たのだが、もはやそれどころではない。

 翌朝、帝国にオフギースの死を報告して拝謁の延期を願い出ると、レーネットは帰国の準備に取りかかった。

 父の死によって、「ロンセーク伯」の称号の重みが増した気がした。ロンセーク伯はナルファスト公の長子に与えられる儀礼称号である。儀礼称号は親が保持する爵位の一つを子が通称として名乗るもので、正式に襲爵しているわけではない。


 太陽の光は確かに春の訪れを感じさせるが、風の中にはまだ冬の残党が残っていた。

 一陣の寒風がレーネットの頬をたたく。帝都よりも春の訪れが遅いナルファスト公国の方角を眺めながら、レーネットは嫌な予感に慄然とした。


 そしてこれが、帝国を揺るがすことになる一連の戦乱の発端になったのである。

ナルファスト公の死が、ナルファスト公国のみならず帝国全体を巻き込む戦乱のきっかけとなります。無論、レーネットらは知る由もありませんが。


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― 新着の感想 ―
Xの企画から来ました。 君主の急死という発端から、悲しむ間もなく指揮を執るレーネットの姿が印象的でした。父の手の大きさに追いついたという述懐や「お苦しくはありませんでしたか?」の問いかけなど、抑制され…
死因がわからない、未だ謎に満ちている事件。 しかもこれが始まりに過ぎないというのがなんとも不穏でいいですね。 デズロントが犯人ならあからさますぎますし、フォルゴッソ側だったとしてもそれはそれで順当な…
公爵の死をきっかけに、物語が一気に大きく動き出す導入で引き込まれました。 父の死を前にしながらも、レーネットが感情を抑えて家臣に指示を出す場面から、彼の責任感や覚悟が伝わってきます。 デズロントの逃…
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